2012年08月28日
日本の農業の可能性はどこにあるのか?(後編)
前編、中編では、農業の現状、政策、儲かっている農業の事例とその勝ち筋を扱いました。 😀
日本の農業の可能性はどこにあるのか?(前編)
日本の農業の可能性はどこにあるのか?(中編)
農業参入者の多くは、社会の役に立ちたい、社会のために必要な仕事をやりたいという(潜在的な)思いを抱き、農業を始めています。しかし実態は、ほとんどの農家・企業が補助金頼みであり、社会に貢献しているのか、社会に支えられているのかよくわからないような状況になってしまっています。その意味で、農を生業として市場社会で生き残るのは、今後の農業が乗り越えなければならない壁と言えます。
しかし、そこから更に、社会に貢献したいという思いを、農業を通じて具体的な形にしてこそ、本当の目的が果たせるのです。 そして、農業に対する社会的な期待の根本もそこにあります。
そこで、後編では、儲かる農業から、更にその先を考えます。
■自給志向の高まり
先の可能性を考える上では、現在の意識潮流を押さえておく必要があります。農業に関係する意識潮流で特に注目すべきは、「自給志向」の高まりです。
週末農業をやりたいといった需要は、おそらく、自給志向から来ている。そこでの、頭の中にある究極のイメージは、いざとなったら自分で耕して食べていくといった意識と連動している。従って、自給志向は年々益々強くなっていくだろう。これを従来の市場概念で捉え直してみれば、幻想期待そのものである。実際、農地を借りたもののお金だけ払って何も耕していません、といった者も半分位いる。そうであっても、貸している側からすれば、しっかりと安定的に収入が確保できている。
このような人たちの登場は、幻想期待と言えば幻想期待だが、非常に新しい意識潮流発の幻想期待である。つまり、ここまで先行きが見えない状況だからこそ、生まれてくる新しい期待だと云える。現在、このような幻想期待が色んな所に一杯湧き出ている。ただし、期待があるから勝手に需要が生まれるわけではなく、誰かがそれをキャッチして商品という形にして供給するかで、顕在化の度合が決まってくる。
「8/12なんでや劇場1 農と塾に革命~農のおける業態経営は、販路の開拓、農家の組織化、技術開発の3点セットの構造が基本」
幻想期待であるとはいえ、この本源的な価値観に基づく「自給志向」を喚起し、実現へと導く農業が最終的には求められることは間違いないでしょう。 😮
■農の持つ多面的な機能の活用
まずは、農業がもつ潜在的な可能性を活かしていくことが考えられます。土や動植物などの自然とふれあい、自然の摂理への同化が求められる農業には、単なる生産以上の価値があります。
・教育の場としての農
現在の子どもたちは、学校で受験のための観念情報を詰め込まれ、本来養うべき学びへの本源的な活力を形成することが難しくなっています。学びへの本源的な活力は、日常的な人と自然、人と人とのふれあいを通じた、他者への「同化」を通じて形成されます。
農作業は、まさに自然とのふれあいを通じて、自然の偉大さや自然の摂理を体感する過程です。そして、農作業は一人ではできず、仲間との息の合った共同作業が求められます。つまり、 😈
当然、これは子どもに限った話ではなく、企業の人材育成の場としても十分に活用可能です。
◆生きる力を育てる「草の根農業小学校」
草の根農業小学校は農の持つ教育力に注目し「農業小学校を作る会」により設立されました。
現状は文科省からの委託事業として、「子ども長期自然体験村」として活動もされています。現状の学校の問題を捉えつつ、教育としての可能性は生涯学習として存在しています。
お米、小麦、ジャガイモ、さつまいも、なすなど約30種類の野菜や穀物を、みんなで育てて調理して食べます。もちろん、無農薬、無化学肥料。全身体的な「自然体験学習」であり同時に「環境学習」であり、ささやかな「自給自活体験」でもあるのですが、はたから見れば遊んでばかりの・・粗末な私設農業公園です。
運営者は「農業と言う営みが、私たち人間に教えてくれるものは山ほどあります。そこに潜在する力、言葉で言ってしまうと教育力になってしまうけれど、農の世界には、人を人として感化、教育してくれるものが確かに存在すると思います」と感じておられます。
画像はこちら 草の根農業小学校リンク
『生きる力を育てる教育』~「農」の教育力とは?~
