akiraさんありがとう、改めて自己紹介です 😀
・HN:miyashow(オトコです) 
・就職年度:1979年 
・(財)社会経済生産性本部による新入社員タイプ:お子様ランチ型⇒「何でも揃って綺麗だが、幼さ抜けずに歯ごたえ無し」

今から28年、四半世紀以上もまえの話になりますが、当時の事を思い出しながら、就職について感じたことを書き綴って見ました。

と、その前にいつものポッチとお願いします :blush:
大学は建築系
で学生時代は雑誌などに登場する建築家に憧れ、いつか自分もあんなスターになりたい等など淡い夢を持っていました。 :blush: が同期や先輩の話を聞きくと、「世の中そんなに甘くはない」、「メシなど当面喰えんぞ」、などと言われ漸く就職活動を始めたのが4回生の秋、狭い業界でしかも就職寒冷期で特に○○に行きたいと思っても無理な時代、学校へ募集の来ている2~3社を受験しました。
その内1社に内定をもらいましたが、知人にとある会社の社長を紹介され、結局そこに就職することになりました。デベロッパー=不動産を商品化して売る会社でした。 
社長の人柄に惚れてと言えば聞こえは良い、また信じれば救われるではないですが極めて直感的に決断してしまったのです。大学と言う温室にいれば、実社会で揉まれた人達に接して強烈な刺激を受けるのは当たり前ですが、また他社の就活も、当時はまだあった「就職解禁日(10月~11月頃だった)」をきちっと守って行なう脳天気状態
、人生の重大な岐路になる就職に対してどんな意識だったのか・・・やっぱり何も考えていなかっただなあと思います。
「幼さ抜けずに…」とはこのことかも知れません。
~1970年日本は高度経済成長を成し遂げ、貧困を脱した時代です。一時代前はいわゆる団塊世代で生存競争も激しく、就職活動は熾烈を極めたようですが? 😡 小生の就職時代は貧困脱出から10年、世の中も私たちの意識も豊かさの実感が浸透してきた時代であり不景気と言っても、かっての様な圧力とはならず「何とかなるさ」で乗り切れた時代であったと言う事なのでしょう。 😛 一方希望がかなわずフリーターになるのは、世間とか親に対する規範意識から、選択肢には到底なり得なかった時代でもあります。 😡
その後、会社では社会について、人間関係ついて多くのことを学びましたが
、2年ほど勤めた後、やはり設計への道が諦め切れずに転職、建築事務所で3年ほど勤めました、けれど成果しか求めないオーナーとのそりが合わず 👿 、また日々の仕事に人間らしさ(考える事)を感じれなくなり 🙄 、さすがの小生もこれではダメだと思い立ち退職しました。 8)
「自分達の会社を自分達でつくる(自主管理)」、「建築設計とは社会を知ることだ」等と言う言葉に何かしらの可能性を感じ入ったのが今の会社、以来20数年、仕事はハードでも未だに活力をもって望めるのは組織と仲間のおかげなんだろうなと思っています。 😀
