2014年04月01日
これからの働き方はどうなる? 2.労働観の歴史~人類本来の労働とは何か?
前回の『これからの働き方はどうなる? 1.戦後労働政策の変遷~市場の要請で変化』では、働くことの意味を深く考えずに「市場の論理」(金貸し、経営者、労働者それぞれの私益追求の力関係)で労働政策が決まっていること、私たちは労働基準法も終身雇用も時短も女性の社会進出も規制緩和もワークライフバランスも自分たちが望んだことと錯覚していますが、実は市場の論理に洗脳されていることを紹介しました。
そこで、今回は、『本来の労働とは何か?』について、労働観の歴史を遡って人類本来の働き方について考えていきます。
GHQの政策に基づいた労働基準法では、労働という行為を“資本権力から強制されて否応なく働かされる行為である”ということを前提にしていますが、果たしてその労働観は人類本来のあり方なのでしょうか?
近代以降、西洋から資本主義・市場主義とともに日本に導入されてきた労働観について、西洋的な労働の歴史に遡り、また、人類誕生時である極限時代にまで遡って、労働とは何か?について考えてみます。
◆1.西洋の労働観~現実否定、労働は苦役である~
まずは、西洋の労働観について扱っていきます。仕事と現実が切り離されてしまった西洋の労働観、西洋の奴隷制度、宗教(キリスト教)、資本主義社会と、その労働観の根底にある物は何でしょうか?
●奴隷制度における労働観
遡ればさらに古くもありますが、代表的な奴隷制度は、古代ギリシャ・ローマ時代の奴隷制度でしょう。人間でありながら他人の所有物として取り扱われ、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた奴隷。
そこでの労働観はどのようなものでしょうか?
○36058 【民主制の性格・背景】より
>歴史上、民主制(共和制含む)の時代は、ギリシャ・ローマ、都市国家ベネチィア、そして近世以降のヨーロッパ、アメリカ。(対立概念としては、専制国家があり、歴史上は専制国家のほうが、ずっと数は多い。)
これらの時代は、共通して、民主制・共和制の政体で、対外的な戦争に強く、交易が盛んで、かつ哲学・科学・芸術とも花開いた時代だった。
>反面、背後に奴隷制を伴っており、奴隷に仕事をさせることで、仕事もせずに、哲学を語り、コロシアムで興じることのできる市民が多数いた。奴隷制が西欧で廃止されたのは、19世紀の中頃でつい最近のことだ。
19世紀中頃まで続いた奴隷制度。こき使われる奴隷と働かない雇い主の関係は、まさしく仕事というものは、誰か別の者がやる嫌なものだという価値観を生み出し植えつけました。
●キリスト教社会における労働観
では、キリスト教における労働観はどのようなものでしょうか?
ウィキペディア「労働の歴史」より
>○旧約聖書
旧約聖書の一書、創世記第3章19節では労働は神がアダムに科した罰である、とされたと説明されることもある。第3章19節:あなたが大地に戻るまで、あなたは顔に汗して、食物を得ることになろう。>○プロテスタンティズム
プロテスタントは労働そのものに価値を認める天職の概念を見出した。この立場では、節欲して消費を抑えて投資することが推奨される。ヨーロッパの国家はその影響により、「労働は神聖なもの」「働くことは神のご意志」とされていて、労働しない者は神や国家に反逆するものとされていた。
なんと、旧約聖書では、労働は罰だとされていたんです!
また、プロテスタントは一見労働を推進しているように見えますが、それは、市場拡大としての労働を推進していたに過ぎません。私権追求の自己正当化としての労働賛美だったのです。
引き続き、資本主義社会ではどうでしょうか?