◆同化能力を育む類農園『自然体験学習教室』
『自然体験学習教室』では、農業における困難な課題をありのまま、農園メンバーと子どもたちが共有し、その中で「どうすれば成果が出せる?」をともに考えながら運営しています。
自然や農作物にふれ、出荷や販売などの「仕事」を体験し、地域のさまざまな方々と関わる中で、小学生を健全に育むことを目的として開講しています。
子どもたちも、農園の当事者となって、いっしょに課題を突破していく、その中で “仕事=生産課題”を、仲間みんなで協力して達成すること。そしてその成果を「よくやった!」と評価し合うこと。こういった成功体験、充足体験の繰り返しが、状況・対象をありのまま認識し、仲間の気持ちを理解し絆を深める、そんな人間としての基本的な能力(同化能力)を確実に育くんでくれています。
「農」再生の実現基盤ってなに?~5章-4 農をめぐる新しい試み~共同体の再生を事業化する『類農園』~
・医療や介護との連携
医農連携と呼ばれる、医療や介護との連携も、大きな可能性を秘めていると考えられます。
・「医と食」を同源にする考え方は東洋医学の考え方で、食により病気にもなるが治療にもなる。医学の父といわれているヒポクラテスも「食べ物で治せない病気は医者でも治せない」と言っている。東西を問わず医と食は切っても切り離せない。
・医=食 食=農 故に医=農という数学的な図式ではなく、「医は農に、農は自然に学べ」と解いている人もいるぐらいである。理由として
(1)医は人(動物)を農は植物を対象にしているが、どちらも生物である。生物の特徴として環境に左右されるため、環境をいかに快適にするかを考えなければならない。
(2)栄養は、人は腸の絨毛によって、植物は根の毛根より吸収される。
(3)腸内細菌や土壌細菌によって健康が左右される。善玉細菌をいかに増やすかが健康作りや野菜作りの基本になる。
「医食農同源」
また、農業が本源的な活力を育む機能を持っていることを考えれば、農作業を通じた自然や人とのふれあいは、人間が持つ自然治癒力を高める効果があると考えられます。医療分野では、○○セラピーと呼ばれる取り組みが多数実施されており、その効果も認められているところですが、農業はその究極とも言えるのではないでしょうか。
◆医農効果のある白石農園
農業の共同作業の場を通じて、仲間作りや、マジ話の場、つまり、「みんなが繋がれる場」として農を活用しています。また白石農園での農作業はメンタルケアとしての働きも秘めているようです。
白石農園は早くから農の新しい可能性に気が付き新しい農を実践してきました。住民が手軽に農園を借りられるよう市に掛け合い新しい農園の形を実現しました。これは「練馬方式」と呼ばれ、農家が作付け計画や道具を用意し、参加者は参加料を払って農家に教えてもらいながら作物を育て収穫するという形式のものです。●てきめんの効果に、みんなが驚く
2年間通った20代の1人の状態には、非常に大きな変化がありました。
ディケアの場ではすぐ妄想のような感じが出てしまい、10分も座っていられなかったのが、畑に通いだして1週間くらいで1時間座って作業できたのです。
半年後には、半日でも続けられるようになりました。
それまで、仕事らしい仕事はしてこなかったそうです。別の保健師さんが様子を見に来られて驚いていました。
これらは、すぐにでも取り組める課題ですが、その先には、更に大きな可能性を見定めることができます。
■信頼関係でつながる地域共同体の再生
中編でも扱ったように、市場社会において農業で勝っていくには、農家による生産者の組織化、ネットワーク化がひとつのカギになります。現在の農協の多くは、零細農家が営業や販売を農協に頼るという私権的なつながりですが、新たな生産者ネットワークは、信頼関係でつながります。今後、農業で勝っていくための販路開拓や質の向上、6次産業的な展開などは、信頼できる「仲間」と協働して取り組まなければ成し得ません。また、協働の範囲も、生産者だけでなく、CSAの取り組みのように、地域住民も巻き込んだ組織化が必要になります。
※CSA:地域の消費者が、地域の農家から、自家消費用の農産物を、代金前払いで、直接、定期購入するシステム。受け取ることのできる分量は、天候等の影響で若干のズレが生じるが、消費者は、毎週、生産者から旬の新鮮な生産物を受け取ることができる。生産現場を見たり、体験することが可能な場合も多い。
