- これからは探求の時代 - http://bbs.kyoudoutai.net/blog -

先端企業の戦略(4) ~・店は客のためにあり・~

「店は客のためにあり、店員とともに栄える」
これは、めざましい躍進を続けるアパレル業界のリーディングカンパニー、株式会社ユニクロ代表取締役会長兼社長、柳井正氏の「座右の銘」です。「ユニクロ」の誕生から、その後の発展の歴史は、「この言葉」の実践の歴史と言えます。

〇窮地からSPAへ
実父が石炭会社「宇部興産」の企業城下町の商店街に開業した紳士服店「小郡商事」に、柳井正氏が入社したのが1972年、1984年には代表取締役社長に就任します。

この頃、エネルギー革命による石炭産業の衰弱と生活圏の郊外化により地元商店街は衰退の真っ只中でした。

[1]

(写真はユニクロ創業の地、山口県の宇部商店街 ※写真はこちらからお借りしました [2]

柳井氏は、「客のため」になっていない商店街の服飾店という業態には未来がない!と感じていました。
このとき柳井氏が目指した「客のため」の業態こそ、当時は業界内で誰も注目していなかったSPAでした座右の銘である「店は客のためにあり」は「人々の意識を掴み迅速に商品化する」という「目標」となり、SPAの成功へと具現化され、「ユニクロ」の誕生へとつながっていきます。

アパレル商品の企画から製造、販売までの機能を垂直統合したビジネスモデルで、日本語では普通「製造小売業」と訳されます。企画から製造、販売までを垂直統合させることでSCM(原材料の調達から最終目的地での製品の配送までの製品やデータなどの管理)のムダを省き、消費者ニーズに迅速に対応できます。

柳井氏は、SPAを「客が求めるもの、客の表情を、小売店だけでなく、メーカーで共有するためのもの」と捉え、SPAが『客のために』を実現すると考えました。SPAであれば原価がダウンするから儲かるという単純なことではなく、客の声を共有するための手法だと柳井氏は言います。

SPAという「入れ物」に魂を込めなければ機能しません。そこで、ユニクロは、PMF(Product Market Fit)つまり、顧客を満足させる製品を提供し、それが適切な市場に受け入れられている状態を目指すことを徹底していきます。

〇顧客を満足させる製品と適切な市場の模索
ファミリー層が求めるのは、年齢や性別に関係なく着用できる普段着。買い求められるのは1商品あたり1000円前後、客からは「コストと品質」がシビアに要求されます。

ユニクロにとっては、安くて品質が高い普段着を仕入れることが至上命題となります。品質の良いカジュアルウェアを安価に確保する必要がありました。そこで、中国メーカーに大量発注するために、店舗数を急拡大していきます。

1984年、広島市内の繁華街にユニクロ1号店を開業するも、業績は振るわず都心型店舗展開は頓挫します。

しかし、翌年には嗜好を変えロードサイド郊外店へと舵を切り替え、下関市に「ユニクロ山の田店」を開業します。当時、ロードサイド店舗は珍しい存在でしたが、自動車を所有するファミリー層から支持されました。このロードサイド店舗展開がユニクロにとっての適切な市場となっていきます。

[3]

(写真は1号店があった場所 photo taken by Taisyo [4]

〇PMFを動かす両輪(人とシステム)~客と共にあるための人材育成
柳井氏は言います「日本の商業の一大欠点は、他人のものを売っていると思っていること。だから、中国冷凍ギョーザのような事件の時に、対応がすっきりしない。自分でつくって、自分で売る気概が必要です」

これは単に製造販売を統合するSPAをすればよいということではなく、同時にPMF(市場適合)の実現が必要なのです。このPMFの実現こそ店は客のためにあり」の実践であり、それは、客の声を聴くことに始まります。

「店を客のためのものにする」には、「店員が客と共にあること」が必要不可欠です。柳井氏は「客の声を聴ける」人材育成と人事制度の確立に力を注いでいきます。ユニクロは、急速な店舗展開と共に、人材育成のための人事制度を整備していきます。そして、年功序列ではなく実力主義による人事を基本方針に据えました。

〇「実力」=「客と共にある力」を評価基準に、そしてDXの先駆者
店舗運営においての評価基準は「買いやすい売り場づくり」を行なっているかどうかで判断されました。実力主義によって昇格・昇給が決定され、年功序列を排除したシステムを導入しました。降格もあり得る人事制度で、当時の日本企業としては異色の評価制度を導入したのです。

ユニクロは今話題のDXの先駆者でもあります。「店員が客と共にあるために」瞬時に正確に客の声を掴み、店員と共有する必要があると考えました。1992年に店頭の販売データを即時に共有できるコンピュータシステム(POS)を稼働させ、瞬時に正確に客の声を掴むことを実現しました。

SPAという枠組みとPMFという魂。それを動かす両輪「人材育成」と「DX」。全ては「店は客のために」の実践のための必然だったのです。

この徹底した「客のために」が大きな飛躍の原動力となり急成長を遂げます。
その後、1997年に始まったフリースブーム、東レとの提携、そして、ヒートテックなど数々のヒット商品を生み出し、今や年間総売上約2兆円でアパレル業界世界3位、2021年には株価時価総額10兆円を超えアパレル業界世界1位(現在は円安、日本株安もあって約8兆円、世界第3位)と、登りつめ、現在も躍進を続けています。

[5] [6] [7]