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外国から見た江戸時代以前の日本の姿-1

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外国人から見た江戸時代以前の日本の姿を紹介。そこには、取り戻したい日本人の姿がある。 ~「逝きし世の面影」 渡辺京二著より~ ■第一章 ある文明の幻影

●ヒュースケン(通訳)の日記 1857(安政4)年12月7日 いまや私がいとしさを覚え始めている国よ。この国の人々の質樸な習俗と共に、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨な物を見いだすことが出来なかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない。

●ローレンス・オリファント 日本人は私がこれまであった中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうとも支那へいくのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます。

■第二章 陽気な人びと

●ボーヴォワル この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。

●ルドルフ・リンダウ(スイス通商調査団の団長) 日本人ほど愉快に成りやすい人種はほとんどあるまい。良いにせよ、悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。

●A・ベルク(オイレンブルク使節団報告書の著者) 彼らは、話し合うときには冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである。

●リンダウ いつも農婦達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持ってきてくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。・・・最も大胆な者は私の服の生地を素手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。いくつかの金属製のボタンを与えると・・・『大変有難う』と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、まったく驚いた次第である。 私が遠ざかっていくと、道の外れまで見送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ、『さようなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情の籠もった声が聞こえるのであった。

●ジョン・R・ブラック(『ヤング・ジャパン』著者) 彼らの無邪気、素直な親切、むき出しだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。 一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった。

■第三章 簡素とゆたかさ

●タウンゼント・ハリス(日本滞在記著者) 柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。 世界のあらゆる国で貧乏にいつも付きものになっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。それでも人びとは楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい。 私はこれまで容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉付きがよい。彼らが十分に食べていないと想像することもいささかもできない。

●オールコック 封建領主の圧政的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく工作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、これが圧政に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、またこれほど穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった。 自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない。

●ヒュージッセン・カッテンディーケ(長崎海軍伝習所・教育隊長) 日本人の欲望は単純で、贅沢といえばただ着物に金をかけるくらいが関の山である。・・・上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、貧乏人だとて富貴の人びととさほど違った食事をしているわけではない。 日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人びとの館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。

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