こんにちは 😀 !よしたつです 
共同体の挑戦シリーズも今回で6回目を迎えました!このシリーズも残すところあとラスト1回です。かなり好評なシリーズだったので最後までこの勢いを保ちながら駆け抜けていきます!!
1.「共同体の挑戦シリーズ1」~若き事業家たちと確かな時代認識~ [1]
2.「共同体の挑戦シリーズ2」~権力体より共同体のほうが適している~ [2]
3.「共同体の挑戦シリーズ3」~合議制のカギは事実の共認にある~ [3]
4.「共同体の挑戦シリーズ4」君は、どこまで次代を読めるか1~精神破壊編 [4]
5.「共同体の挑戦シリーズ5」君は、どこまで次代を読めるか~市場崩壊編 [5]
では、早速今回の投稿のあらましですが、前々回、前回の『次代を読む 精神破壊編・市場崩壊編』を受けた上で市場社会の渦巻くエネルギーの原動力は一体何であったのか、そして、現在人類が全的な活力不全状況に陥った原因の追求とその突破口を見ていきます。本文は短いですが、深い内容が凝縮されていますので、その解説と共に一緒に見て深めていきましょう。

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だが、これは単に市場社会200年の終焉なのではない。市場の背後には、性市場(恋愛=性の私的選択の場)があり、性市場の奥には、性闘争(メスの獲得を巡る、オス同士の闘い)の本能がある。そしてこの性闘争→私権闘争(地位やお金を巡る闘い)の活力こそが、市場拡大の原動力と成ってきた。ところが、’70年以降、それらの活力が衰弱し始め、とりわけ’90年以降、あらゆる活力が衰弱して、社会は急速に衰弱と混迷の度を深めつつある。
産業革命以降、農業生産から工業生産へと生産主体が移行し、市場の場が一部の富裕層の為の場から、全ての階級層の場へと転換し、人類が全的に市場社会に組み込まれるようになって200年が経ちました。貧困の圧力が全的にかかっている状況下においては、人類の活力は豊かさ実現が根本にあり、お金、地位、名誉などまさに私権そのものの獲得を目指していたのです。

ここで、最も重要なのは市場の原動力が性市場にあるという観点です。この視点で物事を捉えていくとかつての人々の意識がよく見えてきます。
特に日本において、’70年、カラーテレビ、洗濯機、冷蔵庫など生活必需品が全ての家庭に行き渡ると、豊かさの獲得の意識は徐々に陰りを見せ始めます。そして、日本人のほとんどがこの時期に欲しい物が無い代わりに一方で貯蓄に精を出すようになります。銀行はお金が増えすぎるとその貯蓄を元手に土地を証券化してマネーゲームをし、土地バブルが起きたというのが実態です。この現象からも私権の衰退の兆しを感じることができます。
それから90年以降になると、そこに輪をかけたように活力がますます衰退していきます。それは91年ソビエト崩壊を皮切りに、バブルの崩壊、山一倒産など、景気の下向き現象が顕著に表出するのです。そして、当時の現象をみると、フリーターの増加、リストラの増加、3年で辞める若者の増加、転職の増加、就職氷河期という形で最悪な方向に進展していきました。これはまさにひどい活力衰退状況の表れといわずになんと言えるのでしょうか。

このように市場社会は、私権闘争(性市場)の終焉を告げることになったのです。
これは少なくとも、私権闘争を活力源にし、その強制圧力(私権を獲得しなければ生きてゆけないという、否も応もない絶対的強制圧力)によって統合されてきた私権時代3000年の終焉である。
ここで、もう一歩深く踏み込んで、私権時代3000年について考えてみると3000年前は略奪闘争が始まり武力国家の誕生するあたりから現在までを言っています。とりわけ欧州諸国では、奴隷だろうが農民だろうがこの地に生を受けた途端に身分が確定し、城主に搾取される構造に組み込まれます。そこでは生きる為に働くしかないため、必死に働いて糧を得るしかなかったのです。そして、そこでの活力は、その苦しい生存圧力への克服のために働くことに従事することだったのです。
’70年の豊かさの実現によってもたらされたのは、この市場社会も包含した私権時代3000年の終焉を意味しているのです。

だが私権時代を通じて、国が滅亡することはあっても、人類が滅亡の危機に陥ったことは一度もない。とすれば、この滅亡の危機は、人類が私権時代3000年をも超えた、もっと根底的なパラダイムの転換期を迎えた事を示唆している。つまり人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られているのである。
では、豊かさの実現後の活力再生の可能性はどこにあるのでしょうか。
実は、日本の特殊性が可能性なのです。日本は、場所柄偏狭の小さな島国であったため、略奪闘争の渦に巻き込まれることがほとんどなく、戦前の頃まで採集時代のような集団体質=共同体色が色濃く残っていました。つまり、農業主体の社会を長く続けていくことができた結果、貧しくとも集団の中で活力を見出せていたのです。つまり、重要なのは活力源は私権闘争の中にしかないわけではないということです。集団の中に、むしろ根源的な活力源が存在しているのです。

だというのに、今や政治家、学者が躍起になってやっている事と言えば、私権闘争での活力再生の道を無理に探し出そうとしています。それが無駄なことなのは、人類にかかる圧力構造を見たら自明なことです。貧困を克服してしまった今、私権ではもはや活力源にはならないのです。
だからこそ、重要なのは集団の中での活力に目を向けること。つまり、活力再生には、集団の再生が絶対に欠かせないのです。これが共同体企業こそが次代の可能性の根拠になります。
次は本シリーズ、ラスト最終回です!共同体の挑戦シリーズ大団円となりますように!!是非とも楽しみに待っていてください。