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共同体社会の実現に向けて【12】 新時代を開くのは、共同体企業のネットワーク(上)

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前回記事 [1]のように、今後、経済がリセットされると、国民性の違いによって、秩序が維持できる国・崩壊する国に分かれると予測されます
共同体質が残存する日本は、しばらくは秩序を維持できると思われますが、中央銀行体制のままでは、新紙幣は信認されず、いずれ崩壊する可能性が高いです
よって、長期的な秩序維持のためには『中央銀行廃止→国家紙幣』を掲げる新勢力による政権が不可欠となります
リセット前にある程度の備えができていた方が、秩序を維持したまま新しい社会に移行できる可能性は高くなると考えられますが、そのような勢力は登場するのでしょうか
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【共同体社会を実現するのは、共同体企業のネットワーク】 [2]
序2で、これまでの私権社会を動かしてきたのは、武装勢力や金融勢力であることを明らかにしたが、それでは、次の共認社会を動かす中核勢力は、どのような勢力になるのだろうか?
共認原理の社会とは、万人が状況を共認し、課題を共認し、規範を共認することによって統合される社会であり、そこでは、社会を統合するのは、共認力となる。
(共認力は、猿・人類に普遍の統合力であるが、民主主義の信者をはじめ旧観念派が生息している間は、それらを倒す制覇力ともなる。)
従って、共認社会の中核勢力とは、何らかの新たな共認勢力である。
そう書けば、何のことだか掴み所がないが、個々の集団を超えた超集団的な地平にあって、社会を統合する共認勢力は、すでに存在している。
それは、大学とマスコミである。
そして、それらの教宣機関こそ、自我を暴走させ、人類を滅亡の淵に追い込んだ、民主主義や市場主義をはじめとする近代思想の砦である。
従って、大学やマスコミに代わる新しい共認勢力こそが、共認社会の中核勢力となる。
では、それは、どのような勢力で、どのようにして形成されてゆくのか?
序2で明らかにしたように、人々が目指している新しい社会とは、共認社会であり、その基礎単位は、共同体企業である。
従って、それを実現するのにもっとも適した運動体は、共同体として先行する企業群の何らかのネットワーク以外にはない。
この企業ネットワークは、リセット後の大混乱のなかで、一気に勢力を拡大して新政権を樹立する運動の中核勢力となるが、そのためには、この新勢力がリセット前に登場し、ある程度まで次の共認社会を導く理論面および組織面の準備を整えておく必要がある。

誰もが私権(地位や財産)に収束する私権社会では、私権の獲得に必要な力がモノをいいます。よって、力の強いものが力の弱いものを従える「力の原理」によって社会は統合されます。その力は、武力闘争の社会では武力、市場競争の社会では資力であるため、私権社会を動かす中核勢力は、武装勢力や金融勢力でした。
%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%A2%A8%E6%99%AF.jpg社会が共認原理に転換すると、人々の共認を形成していく力が統合力・制覇力となります。’70年以降、共認形成の場を牛耳る大学やマスコミが社会を統合する共認勢力となり得たのも、そのためです。
しかしその結果が現在の地球危機、経済危機です。今後、経済リセットなどの事態が起これば、教宣機関によって流布された近代思想の架空性・欺瞞性は誰の目にも益々明らかになります。近代思想から抜けられない教宣機関には、何の可能性も残っていません。

%E5%8A%87%E5%A0%B4%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%86%99%E7%9C%9F.jpg次の共認社会を動かす共認勢力は、現実を直視し、現実に立脚してモノを考えられる人々であることが条件となります。つまり、現実社会で適応可能性を模索し続けている、地に足のついた生産体です。中でも、共認原理への大転換という現実を捉え、共同体的経営を実践している共同体企業のネットワークこそが、もっとも適した共認勢力となるのです。
参考
共同体社会の実現に向けて【3】私権時代から共認時代への大転換(上) [3]
共同体社会の実現に向けて【4】私権時代から共認時代への大転換(下) [4]

果たして可能なのか?
まだ、一定の時間が残されているとして、その実現基盤を考えてみよう。
もっとも根底的な実現基盤は、序2で示した私権収束から共認収束への人々の意識潮流の大転換である。
それに伴って、人々の活力源も、私権欠乏(自分の地位や財産の欠乏)から共認欠乏(人々の期待に応えて得られる充足の欠乏)に大転換した。
いまや大半の経営者が、これまでの私権圧力では社員の活力を引き出せなくなったことを、肌で感じている。さらに過半の経営者にとって、これからは「社員の活力の高い会社が勝つ」「女が元気な会社が勝つ」という状況認識は常識となっており、従って、社員の活力の上昇が中心的な戦略目標となっている。

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しかし、企業の成員の意識潮流、活力源の大転換 により、もはや私権では統合できず、活力も生み出せなくなっています。 これは、社会的な大転換であり、企業の適応軸・存在意義も大転換しているのです。
共認原理による企業統合とは、成員皆が状況を共認し、課題を共認し、規範を共認することによる統合です。当然、企業組織もこれらの共認をより深められるように変えたほうが社員活力は上昇し 、成果も上がります。 情報が偏在し、私権の軸上でしか評価がなされない旧来の私権企業は、大転換が必要です
そして近年、こうした状況を捉え、社員活力の上昇を最優先に、経営者自ら共認原理による企業経営を模索し、転換する企業が現れ始めています。

