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日本の戦後産業史-1- 1945~1970年:高度経済成長=市場拡大のメカニズム

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これから生き残る企業に求められる能力は? [1]

バブルの崩壊以降、少しも良くならない景気。
その上、金融危機でいつ失速するか分からない世界経済。それなのに、司令塔たる政府は無策なままで、この国の統合機関の空転はひどくなる一方です。
学者や官僚は、誤魔化しの弥縫策しか打ち出せず、経営コンサル等も同様で、小手先の方法論しか提示できません。事態は悪化するばかりなのに、講演などを聞きに行っても、この状況を打開する抜本的な答えを語る人は誰もいません。
明らかに、時代はかつて無かったほどの大きな転換期を迎えています。おそらく今回の大転換は、ありふれた企業理念や小手先の方法論では生き残れないでしょう。
時代はもっと根本的な転換期を迎えており、この大転換に対応する為には、この転換が何を意味しているのかを理解し、現在すでに形成されつつある人類の新たな活力源と、それが生み出す新しい社会の姿を明確に掴む必要があります。


企業経営者、生産者にとって、「これからの時代はどうなるのか?」「生き残っていくにはどうしたらよいのか?」「そのために求められる能力は?」etc. 
これらに対する答え=次代認識が生き残りの分かれ目になるでしょう。
日本の産業界は、戦後の高度経済成長~バブル経済~バブル崩壊後の長期不況という経過を辿って現在に至り、ここ数年は戦後日本を支えてきた大企業すら機能不全に陥り迷走しています
こうした歴史構造をどのようにとらえるべきか 🙁
本シリーズでは、こうした日本の産業界の歴史をあらためて整理し「大衆の需要と期待」「生産様式と産業構造」「市場と経済政策」等の切り口で、構造化を試みます 🙂 そしてその先に、この大転換の時代に予測される課題と道筋を探っていきたいと考えています
第一弾の今回は、1945~1970年、いわゆる高度経済成長を遂げた時代です。
戦後の焼け野原からスタートし、生産と消費を拡大させながら、豊かさを達成してきました。
現代に至る日本の産業構造、企業のあり方、生活スタイルの基礎が形成された時代でもあります。
特に注目、解明すべきは、史上空前と言われる高度経済成長=市場拡大はどのように成立したのかという点です。
■戦後経済復興期 1945年~53年(朝鮮戦争休戦) 
終戦から朝鮮戦争開始までの日本経済の戦後復興は、財閥解体、労働民主化、農地解放と言ったGHQの民主化政策により個人消費が増大し、傾斜生産方式という政策で鉄鋼石炭に資源を集中して配分することで生産力が回復し、そこに朝鮮戦争特需が加わり本格的復興の基礎をつくったと言われていますが、実際は違うようです。
GHQの政策の目的は日本産業の力を弱めることが目的であり、国民生活に必要な最低限の生産能力さえ確保出来れば良いと考えていました。
最低限の生産力を超える工場は財閥が所有する工場を中心に、戦後補償のために徴収されることを予定されており、企業の生産意欲をそいでいました。
また、労働の民主化は、炭鉱、鉄鋼、鉄道など多方面での労働争議を発生させ、日本の生産力向上の大きな妨げになっていました。このような状況で取られた傾斜生産方式は、石炭と鉄鋼の分野に資源を集中しても思うような増産効果を上げられず、圧倒的に不足していた消費財生産に寄与するどころか、消費財生産に必要な資源を奪い、足を引っ張る結果になりました
政府は、石炭鉄鋼増産のために必要な資金を通貨供給量の増大でまかなおうとし、戦後4年間で物価が100倍というインフレ状態を作りだし、それが民間企業の堅実な設備投資を妨げるという悪循環に陥ります。このような状況を改善するために緊縮財政をひいたのが有名なドッジラインですが、これもインフレは抑制しましたが単に不景気になっただけで生産力の上昇には寄与しなかったようです。
1945年から52年まではアメリカの占領下にあり貿易も制限されていました。
貿易が再開されたのは1947年ですが、朝鮮戦争が始まる52年までは貿易赤字が続きアメリカの援助で補填されていました。
当時の最大の輸出品は綿織物で、繊維関係が50%以上でした。
