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日本人の仕事観~天命に従う?

みなさん。こんにちは。かなめんたです。 😮
最近、日本人の仕事観を調べていたのですが、面白い記述があったので今日はそれを紹介します。
>北尾氏(北尾吉孝氏)は近著『何のために働くのか』において、自らの体験
と思索に基づいて、日本の、ひいては東洋の伝統的な仕事観を
こう述べている。
 東洋思想では、仕事とは天命に従って働くことだと考え
ます。仕事という字を見てください。「仕」も「事」も
「つかえる」と読みます。
では誰に仕えるのかといえば、
天につかえるのです。天につかえ、天の命に従って働くと
いうのが、東洋に古来からある考え方です。
 かつては働きに出ることを「奉公に出る」と言いました。
これは「公に奉ずる」「公に仕える」という意味です。
[1,p24]
 東洋思想においては、「天」とは、ある理想の状態を目指す
意思(天意)を持った存在
だと考える。そして「天」はそのた
めに、一人ひとりの人間に、ある使命(天命)と才能(天分)
を与えている。自らの天分を生かし、天命に従った仕事を「天
職」と言う。
 孔子は「五十にして天命を知る」と言いましたが、これ
は「天から与えられた自らの使命を知る」ということです。
実際、孔子は五十歳にして自分の天命とは世の人を救うこ
とだと自覚して、それまでの修養の時期を終え、実社会の
啓蒙活動に入っていくわけです。[1,p77]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog489.html [1]
へ~なんか大層な感じもしますが、共感できるところもあるのでは?
おっとあぶない。続きをはこちらをプッシュしてからどうぞ。


ありがとうございます。
儒教が下敷きですから、この仕事観には国家統合上の目的はあると思います。
つまり、こうした仕事観は一般大衆というよりは、武家階級の仕事観だと言えると思います。
が、ここでいう「天」とは神ではなく、「ある理想の状態を目指す意思を持った存在」というところが面白いなと感じました。
「天地神明に誓って」とか「天は見ている」という使い方を見ると、一つの規範(共認)の結晶でもある。
現代風に言い換えれば、「そこに突破口があると可能性を感じているみんなの期待」だと捉えられるのではないでしょうか。
一昔前までは、目に見えない「やりがい」を求めていた人々はまさに「天職」や「天命」を探しもとめていたのだと思います。
ところが、実は「天命を知る」とは「みんなの期待をつかむ」ことだと捉えると、現実はどんどん変わっていくわけですから、
常に「現実を対象化」し、そこに応えていくこと、それこそが仕事だとも言えると感じます。
天命を「期待」、「天分」を役割と置き換えてもいいかと思います。
そしてこうした仕事観には「自分のため」とか「金儲け」という概念はありません。一生懸命働いた結果、評価として与えられるのがお金であり、それはみんなの期待に応える職をまっとうするために使われていくのでしょう。
こうした仕事観、西洋のものとも比べると面白いかもしれません。だれか知ってる人がいたら教えてください。(←なに?てめえで調べろって?)
それでは~。かなめんたでした~。

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