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これからの働き方はどうなる? 5.新しい働き方事例-3 既存の枠組みを脱する、超企業型の働き方

ネットサロン [1]

いよいよ、働き方シリーズも最終回の第5回です。まず、ここまでの流れをおさらいします。

①日本の戦後労働政策の変遷を振り返ると、無理やり働かされるのが労働という貧しい労働観で洗脳されていることがわかる。 [2]

②この貧しい労働観は西洋の奴隷労働が起源。日本には、人類本来の労働観である、生きるためにみんなの期待に答え、自分も充足する行為という労働観が強く残っている。 [3]

③近年登場した、脱企業という働き方は、奴隷労働から脱するために企業から離脱する動きだが、自分のことしか考えていない。脱企業では企業や社会は良くならない。 [4]

④自主管理型は企業における働き方を改善する動きだが、企業で働くこと=利益を上げること、という枠の中にとどまっていて人類本来の労働観を回復するまでには至っていない。 [5]

今回の超企業は、企業という枠を超えて地域社会の役に立つ行動まで取り組んでいる超企業や、地方自治体が企業に近い労働の場の創出に取り組んでいる超自治体の事例です。

従来は、企業は労働=お金を稼ぐ活動を行い、個人は生活=生殖や消費活動を行い、自治体はそのどちらからもこぼれ落ちた問題を処理してきましたが、この枠を取り払い、労働と生活が融合した人類本来の生き方に近い働き方が登場し始めているのです。

事例1 企業⇒社会事業

 ①地域のためならどんなことにも尽力!「中島工務店」

木の家にかかわる人 [6] 中島工務店は、岐阜県中津川市加子母の建設会社。大手ハウスメーカーが戸建て住宅を非木造化、工業製品化したことにより仕事を奪われ、全国で林業と中小建築業者が衰退していきました。それにより加子母のような林業の町では人口の流失も起こりました。それに危機感を感じた中島工務店は、地域の活性化、みんなで助け合っていくコミュニティを作るための事業を開始しました。

地域の復興のために、地域の木材で集成材の製造、在来軸組工法のプレカット加工、造成材の加工、製材品の小売りを行っています。また、職業訓練法人「木匠塾」を設立し建築会社の職人と技術者の育成にも力を入れています。

さらに、生鮮食品などを販売する「ショッピングプラザアトラ」、地域の物産の販売をする「かしも産直市」やブルーベリーなどの農園を経営する「ファンファーミング」なども相次いで興しています。

村の生産と消費を支えている他にも、都会の人を招いて加子母の山に登る「かしも山歩倶楽部(さんぽくらぶ)」や、東京芸大卒の演奏者らによるクラシックコンサート「田中千香士音楽祭」などを仕掛けて地域の活性化に貢献しています。

工務店の木造産直住宅の建築現場で働く職人など下請けの関係者をも含めれば、締めて千人ほどの働く場を提供しています。雇用確保のため、一時、2千万円ほどだった社長の年収も840万円に下げ、本社の建物には工事現場で使うプレハブの2階建てをあて、出費を抑えています。「何も大もうけしようとか、思ったわけではない。過疎化の進む山村で、もっと働く場をつくり出せないか、と考えてきただけです」という中島社長の言葉が印象的です。

中島工務店の注目ポイント

・自社(自分)の利益よりも、地域の雇用を生み出し地域を活性化することを事業の目的として重視している。自給期待・自給志向の時代潮流の最先端を行く企業。 

参考:中島工務店ホームページ [7]働く場所をひねり出す男、木造住宅から農園まで [8]CSRコミュニティー「加子母の桧を使った産直住宅を行う工務店」 [9]

 ②会社が地域のサロン、大里総合管理株式会社

大里総合管理 [10] 大里総合管理は千葉県の大網白里町で主に不動産管理を行っている会社です。アルバイトの学生さんが伐採作業中に事故で死亡し、環境整備の重要性に気付いた事がきっかけで、仕事場を徹底的に清掃するようになり、それが地域の美化活動へと広がり、さらに様々な地域活動を行うようになりました。

大里総合管理では25人の社員が250の地域貢献活動に参加しています。(駅・道の清掃、学童保育、お昼休みコンサート、バス見学会、フォーラム、料理教室、救命救急訓練、フリマ、農業イベント)。例えば学童保育は会社の建物に放課後の子供達を受け入れています。もちろん社員の子供も受け入れており、会社が地域の子供を育てています。これらの活動は全て社員の自主提案で始められています。

社員はいくつかの地域活動の責任者を兼務し、業務時間内に本業と並行して取り組んでいます。250 もの地域活動を行なう一方で、社員に対しての業績目標管理も甘くはなく、パートであっても月20 件の新規開拓目標が課せられています。

本業と地域活動を線引きをしない理由、それは、「地域活動が、その人その人の人生であり、生活であり、仕事である。ワークとライフのバランスというよりも、地域活動はワークでありライフでもある」という考え方からきています。