【企業の共同体化を妨げているのは、古い観念】 [2]
このような意識潮流or土壌のなかから、共同体志向の企業も次々と生まれてきている。
しかし共同体志向の企業は決して多くはない。まして、明確に共同体を目指す企業は、ごく少数である。
それは何故か?
時代が未だその段階まで来ていないからか?それとも、単に古い認識から脱却できずに、認識転換が遅れているだけなのか?
共同体企業として先行する類グループの実感のなかから、その答えを導き出してみよう。
我々は、’72年、類設計室を設立し、これまで水準以上の利益率を維持しながら、いくつかの新事業を加えて拡大してきた。
そのことが実証しているように、貧困が消滅し私権が衰弱し始めた’70年の段階で、すでに共同体を建設することは可能だったのである。
追随する企業がほとんどいなかったのは、共同体を導く新理論が存在しなかったからだろう。
しかし、実は私は、この40年近い期間、「共同体の時代である」と感じたことは一度もない。ようやく「共同体の時代がきた」と実感できるようになったのは、’10年である。
それは、潮流が変わったからであるが、おそらくそれは、’02年、私権収束を導いてきた私権観念(私権を正当化してきた観念群)が瓦解し、人々が収束先を見失って収束不全に陥ったところが起点になっている。
それ以降、一気に潜在思念の期応収束と課題収束が強まると共に、近代を貫いてきた否定(意識)と要求(意識)も息の根を止められて終息した。
このとき共同体は、本当の実現過程に入ったと言えるだろう。
ただ、それが、会議体制に代わる社内ネットの活性化として開花するのに、さらに10年近くを要したということだろう。
実際、共同体志向の企業が目に見えて増えてきたのは、’02年以降である。
以上から判断して、共認収束を強める人々の潜在思念の出口に蓋をし、その前進を妨げているのが古い観念であることは明らかであり、従って、各企業が一直線に共同体に向かえないのも、認識転換が遅れているからに過ぎないと見ていいだろう。
従って、旧観念に代わる新しい認識さえ与えられれば、中小企業を中心に多くの企業が共同体への転換を模索し始めるだろう。
また、原発災害を契機に、多くの経営者が守りに入ったが、危機対応策の一つとして、そろそろ共同体企業のネットワーク化を考えるべき時期にきている。これも追い風となるだろう。

参考 類グループの沿革
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「各企業が一直線に共同体に向かえないのも、認識転換が遅れているから」というのは具体的にはどのようなことでしょうか
TOPIX.jpg日本の企業も改革の必要性は十分に自覚しており、これまでも様々な手を打ってきましたが、人々の活力源が私権獲得からみんなの役に立つことに転換しているのに、私権収束を刺激する改革を続けているため効果が上りません
持ち株会社制度は事業の整理・統合や吸収・合併などを効率的に進めるため、株主重視型経営は利益追求の企業内圧力を高めるため、執行役員制度は商法上の役員数を減らし効率化するため、成果主義は賃金の上下で従業員のモチベーションを高めるために導入されました。
ここれらの改革の背景にある価値観は、如何に効率よく利益を追求するかという1点に収斂しています。私権追究を第一とする私権企業にはもはや展望はありません
かくいう類グループも、共同体を目指しながら設立当初は、全員取締役制度、社長の選挙制度、給与公開制度など今から考えれば私権活力に立脚する制度を実現する事に無駄なエネルギーを費やしてしまいました。それも、民主主義が自我を正当化する旧観念だと見抜けずに、民主主義に基づいて制度を作ろうとしたからでした。
参考 私権企業の企業改革
持ち株会社とは? [5] 
求められる変革・・・株主重視の経営 [6] 
16.執行役員制度について教えてください。 [7]
このままでは成果主義で会社がつぶれる [8]
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これらの企業群の特徴には、社会の役に立つことを会社の目標にする、社員が働きやすい様々な制度を設ける社員同士が話し合える共認形成の場を設けるなどの共通する特徴があります。私権統合の時代から共認統合の時代への転換という明確な論理は持っていなくても、潜在思念で人々の活力源が変わったことを察知し、企業経営に生かしているのでしょう。
潜在思念に導かれる形でもこれだけの企業が登場してきているのですから、明快な理論が与えられ古い観念が取り払われれば、共同体化が答えであることは誰の目にも明らかになります。
参考 社員の活力を重視する共同体企業
全国素敵企業訪問レポート 「わらび座」 [9]
全国素敵企業訪問レポート 「カミテ」 [10]
全国素敵企業訪問レポート 「山形ガールズ農場」 [11]
全国素敵企業訪問レポート 「アイ・タックル」 [12]
以上を図解化すると次のようになります
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’70年の貧困の消滅によって、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換し、活力源も私権欠乏から共認欠乏に大転換しました。’02年以降、潜在思念では期応収束、課題収束が急速に強まっており、共同体は実現過程に入っています。既に、企業の共同体化への残る壁は、潜在思念に蓋をしている旧観念だけであり、旧観念に代わる新しい認識さえ与えられれば、次々と共同体化を模索する企業が出現し得るのです。
前述のように、今後予測される経済リセット後も秩序を維持し続けるためには、リセット前に企業を共同体化し、共同体企業ネットワークをつくっていくことが重要です。つまり現在は、社員の活力→成果を上げるためにも、経済リセット後の秩序を維持するためにも、新しい認識をつくり広げていくこと、そして企業を共同体化してゆくことが求められているのです。
では、具体的にどうやって企業を共同体化していくのか、そのときの最大の壁は何か、引き続き次週に扱います 😛

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