これらにより、生産性の向上、流通経路の発掘などの経営的なメリットを生み出すことで、各生産者の余力を生み出し、地域貢献、社会貢献のために使える時間を増やすことができます。同時に、生産者同士で社会的期待により深く応えていくためにどうしたらいいかなど、相互作用によって追求を深めていくことも可能です。
近年、社会的な期待が高まっている食の安全も、信頼関係の中で、どのような人が、どのような思いで生産しているのかがわかってこそ、本当の意味で確保できます。
◆長野県川上村
長野県川上村は、高地と厳しい寒さに阻まれるという過酷な環境条件の下、「この土地に何ができるか?」と農民、農協、役場など村全体で知恵を絞り農業の近代化、機械化情報化を進め、レタスを主とする「高原野菜」で成功を収めています。
成功の要因は、農業の情報産業化と村民の一致団結!パソコンを駆使して24時間の気象情報、市況速報などの情報を取り込み、それらを基に村全体で生産調整を図ってきました。
現在、レタスの栽培を中心に平均売上2,500万円、出生率(一人の女性が一生に生む子どもの人数)1.83人(全国平均は1.34)など、全国でもまれに見る豊かな農村に生まれ変わりました。また川上村では、農業従事者のうち、30代、40代が約37パーセントと、全国平均の9.4パーセントを大きく上回っているのも特徴的です。
※参考
◆鳴子の米プロジェクト(宮城県大崎市) リンク リンク
「鳴子の米プロジェクト」は鳴子地区の農家、旅館、自治体職員などによって2006年に始まりました。
プロジェクトには、大きな農家、小さな農家、旅館やホテルなどの観光業、こけし工人、女性グループ、JA、役所などさまざまな人達が参加しており、競争原理や市場原理を越えて、関係者が支えあい、豊かな地域をつくっていくことが目的とされています。
また、日本では少数の農家が取り組んでいる消費者が地元産米を高く買い支え、地域活性化に結びつけている「地域支援型農業」(CSA)の事例でもあり、新しい地域づくりの仕組みが評価され2009年には地域づくり総務大臣表彰を受賞しています。
米は鳴子温泉の旅館、県内外の消費者など約800人が購入しており、田植えや稲刈り、くいがけには食べ手の人たちも応援にかけつけます。(毎年東京から参加している人もいるそう。)
食べ手は個人だけでなく県内の食品製造会社や仙台の弁当や、東京の企業にも広がっていて、プロジェクト5年目の2010年の作付は40農家、16haにまで拡大しています。
◆かみなか農楽舎
かみなか農楽舎とは、「(旧)上中町(現・若狭町)」「(旧)上中町にいる農家のかたがた」「一般企業(=類グループ)」によって、考案された地域活性(就農定住)システムの中核となっている組織です。
事業は、「5名の社員、3~4名の研修生」の体制で、農業・体験事業を行っています。
経営には、農業・地域のお師匠さんとして地元農家からの専任者、経営コンサルとして類グループから、若狭町から担当者の人が関わっています。
研修生は、2年間を研修期間としており、その後かみなか農楽舎を卒業して就農していきますが、その際の取次ぎやその後の世話などもふくめて若狭町が面倒をみています。
こうして、就農したい人たちと地元農家の人たちが繋がり、若狭町と農業を活性化させています。
設立してから10年間で、28人が卒業。内、町内への就農者が21人。
8割近くが、第2のふるさととして、かみなかに根付いています。
このようにかみなか農楽舎には、これからの農業(日本)の再生のモデルになるようなシステムが構築されています。
※参考
こうした信頼関係、協働体制によるネットワークは、市場社会や近代思想によって崩壊した地域共同体を再生させることと同義です。地域共同体の再生により、市場に馴染まない根源的な営み(医療・介護・教育etc.)を相互扶助によって機能させることもでき、食に限らない安心をつくり出していくことになります。
参考:「実現論:序7(下)農(漁)村共同体の建設」
■農業の可能性を支援する政策
地域共同体の再生、食糧基盤の再生の実現のためには、民間にまかせるだけではなく、国の政策も変えていく必要があります。現在の国の政策には、TPPの推進など、これらとは真逆の政策も多く見られます。長期的な視点を持ち、脱市場社会に向けた政策に切り替えていく必要があります。
○農漁村共同体の建設
