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目を合わせるのが苦手な人へ

「人と会話をする時に、目を合わせるのが苦手」そんな声が若者を中心に出てくる。
聞くと、「恥ずかしい」「全て(自分の内面も)見られている感覚」があるという。

こんなデータがある リンク [1]
「他者の視線が怖いと感じたことがありますか?」という質問に対しても、全世代の約半数(47.4%)が「とてもある」「たまにある」と回答。こちらも平成世代が61.8%、昭和世代が37.5%と、平成世代の方が他者の視線を怖いと感じたことがある経験が特に多いことがわかりました。
また、「とてもある」と回答した割合を世代別に見てみると、各世代で女性の方が多く男女差が顕著で、特に10代女性では約4割にも上り、他者の視線が「怖い」という感情は、女性の方が抱きやすいことが明らかとなりました。
「相手の目を見て話すことが苦手ですか?」という質問に対して、全体の43.8%が「とても苦手」「やや苦手」と回答しました。中でも平成世代は53.5%が「苦手」と回答しており、直接相手の目をみて話すことが「苦手」な世代であることがわかりました。
若い年代ほど、他者の視線に対して「ストレス」や「怖さ」を感じる頻度が高く、相手の目を見て話すことが苦手であり、これらの結果から、若い年代ほど視線耐性が低いということが明らかとなりました。
=引用終わり=

一方で、よく「目は口ほどに物をいう」「目を見て話を聞け」と言われている。
会話、コミュニケーションの本質はどこにあるのだろうか?

ある人は、合気道・気を合わせることだという。
ある人は、呼吸を合わせることだという。
ある人は、目合いという。

そのどれも間違ってはいないだろう。
つまり、気にしろ、目線にしろ、空気にしろ、『相手と自分を合わせる=一体になる』ということ。

目を合わせられないという人は、「相手と一体になるのが怖い」ということではないだろうか。
近年、「イケナイ女性が多い」というものとも繋がっているように感じる。
なぜ怖いのか?
それは、幼少期の母親との充足不足かもしれないし、「個人主義」主体の教育で本当の意味で一体になる経験が浅いからかもしれない。

しかし、人類本来の充足は、相手との一体化にある
赤ん坊の笑顔を見れば明らかで、母親に抱かれ、目を合わせ、呼吸を感じる瞬間が最も充足する瞬間。
それは、大人になってからでも一緒。
会話が好きな人、人が好きな人は、自然と目が合う・呼吸が合う。
周りと一体化しようとしていて、何より楽しく生きている印象がある。

目を見れない人、会話が苦手な人は、まずは“意識して“相手と一体になろうとしてはどうだろうか
一度その先にある充足を体感すれば、自然とできるようになるだろう。
※勘違いしてはいけないのは、目を合わせることが目的ではなく、
相手と一体になり、互いに充足を得ることが本来の目的だということ。

参考になりそうな内容 リンク [2] <まぐはひ呼吸>

[3] [4] [5]