 大里総合管理の注目ポイント

・本業と地域活動の境界線が無く、どちらもワークであり、どちらもライフであると考える。人類本来の労働観に回帰する最先端の企業。

参考:大里総合管理ホームページ [11]遠藤功の現場千本ノック第16話大里総合管理株式会社 [12]平成24年度おもてなし経営企業選15 [13]

③週4日、社会事業に取り組む旅館吉田屋

旅館吉田屋 [14] 旅館吉田屋は、島根県太田市温泉津町の旅館。後継者が無く困っていた旅館を大学の先生に紹介され、「典型的な過疎高齢化の進んだ街で、やる気のある若い人たちが温泉津のようなところに入って事業を受け継ぐことによって地域を活性化させる──『吉田屋』で、そのモデルケースを創りたい」と24才で若女将に。旅館は採算分岐点を超えている金・土・日の3日だけ営業し経営効率を高め、他の4日は社会事業に取り組むことで、経営と社会事業を両立する事に成功しました。

お休みの4日間は地域維新グループの代表として地域活動に取り組んでいます。「地域から日本を変える」地域貢献活動では、インターン生を積極的に受け入れ、国内だけでなく、世界からも訪れるようになり、年間100名を越すインターン生が、さまざまな目的を持ってやってくるといいます。

次々とアイデアを発揮して、都会の子どもに地場の雑魚を届ける「食育プロジェクト」、高齢者のためのセラピー企画、介護用品の開発なども新たに展開。また、「食と農のインキュベーションのろNOLO」という農場経営にも挑戦し、遊休農地を活用しての、ブルーベリー、とうもろこし、そばなど、農産物の生産、加工、流通、販売事業を行っているほか、“食と農”をテーマに起業・創業を目指す人の支援・育成に取り組んでいます。

また、「若女将塾」という研修会も定期的に行い、若者が起業や会社経営を考える機会を提供した。触発された学生が、起業するという例も増えたといいます。

いまや「吉田屋」は、都市と田舎をつなぐ交流の場として、コミュニティビジネスの拠点モデルとしても、日本や世界からの注目を集めるようになりました。

吉田屋の注目ポイント

・無理やり市場拡大するための無駄な生産と消費がなくなれば、労働時間は1/3に出来、その余力を地域やみんなのために使う時代が来る。市場社会から共認社会へ転換の最先端を行く企業。

・この活動が若者発で始まり、都市の若者を田舎に送り込んでいる点も、脱市場の最先端と言える。

参考:旅館吉田屋ホームページ [15]これからの充足のカタチ(10)~地域の期待に応えることで社会を変える「旅館吉田屋」 [16]日本とアジアの地域問題解決に挑む“ハンサムウーマン”──老舗温泉旅館の若大女将 [17]

 

事例2 地方自治体⇒地域経営

①海士町:「ないものはない」

海士町 [18]海士町は島根県の離島。交通の便が悪く、7000人いた人口が2300人まで減少、高齢化が進んでいました。町の財政が悪化し破綻の危機に瀕する中で、市町村合併も検討しますが離島という特性から合併のメリットが見出せず、平成15年に「単独町制」を決断。退路を断ち、自立の道を選びました。まず町長、議員を含む職員給与の大胆なカット(全国で2番目に低い)を実施、その動きに呼応して、町民からのバス料金の値上げ申し出、補助金返上、各種委員からの日当減額申し出などが起こりました。

次いで島ブランドの創出に着手します。町が90%出資する第三セクター「ふるさと海士」による「島じゃ常識!さざえカレー」、「海士のいわがき春香」の築地市場への出荷、平成16年には、新鮮な魚介類の細胞を壊さずに凍結するCAS(セル・アライブ・システム)を全国自治体ではじめて導入します。5億円かけたこの事業は単独町制維持を決意した海士町の命運を左右する大事な事業でした。建設業者が畜産に参入して「島生まれ、島育ち、隠岐牛」のブランド化などにも成功します。

ブランド化に成功すると次は人口の増加です。当時は、Iターン、Uターン、地元継続居住者の間に壁がありましたが、町の総合計画をみんなで話し合いながら作ることでその壁を取り払っていきます。こうして作られたのが『第四次海士町総合振興計画―島の幸福論―2009~2018』と、別冊「海士町をつくる24の提案」です。24の提案は1人でできること、10人でできること、100人でできること、1000人でできることの4つに分類されています。そして、それらはすべて町の施策につながり、町のどの部署が担当しているのかも一目瞭然となっています。

いま海士町が力を入れているのが”島留学”です。海士町にある唯一の高校を守るために東京や大阪にいる高校生たちを”海士町に留学させよう”というものです将来のIターン者を育てることにもつながり、卒業後、他の地域に行ったとしても海士町での体験を口コミで広げてくれることにつながります。”島留学”はまさに最後尾にいた海士町が最先端に踊り出す力を秘めたプロジェクトです。

海士町のキャッチコピーは「ないものはない」。この言葉には、①なくてもよい、②大事なことはすべてここにある、という2つの意味が込められています。

海士町のポイント

・ 行政が生産に乗り出し、住民がまちづくりの主体となり、企業も渾然一体となって、みんながまちの活性化に主体的に取り組み、都市に負けない魅力・活力を作り出している。