私権時代を通じて、人々の大半は農業を営んできたし、近代になっても、つい戦前までは人口の過半は農村で暮らしていた。
農家は、現在のサラリーマン家庭のような、単なる消費の場ではなく、それ自体が、農を営む一つの生産体である。従って、そこには、自然圧力をはじめとする様々な圧力が働いている。だから、子どもたちは、学校など無くても親の背中を見ているだけで、健全に育っていったのである。
このままでは、人類はもたない。
どうするかだが、もともと子供たちの健全な心を育むには、自然に触れる作業が最も適している。従って、農漁業を手伝いながら学ぶ体制を作ればいい。
そのためには、農漁村に全寮制の幼・小・中・高校を作り、5才以上の子どもを密室家庭から引き離す必要がある。
それは親に対しても、「自分の子ども」という私有意識からの脱却を図ってもらう試みとなる。従って、手順としては、まず高校から始め、中学・小学・幼稚園の順で進めてゆくこととなるだろう。
「実現論:序7(下) 農(漁)村共同体の建設」
○参勤交代制の導入
根本的には、統合機関の参勤交代制を導入することが必要になります。
本来、統合機関は、個々の集団を超えた、超集団的な地平に存在するものである。
ところが省庁や大学やマスコミという組織は、単なる一集団に過ぎない。しかし、集団というものは、必ず自集団の利益第一に収束するものであって、集団を超えた社会統合を担う機関が、単なる集団に過ぎないようでは話にならない。集団を超えた社会統合機関には、それにふさわしい体制が必要である。
現在、社会統合の課題を担っているのは官僚(司法を含む)をはじめ学者やマスコミだが、彼らはエリート意識に凝り固まった私権主義者であるだけではなく、信じられないくらい無能化しているので、民間企業の人材と入れ替えた方が、はるかに上手くいくだろう。
しかし、民間から出向した者が、そのまま居ついたのでは、官僚体質に染まり、同じように無能化してしまう。従って、統合3年・民間3年ぐらいで交代する参勤交代制が良いだろう。民間3年後、優秀なら統合機関に再任される。つまり、連続3年以上の統合機関勤務を禁じるわけである。
そうすれば、親方日の丸の官僚主義に陥ることもなくなり、民間≒庶民の暮らしぶりも分かっているので、統合機関に出向しても現在より遥かにましな案を生み出せるだろう。
「実現論:序7(中) 企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする」
社会閉塞を招いた元凶であり、暴走がひどくなる一方の統合階級には、もはや現在の社会問題の解決は望めません。現実の圧力を受け、日々生産活動を行っている素人にしか、統合役割は担えないのです。参勤交代制は、社会のために必要な生産活動を維持しながら、統合課題を分担していくことができるという、大きな可能性を持っています。
現在の社会問題は、あらゆる問題が連関して生じており、特定の分野だけ見ていても解決するものではありません。むしろ、「専門領域」に捉われすぎると、視野狭窄に陥り、逆に問題やその解決策が見えなくなることの方が多いです。その観点からも、参勤交代制は有効に機能します。
参勤交代で統合課題を担う中で、日常の生産活動の意味や意義を捉えなおし、実践活動にフィードバックする。その繰り返しの中で、農業に限らず、あらゆる産業で社会的な期待に応えるための業態革命が一挙に進んでいくことになるでしょう。
- posted by kazue.m at : 13:13 | コメント (2件) | トラックバック (1)
コメント
料亭小宿ふかざわ、女将、深澤里奈子です。取材&ブログ記事、ありがとうございます!
ふかざわの裏の裏まで体感していただき、ありがとうございます。
宿としての機能だけでなく、スタッフや地域、お客様を含めた全体が「共同体」として、共にどう生きるか、どう進んでいくかを感じあえるスペースになれたら嬉しいな、と思っています。
本質を感じあえる「人」をともに育てていきたいです。
こらからもよろしくお願いします^^♪
深澤
深澤さん、コメントありがとうございます♪
心地よさの土台である“人”の育つ空間の在り様が、何よりも素敵でした。
近いうち、宿の予約を取らせていただきますので、ぜひ今後とも「お引き寄せ」くださいね!
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