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『男女役割共認が企業を変える』コラム編~なんでや劇場レポート(2)~

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こんにちは、みっちーです
前回の記事 [2]に引き続いて、今回の「男女役割共認が企業を変える」シリーズは、
コラム編 の第2弾 をお送りします
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●では、共認時代に求められる能力はどこが違うのか?
そもそも、私権時代と共認時代では、力が必要とされる土台が違っている。私権時代の欠乏の中身は私権欠乏であり、己の私権を獲得することが目的。そのために力の上位層を抱き込む共認形成力が必要となるが、結局は己の私権を拡大するための力である。
それに対して、共認時代は、誰もが共認充足を求めており共認収束している。つまり私権時代も共認時代も必要なのは共認形成力だが、その根っ子or目的が「自分からみんな」へ転換する。周り・みんなを充足させるための共認形成力に全面転換し、その中身は必然的に変わってくる。ex.騙し→事実の共認へ。
これまでは私権弱者でも、みんな発の思いが本当ならば、十分な共認形成力を発揮し成果を上げることは可能なはずである。但し、’10年代は自分からみんなへの転換期・過渡期であり、頭ではみんな発でも肉体がついてこないといった現象が発生する。みんな発の共認形成力にどう転換してゆくか? それが今後10年間の過渡期の課題である。
●転換の足を引っ張る障害物は?
3つに類型化される。
【1】頭はみんな発「みんなのため」でも、人間関係が不得手で他人捨象。人間関係を捨象し、他人のことは無関心で、放ったらかしにしているタイプ。他人捨象しておいて「みんなのため、仲間のため」と言ったって話にならない。この自覚のある人は、何が何でもみんなに向き合うことである。
【2】同じく頭はみんな発で、関係捨象もしていないが、否定・攻撃・説教ばかりのタイプ。これは、私権時代の絶対的な力を背景に通用する手法であり、今やひたすらダメ圧ばかりでは通用しない。みんなが共認充足を求める時代には肯定性こそが必要であり、否定だけでは誰もついてこないし、成果が上がらない。
ではなんで、否定・攻撃・説教ばかりになるのか?
これは他者否定に他ならず、その源泉は自我である。自我発の正当化の観念論が説教である。ここからの脱却は旧観念からの脱却が必要だが、普通の人がとっくに捨てた観念に収束している時点で、すでにおかしいのであって、かなり厄介。ついつい説教になる人はそのことを自覚して変えてゆく必要がある。
共認時代に必要な力は、みんな充足を前提にした力なのだから、否定から肯定への転換、つまり周りを肯定視することが不可欠。肯定視が貧弱な人は意識的に相手のプラスポイントをいくつも発掘して観念回路に定着させること。
共認時代の共認形成力は、充足性・肯定性が源泉であり、これがないと共認形成も説得もできない。その次には、方針を出す必要がある。そのためには常に「どうする?」という実現思考が不可欠。→「どうする?」に対する提案がみんなに充足を与える。まとめれば、まずは肯定視⇒次に、「どうする?」という実現思考。これさえできれば、周りの活力も、自身の共認形成力もUPする。
【3】もっと大量に(広範に)いるのが、都合の悪いことは隠蔽し、誤魔化し、言い訳するタイプ。このタイプは今やあらゆる企業で蔓延しており、危機的状況である。元々、誤魔化しは私権弱者の手法であったが、’90年バブル崩壊のあたりから私権強者にも増えてきた。バブル崩壊の時は、金融機関のトップが「バブル崩壊は誰も予測できなかったから仕方がない」と言い訳を繰り返した。今やほとんどの経営者が「不景気だから仕方がない」と言い訳している。
元々、私権弱者の専売特許だった言い訳・誤魔化しがトップを含め至る所に蔓延し、指揮系統がズタズタになり、私権体制の崩壊を加速している。これが秩序崩壊を予感させ、「遊びどころではない」という意識潮流=遊びの失速を生み出している。

◆補足コラム
『不正・不祥事の続出は、指揮系統の末路の姿』
[3]
(画像は「NHK週刊ハタラキング [4]」よりお借りしました。)
ミス大爆発の原因として、私権圧力の衰弱→警戒心発の集中力の衰弱という分析は間違っていないが、上記投稿(2006年6月)以後も民間企業でも官庁でも、ミスに限らず不正・不祥事は増える一方である。しかも、それは組織内部において薄々はわかっていたものがほとんどらしい。これは単なるミスに留まらず、問題や不正の隠蔽ということである。それが発覚して不祥事が明るみになるという構造だ。
しかし、問題の隠蔽は今に始まったことではない。歴史的にみても、指揮系統上の下の者が、自分に都合の悪いことは報告せず、その結果として戦いに敗北した事例は無数にある。つまり、問題の隠蔽は私権圧力⇒序列原理の統合様式である指揮系統が構造的に孕んでいるものだと考えられる。指揮系統は上意下達のライン(単線)で構成される。指令を受ける担当は一人である。他の人は誰も知らない。だからラインのどの段階にでも隠蔽が可能である。
言うまでもなく、自分に都合の悪いことを隠蔽することは、組織全体の課題が捨象される(なかったことにされる)ということであり、その組織にとってトラブル・大損失をもたらす、組織破壊行為である。さらに、各成員にとっても、隠蔽によって課題を捨象する(自分の頭の中でも課題がなかったことにする)ことは、思考停止そのものである。
つまり、今や指揮系統は集団にとっても成員にとってもマイナス以外の何物でもなくなったということではないか。’70年頃から私権圧力が衰弱し始めて40年近くが経った。この間の不祥事・不正の続出は、私権統合・序列統合の産物である指揮系統が末路を迎えたことを表しているのではないだろうか。
るいネット [5]より引用)

この言い訳、誤魔化し、隠蔽をどうするか?が最も重大な課題。
私権時代の上位層の抱きこみが可能だったのは今や過去の話であり、大多数の者が私権弱者の手法である誤魔化しに走っている。この根底にあるのは面従腹背である。上辺は装っていても腹の底では背を向けているから、何か不都合があると隠蔽・誤魔化し、言い訳に走るのだ。
言い訳とは敗北さえも正当化するということであり、それは敗北主義というイデオロギーと化す。この姿勢は負け犬そのものである。
[6]
画像は「ニュージーランドちわわん生活 [7]」よりお借りしました。
つまり共認時代に必要な能力は、自分→みんなの充足発に基づいた共認形成力。
そのときのポイントは①周りへの肯定視と②どうする?という実現思考。

次回はこの議論を踏まえて、今後の可能性をさらに追求していきます!
次回の記事も乞うご期待下さい!
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます☆

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