僕が住んでいるファミリー向けマンションは20世帯位の家族が生活しているのですが、そのうち半分位はが同じ会社で働いている家族です。
ちょっと前の「マイホーム
」感覚だと、
「部長の奥さんと顔をあわせるのはちょっと・・・
」
とか、
「家に帰ってまで会社の関係があるのはちょっと・・・
」
という感覚だったと思います。

しかし、僕がこのマンションを選んだ理由はずばり
「同じ会社の家族が多く住んでいるから」でした。
子供が生まれて直ぐだったので、子育てを考えた時に近くに会社の仲間の家族がいて欲しいと思ったのです。
子供をちょっと預かってもらえたり
、共同利用室で子供達が一緒にあそんだり
、それぞれの実家から送ってきた野菜や果物を分け合ったり
、遊ばなくなったおもちゃや着なくなった服をゆずってもらったりと
、「自分の家族で住んでいる」という感覚よりも、「みんなで住んでいる」という感覚があります。
最近では、住宅開発の会社が、その地域のつながりを活性化するイベントを売りとして販売を行ったり、マンションの下に住民同士が共同で育てる「
田んぼ
」を売りにしている事例もみられ、これまで絶対不可侵であった「家庭」同士の壁が、繋がりの充足に導かれて徐々に融解していっていると思います。

今日はそのような意識潮流を整理した2002年のるいネットの投稿を紹介します。
続きの前に、いつもの応援
おねがいします 
ありがとうございます 
なわばり意識を私有から仲間へ [1]
モノに限らず、身辺の価値を私有化することで、あるいは婚姻制度に代表されるような合法的私有化と社会通念によって現代人は家庭というなわばりで暮らしてきました。
ここでの決定的な欠陥は、子育て、教育などの協働課題さえもがプライベート化=私有化→他人に不可侵の聖域化となってしまったことだと思います。
ただ、いまや子育てが母親ひとりでは不可能なことは現象的にみても明らかで、むしろ「何とかして!」という声が聞こえてきそうなほどではないかと感じています。であれば、これは協働課題なんだ、という自覚は、「一人では無理」という段階で留まっているとはいえ、すでに一部で私有化の領域を超えつつあるのではないかと感じています。
地域共同体が解体された今日では、これをいきなり再生することは飛躍があります。
子育てを協働課題として機能させるのなら、親しい核家族同士が一緒の家に住むという方法(参考『家族ユニットの実態的結合をめざす』 [2]阪本剛さん)や企業内保育が現実的だと思いますが、ここで重要なのは、大人同士の仲間としての繋がりではないかと思います。
「プライベートだから」という個人的なわばり意識が、先ずは自分達という仲間としてのなわばり意識へと少しでも拡張してくことが成功すれば、あとは私有意識も次第に剥がれていくのではないかと考えます。協働のなかで得られる安心や充足、自我の封鎖などが要点だと思います。
また、こうした大人同士の仲間意識は、その紐帯を強く築いていく必要がありますが、それには解脱過程に留まらない、様々な局面を仲間同士で経験していくことが必要ではないかと思います。そもそも、なわばりとは、生産(闘争)と生殖は生物原理的に不可分の両者を包摂するものですが、だとすれば、結合する家族ユニット同士は、そこで得られる性や解脱の充足の他に、闘争過程さえも協働化できれば(企業内保育の場合もこれと同じですが)、生産(闘争)と生殖を集団内に取り込むことが出来る可能性を十分に有していると考えます。
引用終わり
「会社(生産)」と「家庭(生殖)」が断絶し、かつ、「家族」同士もばらばらという状況がながらく続き、今再び、「家庭」同士の繋がりが再生しています。
次の段階は、福島さんの投稿にあるように、会社が共同体化し、生産(闘争)と生殖を集団内に取り込んだ更なる「共同体」へと発展していく可能性があると思います 

最後まで読んでくれてありがとうございます 


