- これからは探求の時代 - http://bbs.kyoudoutai.net/blog -

思考の幹の勉強が必要な時代

honn.jpg金融危機後、企業の業績の悪化が目立ち、(「生き残る企業~企業環境はなぜここまで悪化するのか!?」) [1]仕事の様々な場面でコスト圧力も一層高まっています。
これまで通りに進めているだけでは仕事も上手くいかない 🙁 事から、経済関係の本、各種のHowTo本、仕事力を上げる為の勉強本、脳の本など を書店でも良く見かけるようになって来ました。
しかし、目先的なHowToに 飛びついてもどうも小手先の事にしか役立たない感じが拭えないし、闇雲に手を広げても収拾がつかない。。。
どんな勉強 が求められているのでしょうか

続きの前に応援宜しくお願いします。


金融危機から、つい経済破綻に意識が行きますが、翻ってみればここ数十年経済に限らず家庭や学校や企業から国家まで、離婚や虐待、いじめや学級崩壊、学力低下、人材問題や経営難、国債や年金の破綻と問題は山積みで、社会は閉塞の一途を辿っています。
その底流や今後の先行きには精神破壊や肉体破壊、経済問題から環境問題までが重くのしかかってもいます。
社会の中の家庭から国家までの大小様々な集団の有り様や制度が激変した訳ではありません。変わったのは人々の意識やそこから生れる価値観で、そこと制度や集団のありようがズレてしまっているのです。
では、上手くいくように変えれば良い のですが、これまでの価値観に基づいて考えても上手く行かないし、闇雲に改変して失敗すれば死活問題です。何処は変えていいけど、何処は替えてはいけないのかの判断が求められます。
その為には、これまで続いてきた事実である歴史を紐解き、 今上手くいかなくなったが、以前はどうだったか、どうして上手くいっていたのか、といった事を辿りながら、時代状況に応じた可変部分と摂理のような不変部分を見出す必要があります。

これからを自在に考える上でも、突き詰めれば人類史から果ては生物史にまで踏み込んで自然の摂理のような構造を思考の幹として身に着ける必要があるという事です。
また、冒頭で日常の仕事でも直面するコスト圧力の高まりに触れましたが、これも何処まで落とせるかを考える上では、例えば物の仕様であれば、その性能や機能を発揮する原理まで掴んで問題が無いかどうかの検証が必要になってきます。
全面閉塞の時代、どんな場面を見ても自然の摂理や原理のような勉強で思考の幹を手に入れる事が、自在な対応を生む上でも不可欠な勉強なのではないかと思います。
個々人で取組むには壮大ですが、社会の誰にも必要なものであり、こうした勉強こそより多くの人の協働で解明、共有しながら次代を作っていく為の足がかりにしていけばいいのだと思います。
最近盛んになっているブログを始めとするインターネットの場は、そうした活動に適した場で、大きな可能性を持っています。

[2] [3] [4]