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「ワークライフバランス」は、格差をさらに拡大させる!

先日に続けて、「ワークライフバランス」を取り上げます。
現状の最大の問題点は、
理想論ではなく、「ワークライフバランス」を推進していけば一体どのような見通しになるのか?
という具体的なシュミレーションが不足していることではないでしょうか。
ここに、一つのイメージを紹介します。
ポチッと応援よろしくお願いします。
ありがとうございました 😀


引用は少し長くなりますが、「個人」にのみ立脚した人が冷静に読めば愕然とする内容だと思います。
解雇の制限と就職氷河期・再チャレンジ・働き方問題・非正規雇用・ワーク・ライフ・バランスなど [1]

 逆に、この「正社員システム」を批判する考え方によれば、どのような「働き方」が「良いもの」として描かれるのであろうか。残業はなく、仕事と家庭の両立ができ、パートと正社員との格差がなく、同一労働同一賃金が実現される。それは、次のような状況になるのではないかとイメージする。
 まず、管理職と、一般職員との間に、明確な違い、いわば「格差」があらわれる。恒常的な残業はないとしても、問題が発生すれば、緊急に対応を考えなければならない。したがって、残業をしない一般職員にプロジェクトを任せることはできない。管理職に権限が集中し、管理職が企画・判断をし、問題が発生すれば管理職が残業をして対応する。一般社員に企画や判断が委ねられないため、管理職は増えることになり、人数としては、現在の倍、およそ3割くらいが管理職になると思われる。
 この管理職の賃金は年俸で800万円以上となるが、能力の維持向上のために、月10万円程度は自己投資をすることになる。多くの裁量と権限が与えられているので、成果主義で賃金が決まる。成果がでなければ、賃金は下がるし、解雇あるいは転職ということにもなる。逆に、成果を出して、賃金が上がる転職に踏み出すことも容易である。社長や役員は年功による昇進でなるものではなく、成果を出した者に声がかかるものである。働き方も裁量が大きくなる。したがって、部下の管理をしていなくとも、ホワイトカラーエグゼンプションの対象となる。働き方に裁量はあっても、責任者として、仕事優先の働き方にならざるをえないため、この管理職層が結婚して子どもが生まれた場合には、配偶者が家事専業になるか、ベビーシッターが必要になる。
 一般社員は、残業もなく、休暇も充分とれる。業種転換も転勤も命令されない。同一労働同一賃金が実現し、年功賃金や昇給は廃止される。判断や企画を任せられることもなく、能力向上は期待されないので、人材育成の対象にもならないし、昇進もない。誰でもできる単純労働に退職まで従事する。賃金は、手取り年収で240万円、月収20万円程度であろう。ボーナスはない。贅沢はできないとしても、1人で生活はできる。この一般社員層同士が結婚して、子どもがうまれた場合、夫婦共働きが前提となり、世帯月収は40万円になる。残業がないので、保育園を活用して、子育てができる。
 他方、残業がないことを前提としているので、労働力の調整は、採用と解雇によることになる。業績が拡大した企業は積極的に採用をおこない、業績が悪化した企業は解雇をおこなう。解雇されても、再就職はしやすい。ただし、今まで放置された感のある解雇の手続的保護が課題となる(解雇予告期間の延長、解雇予告手当の増額、雇用保険制度の改定など)。転職も容易である。一般職員と、パートや契約社員との格差はなくなる。他方、一般社員層と管理職層との間には、厳然たる格差が生じ、一般社員層から管理職層へステップアップするのは、非常に困難である。いわば「格差システム」になる。
 以上で描いたように、「正社員システム」では正社員と非正規雇用(あるいは失業)の間に大きな格差があるが、「格差システム」ではそれが「管理職層」と「一般社員層」との間の格差に変わることになる。もっと端的にいえば一般社員のパート化・契約社員化である。これが、「働き方の見直し」「残業の抑制」「ホワイトカラーエクゼプション」「同一労働同一賃金」「非正規雇用の改善」「解雇の金銭解決」など、官学労使学すべてが「良いもの」として考えている方向の先にあるかたちに思われる。

 私は、ヨーロッパ型とアメリカ型の「ええとこ取り」のイメージを持ちました。
しかし、中心問題は、
ワークライフバランスを推進すれば、
さらに格差を助長し、格差が固定化される。

ということが、良く分かりました。
 これは、日本独特の「正社員システム」の解体にとどまらず、「日本人の解体」です。
 「ともぴろ」さんの、労働派遣法成立過程にみるアメリカの影響 [2]にも書かれているように、「日本独特の雇用慣例の完全解体」の流れと同根でしょう。
 確かに、アメリカ型の雇用スタイルへの転換という圧力が背後にあるのは間違いありません。これがまかり通れば、日本人に僅かに残された本源的な集団収束や共認収束が解体され骨抜きにされてしまうでしょう。
 本来であれば、このような日本の危機に対して統合階級は毅然とした態度で圧力に立ち向かうことが求められます。しかし、実態は全く逆です。かれら(官学労使学)の自己保身の発想からは、目先の妥協案しか生まれてきません。自己中は集団を破壊するだけです。
 恐らく、労働基準法の枠内からは何も新しいモノは生まれてこないでしょう。本源的な規範が解体されていく過程の中で、社会不全を覚える経営者や自営業者などの労働基準法の枠外から発想できる当事者たちの中から、共認原理に基づく「働き方」が生まれてくるでしょう。
『自分たちの生きる場は自分たちで創る』
という共同体経営への転換が、
今こそ求められています。

はっしー でした

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