●資本主義社会における労働観
ウィキペディア「労働の歴史」より
>○資本主義社会/マルクス主義
資本主義社会では、労働は倫理的性格の活動ではなく、労働者の生存を維持するためにやむをえなく行われる苦痛に満ちたもの、とされるようになった。マルクス主義においては「資本主義社会では、生産手段を持たない多くの人々(=労働者階級)はみずからの労働力を商品として売らざるを得ず、生産過程に投入されて剰余価値を生み出すため生産手段の所有者(=資本家階級)に搾取されることになる」と説明されるようになった。
そして資本主義社会においても、労働は生存を維持するために、「やむをえなく苦痛に満ちたもの」としていました。労働=苦役という捉え方は一向に変わっていません。
この労働観がつながり、現代の労働観の枠組みを作ってしまっているのです。
奴隷制にしても、キリスト教にしても資本主義社会にしても、西洋の労働観は一貫して、仕事では弱い者が強い者から搾取される世の中だ、現代はそういう救いのない世の中である、また、仕事と楽しみは別ものであり、自分と相手とを切り離した現実否定が根っこになっているのです。現代に生まれたワークライフバランスも、このような考え方を根本にしています。
そのような労働観に基づき労働時間を削りとっていった現代社会が活性化しないのは頷けます。
では、奴隷制度の生まれる遙か以前、極限時代の人類はどのような労働観だったのでしょうか。
◆2.人類本来の労働とは何か?~生きることと働くことは一体、みんなのために追求する~
古来、原始共同体では、仲間のために役に立ち、仲間に認められることが最大の充足源であり、だから自分が楽することよりも、人のため仲間のために働くことが自らの喜びであり充足でした。
人類誕生時の極限時代の人類についてご紹介します。
① 逆境下で共認機能に全面収束
肢の指の先祖返りによって、樹の上に棲めるというサル時代の最大の武器を失った人類は、想像を絶する逆境に陥る事になる。
鋭い牙も、走力も他の動物に比べて肉体機能が遥かに劣る人類は、地上では狸のような小動物にも負ける存在であり、従って日々の食料も確保できず恒常的な飢えに苛まれ、常に肉食動物の襲来に脅える絶望的な生存状況に追い詰められた。
この様に本能では到底生きていけない(適応できない)状況下で、人類はサル時代に獲得した共認機能(相手と同化することによって充足を得る機能)に全面収束してゆく事となる。つまり恒常的な飢えの苦痛と怯えを少しでも解消すべく、互いに身を寄せ合い安心充足を得る(親和充足)。そしてその充足(と充足を与えてくれる仲間に対する全面肯定視)を基盤に、仲間同士額を寄せ合い、みんなの表情や身振り手振り(評価)を羅針盤として、日々「どうする」の行動方針(=課題と役割)を模策し闘争共認を確立していったのだ。
②共認充足こそ最大のエネルギー源であり、人間の生きる目的
この日々生きる事さえ絶望的な状況の中で得られる共認充足は、人類にとっての唯一の生きる希望であり、唯一最大のエネルギー源でもあった(つまり生きる目的そのものであった)。事実、共認機能に全面収束した人類は、その後必然的に共認充足度を上げるベクトルで共認機能をより進化させていくことになる。
例えば人間に固有の「喜怒哀楽」などの感情やその表現手段の多様性はその一例である。笑顔は相手への肯定視をより発展させた表情であるし、涙は悲しみや喜びの共有を通じて集団の成員の一体感を更に高めるべく生み出されたものである。この様に共認充足度を高めるために、相手への伝達手段や受信能力を発達させていく事で、人類は知能を進化させてきたのだ。つまり共認機能こそが人類の心の中核であり進化の原動力でもあったのだ。
このような想像を絶するような過酷な状況の中では、自分勝手な行為や仲間を否定するような行為(自己中)は、集団の結束を破壊し、存続すら危うくします。
自己中を前面封鎖した共同体社会の中で、サル時代に獲得した共認機能 (相手と同化することによって充足を得る機能)だけを唯一の武器として、みんなで課題を共に認め合い、役割や規範や方針を共に認め合うことで、奇跡的に生き延びてきたのです。
そこでは、みんなのために働くことは生きるために必要なことであり、生きること、つまり日常生活そのものが労働であり、仕事も日常も集団も全てが一体だったのです。
そして、その極限時代の集団のあり方は、村落共同体にまで受け継がれます。
◆3.日本の労働観~現実の充足のために追求するのが仕事~
では、日本人の労働観はどのようなものに基づいているでしょうか?
日本人の職人気質な勤勉性や、相手を想うおもてなしの心は世界的にも賛美されていますが、果たしてその基盤はどこにあるのでしょうか?
●勤勉性~すべては仲間のため、だからこそよく働く~
働くの語源は、「傍を楽にする」とも言われます。自分のためではなく、仲間が喜んでくれるようにと働きそれが自分の喜びになる。労働も日常も、また自分もみんなも、全てが一体であるという集団の基盤のもとに勤勉性が育まれました。
○287968 日本人の労働観(働く事を美徳とする日本人の勤勉性の原点は?)より
原始共同体では、仲間のために役に立ち、仲間に認められることが最大の充足源であり、だから自分が楽することよりも、人のため仲間のために働く事こそが良いことだという価値観が育まれたと思われます。この原始共同体の価値観=縄文体質が中心にあり、そこに水田、自然の恵み、仏教などの要素が加わることで、働く事を美徳とする日本人特有の価値観が形成されたと思われます。
●追求力~徹底した相手への同化が、追求の気運を創る~
また、探求心の高い縄文人は、人類初の調理をしたとも言われています。中国やフランスよりも数千年から一万年も早く火や道具を使うことを実現したのは、他の民族よりも高い同化力(相手と一体になる力)を基盤にした追求力だったのではないでしょうか?