繊維産業は原材料を輸入に頼ることから利益率が低く化学繊維への転換を目指していましたが、技術力が低く輸出できる状況ではなかったようです。
この時期に、日本の生産力が回復に向かった最大の原因は、共産主義の台頭に驚異を覚えたアメリカが、日本の占領政策を転換し、戦後補償のための工場の徴収を中止し、財閥の解体を緩和し、労働運動を抑制したことでした。47年の二・一ゼネスト中止指令はGHQが労働組合に出した指令です。
アメリカの政策転換の極めつけが朝鮮戦争であり、日本は朝鮮戦争特需で生産力を回復しました。主要な輸出品は衣料や毛布、土嚢用の麻袋などの繊維が中心で、糸へん景気とも呼ばれています。
朝鮮戦争最後の都市には兵器の生産まで任されることになります。
当時の日本の産業界は大量生産における品質管理のノウハウがなく職人個人の能力に頼っていましたが、戦争で使う物資の品質向上のためアメリカから技術者が送り込まれ最新の品質管理技術を習得します
これが、その後の高度経済成長を支える生産力の基礎になりました。
朝鮮特需でなんとか生産力は回復に向かいましたが、日本の国民総生産が戦前の最高水準まで回復したのは朝鮮特需も終わった1956年でした。
参考
a.戦後復興期 [2]財閥解体と戦後日本の経済復興 [3]朝鮮特需 [4]戦後の繊維産業 [5]戦後の造船 [6]
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■内需主導型の本格的な経済成長期 1954年~64年
朝鮮戦争が休戦した1953年以降、日本経済は本格的な内需主導型経済へと転換していきます。
朝鮮特需により、日本経済は敗戦後の状態から急速に回復、貧しいながらも国民は安定した所得を得るようになっていた時代です。ちょうど1953年にはNHKテレビ放送が開始され、翌54年にはテレビ・洗濯機・冷蔵庫のいわゆる「3種の神器」キャンペーンが展開されます。
その後も自動車、カラーテレビ、電気釜、電気掃除機など、次々と各企業が新商品を開発、発表します。キャンペーンによる刺激も手伝い、国民の消費意欲は非常に旺盛でした。
同時に、1955年には日本住宅公団が設立されるなど、都市化=農村共同体離れも進展していきます。
これは、集団規範からの「自由」と引き換えに、共同体内で無償で行われていたさまざまな相互扶助的営みをカネやモノによって解決せざるを得ない状況になることを意味し、市場拡大に寄与する大きな要因となっています。
国の政策も、それまでの直接的統制経済から混合経済に立脚した競争的市場経済へと移行し、重点産業も合成繊維や石油化学などの石油系や電子工業、一般機械などへと移ります。このことも、経済の急速な拡大を後押しします。
以上のような状況から、新商品を出せばすぐに売れる時代であり、企業もより大きな利益を上げるために効率的な生産体制を整えていきます。このようにして、1955年から1960年までの5年累積で名目GDPは91.3%成長し、「もはや戦後ではない」などと言われるようになります。
冷蔵庫・テレビ・乗用車の生産もそれぞれ5年で50倍、34倍、12倍にまで成長しました。
この時代のリーディングセクターには、それまでの鉄鋼業に加え、一般機械、電気機械、輸送用機械などが加わり、1960年代に入ると、徐々にサービス業も比率を増していきます。
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     画像はこちらからお借りしました。 [7]
■内需主導から外需主導への移行期 1965年~69年
65年前後から、それまで好調だった内需に陰りが見え始め、日本の産業は、内需主導から外需主導による経済成長へと舵を切ってゆきます。
64年、日本はIMF8条国へ移行し、貿易と為替が原則自由化され、本格的な開放経済体制へ移行。外需主導への足がかりとなります。
65年には戦後初の建設国債 6750億円を発行し、以降、毎年発行され年々赤字額は増大していきます。
建設国債とは、主に道路、住宅などの公共事業の財源にあてるために発行される国債ですが、それまでの内需だけではそれまでのような経済成長が維持できないため、国が借金をして公共事業等の需要を意図的に作り出し始めたのです。
