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『生き続く企業とは?』~永く拡大していく企業の真髄は戦略的人脈ネットワークの構築にある~

前回の『生き続く企業とは?』~婿入り→継承~ [1]では、婿入り婚戦略が市場の中で永年生き残り、拡大してきた企業の優れた継承システムであることを明らかにしました。
今回は引き続き、生き続く企業の「戦略思考」の真髄に迫っていきます。

■「銅の可能性」に照準をあて、基盤となる技術を戦略的に取り込んだ
住友家の初代・政友(1585~1652)は、京都で「涅槃宗」(リンク [2])の開祖に弟子入りし僧侶になります。政友がいた涅槃宗は、後陽成天皇の庇護を受け、大名や京・大坂・博多の商人に幅広く信徒を獲得します。政友が、中国・欧州との交易の最前線である北九州と、商業の中心地である京・大坂を繋ぐ信徒の情報網から、最新の海外情報を得て、今後の銅貿易の可能性を掴んでいたのは間違いありません。

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画像は『鎖国下日本と世界に繋がる海の交易ルート:西鶴文学を視座として』 [4]森田雅也
関西学院大学人文学会2018.2からの抜粋

同じ頃、後に住友家の「業祖」と呼ばれることになる蘇我理右衛門(1572~1636)が、京都で銅精錬と銅細工の店「泉屋」を開業します。理右衛門は異人から聞いた方法を基に、当時の日本には存在しなかった粗銅から銀を分離する「南蛮吹」の技術を完成させます。そして、理右衛門は涅槃宗の熱心な信徒でもありました。

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住友家が刊行した南蛮吹の様子を収めた『鼓銅図録』。
画像は住友グループ広報委員会 [6]からお借りしました。

涅槃宗が江戸幕府の宗教政策で天台宗に吸収された後(1624年頃)、政友は京都で「富士屋」という書物と薬の店を開きます。戦国の世から太平の世へ移り変わって市場が大衆にまで拡大する動きと、銅貿易の可能性を掴んでいた政友は、その実現基盤となる銅の精錬技術を持つ理右衛門(蘇我家)との関係を強固なものにします。

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住友家と蘇我家の関係図:⓵住友政友と蘇我理右衛門は義兄弟。 ⓶友以が蘇我家から住友家に婿入り。 ⓷友以の最初の妻(政友の娘)と政友の息子が早世すると、お亀を友以の後妻にする。

住友家が婿入り婚によって戦略的に銅の精錬技術を取り込んだことが、ここまでの経緯から見て取れます。

住友家を継いだ友以は、人脈ネットワークを戦略的に築いていきます。まず、水運が発達し物流の拠点となる大坂に出店と銅吹所(銅の精錬所)を設けます。
さらに、最先端の技術を大坂の同業者に公開することによって、大坂を銅精錬の中心地とし、銅貿易拡大の基盤となる人脈ネットワークをつくり上げていったのです。

■国内外市場の拠点に人脈ネットワークを築いた
17世紀初めの日本では、幕藩体制が確立し国内秩序が安定したことにより、将軍・大名をはじめとする上流階級に広がった絹織物などの贅沢品の需要を満たすべく、海外からの輸入品(中国→ポルトガル・後にオランダ商人を経由した絹糸)が増大します。その代金として支払われた金銀が、日本から大量に海外へ流出していく状況にありました。そこで幕府は、金銀の海外流出を抑制するために、銅の輸出を奨励します。

一方、江戸・大坂といった城下町では都市住民が増大し、上流階級と大商人層だけではなく庶民層にも貨幣経済が浸透していきます。庶民層の商取引に金銀の貨幣では価値が釣り合わないため、幕府は自国の銅銭である「寛永通宝」を発行します。こうして、通貨の原料として銅の需要が著しく高まっていくのです。

住友家はこの様な状況の変化に対して誰よりも早く照準を絞り、新たな戦略を立てて動いていきます。

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銅需要の拡大を読んで、京→大坂へ本店と銅吹所を移すとともに、国内市場の中心地である江戸と、海外貿易の中心地である長崎に相次いで出店を設けます。

さらには年々増大し続ける銅の需要に応えるべく、1690年には日本最大の銅の鉱脈を持つ別子銅山を開坑。銅精錬→銅貿易→銅山開発へと事業を展開し、住友家は江戸時代を通して日本の市場経済を支え続ける地位を確立します。

■生産→販売→物流を貫通する人脈ネットワークを構築
こうして住友家は、長崎に出入りする日本人の商人、オランダ・中国(清)の商人とも強固な関係を築き、最新の国際情勢を直接得ることが可能になりました。そこで得られた新たな情報から照準・戦略を組み替えていった住友家は、明治維新を迎えた際にも新政府と対等に交渉を行い、別子銅山の経営権を守り抜き、富国強兵を進める近代日本の経済を牽引する財閥企業へと発展していきます。

住友家は銅を軸として、生産→販売→物流を貫通する人脈ネットワークを戦略的に構築、上流から下流まで多様な情報を獲得して事業の領域を拡げていくことを実現したのです。

住友家がいかに事業を継承、拡大してきたのかを通じて、「婚姻」も「技術」も「営業」も「情報」も、全ての戦略は人脈ネットワークを構築する手段であることを明らかにしました。

生き続き拡大していく企業の真髄。それは、「戦略的人脈ネットワークの構築」にあるのです。

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