【和食文化は縄文由来の土器文化から引き継がれた日本人の可能性】より
「 縄文人が人類初の調理をした。世界最古の土器が青森で出土したが、その土器に付着した炭化物を分析したところ、約一万七千年前のものと分り、食料の煮炊きに使ったものであったことも判明した。これからも、日本の料理の歴史は、中国やフランスよりも数千年から一万年以上も早かったことを証明している。
世界四大文明成立の遥か昔に、日本人の先祖が土器と調理食文化を持っていたことになる。その後水田稲作の弥生時代に至り、農耕社会、米の食文化、鉄器文化、カマドを共にする家族の絆文化に至っている。」
そうですから、日本人の食文化は奥深いものがあると言えそうです。
また、神道や仏教が日本人の食生活と心に及ぼした影響は、「頂きます。(動植物の命を頂き、大自然に感謝する)」や「ご馳走様でした。(食材の提供者・配給者や料理人に感謝)」という言葉にも、食の姿勢が具現され、受け継がれて来ました。
このことは、現代日本人が、外国の美食家に賞賛されて改めて日本食の良さを知る以前からの自覚を強めなければならないことかもしれません。
相手(=現実)への徹底した同化力が根底にあることで、日本人の追求力を育んでいるのです。
●本源性の強さ~根底にある感謝の心~
古来から脈脈と受け継がれた感謝の心。おもてなしに代表さるような、相手を想うこころ。
そのような日本人の相手を想う心の強さは、日常はもちろんですが、以下のような窮地のときこそよくあらわれています。
この話を聞いて思い出したのは、災害時におけるアメリカ人と日本人の行動の違いです。確かアメリカに大型ハリケーン(カトリーナ)が上陸した時、被災地では暴動や強盗が多発し、地域が大混乱に陥った記憶があります。一方、日本では阪神大震災が起こった時、被災者同士が衣食住の世話をし合って耐えていました。(配給の列に素直に並ぶ被災者達を見て、海外から救援に派遣された外人達が「あり得ない」と驚く程だったそうです。)
人間の本質が表れるのは窮地に陥った時だと言われます。これらの事例は実際に起こったものであり、同時に今後訪れるであろう社会の混乱への対処の仕方も見えてきます。
窮地のときこそ助け合う日本人のこころは、まさに、極限時代の人類の精神を脈脈と受け継いできた証ではないでしょうか?
◆労働とは、いかにして皆と充足して生きるか?の追求の歴史
日本人にとって生きることと仕事とは全てが一体であり、また、その根底には皆の充足を深く深く想う感謝想いが脈脈と流れているのです。
その意味において、日本人の労働の歴史とは、“いかにして皆と充足して生きるか?の追求の歴史”だと言い換えることができるでしょう。
近代市場社会以前(西洋では権力支配(奴隷制etc)や古代宗教が登場する以前)、「働く」ということは、「人間として生きる=自然や仲間とともに生きる」こととほとんど同義の活動であったに違いない。
私権観念(私的権益や私的権限が第一、お金第一も遊び第一も同じ)によって、仕事観は相当に歪められてきたが、元来、仕事(広義の生産活動)には人生に必要なほとんど全てがある。
私権の桎梏から解き放された現代においては、こうした仕事観の根源回帰が求められるだろう。
仕事=働くことによって、人格は形成される(人間的に成長する)、人間関係の紐帯もかたちづくられる(深い充足の仲間関係ができる)、誰かの役に立とう(力になろう)とすることが本物の活力を生み出す。
このような仕事、働く場、共同体を再生してゆくことが、これからの企業経営にとって最重要の課題となるように思われる。
誰かの役に立とう、力になろう!とするエネルギーは想像を超える力を生み出します。
人類の全ての活動を包摂している“労働”という活動。
この本源回帰の大潮流の中で、どのような新しい働き方が生まれているのか?次回に続きます。
- posted by 岩井G at : 22:28 | コメント (0件) | トラックバック (3)
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