参考:いいね!JAPAN海士町島の幸福論 [19]小さな島の挑戦 [20]

 ②下川町(北海道)

下川町 [21] 北海道北部の山間の町。かつては鉱山で賑わいをみせたが、閉山後は人口が1万5000人から3600人に急減しました。JRも廃止され、一時は財政再建団体にも陥りました。ところが今、Iターン者や就職を希望する若者が全国から集まっています。

下川町の面積の9割は森林。1953年に国有林を取得し下川町有林野特別会計を設定し本格的な林業経営を 手がけることとになりました。その後、国有林の積極的買い取りを続け、現在では概ね4,300haに達しています。森林組合とともに林業をゼロから基幹産業として育ててきました。輸入材に押され、木材だけの販売だけでは採算が取れないため、付加価値を付けました。

まず取り組んだのが1981年の全国初のカラマツ間伐材を有効活用した木炭の開発(固形炭)です。1998年には公共事業依存・官依存からの脱却、持続的循環構造の形成、森林を核とした産業同士の有機的連関など、地域の社会・経済の自立や持続的発展に向け、町内の有志が集まり、北海道で3番目となる産業クラスター研究会を設立しました。研究会は森林組合の林業作業員や商工会のメンバー、主婦や町職員、会社員など幅広く町民が参加し、地域全体で活動しているのが特徴です。この取り組みから生まれた商品に、「HOKKAIDOもみの木」シリーズの商品群があります。間伐材のトドマツの葉を蒸留し、製造したアロマテラピー用のエッセンシャルオイルや消臭用のウォーターなどです。そして2004年の市町村合併では合併の道を断って、「地域自律プラン」を策定、平成17年度を「自律元年」と位置付け町民と一丸となった意欲あるまちづくりを進めています。

さらに、森林資源を活かし、バイオマスによるエネルギー自給を目指しています。バイオマス燃料の発電プラントを作り、それによって、町全体の電力がまかなえるようにする計画が実際に進んでおり、同時に、ガソリンスタンドにバイオマス燃料の販売を委託して雇用を維持したり、その利益によって児童の医療費を無料にするなど、町の資源を最大限活用した、エネルギー・雇用・福祉政策を実施しています。こうした取り組みが評価され2011年に国から環境未来都市および総合特区に認定されます。再生可能エネルギーによりエネルギー完全自給を図り、集住化や高齢者雇用の拡大等により誰もが活躍の場を持ち安心して暮らせる社会を構築するという「森林未来都市」のモデルを実現するというものです。小規模分散型の熱電併給システムの整備や、コレクティブハウスの整備などを加速的にすすめていきます。

このような取組により、現在、町内の林業、林産業従事者数は約270人であり、Iターン・Uターンの若者が多く就業しており、森林組合へのエントリー希望者は30人以上が待っている状態です。恒常的に新しい人材が地域に入り、刺激と自律をもたらしています。

 下川町のポイント

・町が、生産基盤である森林を取得し林業経営に乗り出し、組合、企業、住民を巻き込んで地域を活性化している。その活性化の方法も、市場拡大=過剰消費と正反対の、森林資源を生かしエネルギーまで自給する循環型社会の実現という方法であること。

参考:下川町ホームページ [22]恐るべし下川町 [23]森林総合クラスター創造へ向けた下川町の取り組み [24]

まとめ

従来の企業・自治体を超えた超企業・庁自治体を紹介してきましたが、企業と自治体の枠が消失し、融合しつつあることがわかるのではないでしょうか。紹介した企業や自治体では、利益を上げるための働くことと、地域やみんなのために働くことの間に線引きはありません

これまでの働き方は、仕事と生活は別のものであり、完全に分離していました。働くことは、生きていくために企業=資本化にお金で雇われて行う苦行であり、家庭を中心にした遊びや生活が生きる目的であるかのようには、私たちは洗脳されてきました。その洗脳は今も続いており、ワークライフバランスと言うキャンペーンもその洗脳の一環です。

しかし、人類本来の労働観は奴隷労働のような貧しいものではなく、生きていくためにみんなの役に立ち自分も充足するというものであり、日本ではこの人類本来の労働観が色濃く残っています。そして、豊かさが実現した現代日本では、私権活力(地位や財産を獲得したいと言う活力)が衰弱し、若者を中心に人や社会のために働きたいと言う人が増えて来ています。今日紹介した、超企業、超自治体で働いておられる方々が、皆さんとても生き生きとしているのが印象的です

このブログで先に紹介した、新しい働き方の事例も、脱私権の流れの中で、奴隷労働の延長線上にある企業からの離脱する動きや、企業を奴隷労働の権力体から自主管理の共同体に転換していく動きであり、どちらも人類本来の労働観への回帰現象だと捉えることができます。

今のところ最も先進的な超企業や脱企業の登場は、市場拡大の圧力が弱く、人類本来の共同体的風土が残っている田舎が中心になっていますが、旅館吉田屋で都会の若者が地方で行動を起こし、下川町に都市から優秀な若者が集まっている様子を見ると、意識潮流としては既に都市も巻き込んでいると思われます。

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