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     画像の確認 [8]
一般に、この時期はいざなぎ景気と呼ばれ、戦後最大の景気拡大期間とされていますが、実態は、物的欠乏を強く刺激する新商品の開発によって支えられた、苦し紛れの経済成長であったと言えます。
例えば、‘64東京オリンピックのカラーテレビ放送を機に、カラーテレビの需要刺激、日産のサニー、トヨタのカローラなどの大衆向け低価格車発売に伴い、マスコミを中心にマイカーブームを扇動するなど、刺激なしにはそれまでのように経済成長できない状況だったのです。
また、貿易では、カラーテレビなど家庭電化製品・自動車等の対米輸出拡大などを通じて鉄鋼、自動車、船舶、化学繊維の輸出が大幅に増加してゆきます。
この貿易の活性化と国内の消費を受け、日本の製造業も、鉄鋼業と一般機械、電気機械、輸送用機械などの機械産業が成長。設備投資額も3倍になるなど、国内の生産体制が一気に高められることになります。
また、小売が拡大していったことから、卸売り・小売、サービス業も大きく伸び、特にスーパーマーケットの拡大は「流通革命」と呼ばれました。
また、この頃から、公害の悪化や環境破壊の深刻化に伴い公害対策基本法が制定されるなど、市場拡大による弊害が露呈し、拡大を歯止めする動きも生まれてゆくことになります。
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     画像はことらからお借りしました。 [7]
◆日本戦後産業史年表◆
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   画像の確認 [9]
戦後日本は、短期間のうちに史上空前の高度経済成長を遂げました 1960年代の平均実質成長率は11.6%
この経済成長は、1970年代以降の国債投入やバブルによる「まやかしの成長」とは異なる、いわば「本物の経済成長=市場拡大」だと考えられます。
こうした経済成長=市場拡大が成立したメカニズムを整理してみます。
1.第二次世界大戦の敗戦によって、生産基盤が破壊され、大多数の国民が貧困(飢餓)に陥り、圧倒的な物的欠乏状態にあったこと。貧困(飢餓)の圧力を下敷きとした物的欠乏、私権欠乏が広範に存在することが市場拡大の前提。
2.占領軍による財閥解体、農地改革、労働民主化。
「民主化」の名の下に、集団が解体され、個人個人が私権を追求することが是とされたこと。戦後すぐは困窮と混乱の時代が続くが、私権への欲望の開放、正当化は、後の市場拡大の布石となったと言える。
3.大きな転換点となったのが、1950年の朝鮮戦争による特需。古代から、略奪によって市場拡大の原資が蓄積されるパターンは多いが、この場合も戦争のおこぼれに与るかたちで、経済成長=市場拡大の原資が蓄積されたと言える。
4.マスコミの登場と欲望、物欲の刺激。朝鮮戦争休戦の53年、テレビ放送開始と同時に内需ブーム、54年に三種の神器キャンペーンetc 1950年代半ばから、耐久消費財の内需が爆発的に増大するが、これは利便性や快美性を煽る情報によって、人々の欲望が次々と刺激され肥大化していったということだろう。
これに応えるかたちで、生産効率の高い産業体制(大企業の利益競争体制)が整えられてゆく。こうした内需主導による本格的な経済成長=市場拡大が1960年代半ばまで続く。
5.1960年代半ばには、内需主導から輸出主導の経済成長=市場拡大へと移行をはじめる。これはおそらく、国内の強い内需(一時は無限と思われた物欲)が既に陰りを見せ始めていたということではないかと思われる。
もうひとつ特筆すべき点は、本物の経済成長=市場拡大が成立した時代は、驚くほど短かったということです。
強い需要(物欲)に導かれて、生産が拡大し、所得が増え、さらに消費が拡大するという市場の拡大再生産サイクルが成立したのは、わずか十年あまり。
1970年代に入り、豊かさが実現され、貧困(飢餓)の圧力が克服されると、市場、産業界は大きな転換を迎えることになります。
参考
私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた [10] 

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