こんにちは。コニシです 😛
そろそろ入社してから2年が経とうとしています。早いもんですねぇ。
色々な気付きがあったり、沢山の方々にアドバイスを頂いたりで、密度の濃い期間だったと思います。
振り返ってみると、自分の気付きには2パターンあったことに気が付きました。
1.自分で得た気付き(自身の体験や人の観察を通じての発見)
2.人から言葉として貰った気付き(≒アドバイス)
これらはまさに新発見
という感じで、その都度新鮮な感覚を得ていました。
しかし、時が経つにつれて「前から言われていたけど最近になってようやく体験と繋がった」という類の気付きが増えてきました。言葉として分かってはいたけど、実感と結びついていなかったものが多いなあと改めて感じているところです。でも、そこに気付いたことで何かしらハードルを1つずつ越えるような実感も得ています。
今回は、その中で「仕事をするって結局どういうことなの?」についての気付きを発信します。
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昨年末から、月に一回開かれる大会議用の資料作成を担わせてもらっています。
初期の「指示に従って作成する」から現在は「自分で考えて作る」という段階に入ったのですが、けっこう難儀しました。
最初に作った段階では「出てきた現象事実を整理しただけ」で、みんなが見た感想は「わけわからんな」
でした。それでも深く読み込んで追求できるメンバーだったから何とかなった、というのが実態だったように思います。
そこでようやく気付いたのが『情報を整理してまとめただけでは不足』ということです。その資料を見ることで相手が気付きを得る(=こちらの意図が伝わる)ものでなければ意味がないと痛感しました。
「その資料が何を意味しているのか」が明確であって初めて他の現象事実が裏付けとしての意味を持ってくるのです。
これはどんな作業にも共通することではないでしょうか?意味のない膨大な数字や文量が目に入っても読み手に負担をかけるだけ。「これやったらこうなりました」と言うだけでは『相手に判断を丸投げしてる』のと同じなんです。何かしらの切り口や答えを追求し、それが読み手に明確に伝わる出来にしてようやく「仕事をした」と言えるのだろうと感じました。
そう考えると「なぜここでこういうデータが付けられるのか?」「なぜこういう書き方をしているのか?」「なぜ社長は資料の細かいレイアウトや色使いまでこだわっているのか?」「なぜこのタイミングでの発信なのか?」など、以前より深く物事を見られるようになってきた気がします。
この意識で「より良くするには?」を考えて形にしていきたいと思います