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2014年03月22日

都市開発の将来予測-3 自給型・循環型のグランドデザインに向けて

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○日本の建設産業・都市の未来はどうなる?(前編http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/04/001270.html 
○日本の建設産業・都市の未来はどうなる?(後編http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/04/001272.html 
○都市開発の将来予測-1 2020年までの建設市場http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/12/001649.html 

~2015年:東北復興と消費税駆込み需要という巨大な実需に、オリンピック開催決定、リニア新幹線着工などの大きな話題が重なり、建設市場の過熱状態が続く
2015~2020年:オリンピック、リニア新幹線、田町再開発など需要はあるものの、東北復興と消費税駆込み需要という巨大な実需が収束。TPPの効果もあまりなく、リーマンショック後の沈滞と同水準に向かう
2020年~:2020年にオリンピックと田町再開発が終わる頃には、国際貿易でもアジア諸国との競争敗北が明らかになり、大不況に突入する可能性が高い

○都市開発の将来予測-2 中期的な展望は?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/12/001655.html 

開発事業の都心一極集中の政策、都心への人口偏在は当面変わらないが、脱市場主義型の地域モデルも少数ながら登場しつつある。
2030年頃を睨んだ、建築分野別の動向予測(事務所・庁舎、住宅、工場・発電所、医療・福祉、教育研究・文化)、既存施設の老朽化による改修・改築需要。
建設業の秩序崩壊と人材不足⇒建設業は人材の組織化が急務となっており、2020年以降の市場縮小期には生産力を組織化できた所が最終的に生き残るだろう。

 今回は、これまでの記事をふまえて、今後の都市開発・建設産業の未来予測の切り口を考えてみたいと思います。

   ◆1.未来予測の前提条件 
   ◆2.国家が描く【市場延命型のグランドデザイン】 
   ◆3.根源回帰の意識潮流 
   ◆4.生産と消費を包摂する共同体とそのネットワーク 
   ◆5.【自給型・循環型のグランドデザイン】に向けて

 

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◆1.未来予測の前提条件

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◇人口減、高齢化
人口動向は都市開発と建設産業の未来予測を行う上での基礎条件となるが、ほぼ全ての都道府県で人口減となることは避けられない確定事項である。GDPも当然ながら減少する。
政府・官僚は外国人を増やして経済規模を維持する政策を検討しているようだが、日本民族の歴史と精神風土を深く考えることなく、市場主義を絶対とする政策は問題が大きすぎる。いずれにせよ、東京は他の地域に比べると人口を維持する予測だが、それでも高齢化はどんどん進む。
※人口オーナス社会 http://www.cool-knowledge.com/2014/01/24/1042/ 
 
◇物的市場の縮小、もう元には戻らない
国内の都市開発、建設産業の市場縮小は避けられない。その要因は人口減、高齢化だけではない。
これまでの都市の発展は、いわば物的豊かさへの欠乏、快美欠乏を原動力としてきたが、そのエネルギーが衰弱してしまっているという根本的な問題がある。かつこの変化は不可逆であり、市場はもう元には戻らない。
それだけでなく、モノにせよ、情報にせよ、都市は「過剰」であることをその本質としているが、そうした都市の過剰さに対する忌避意識が拡がっている。節約志向、地元志向、自然志向、自給志向など広範な拡がりを見せている。物欲は無限、快美欠乏は無限という前提、市場は成長すべきという根拠なき主張は成立しない。
※市場の縮小と根源回帰の大潮流 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260775 

◇市場縮小を前提としたグランドデザイン
これまでの都市開発は「市場が成長・拡大」すること、つまり開発によって不動産の経済価値がアップすることを前提としてきた。規制緩和で建物容積を増やしたり、様々な機能を集積させ、生産や消費が「増える」ことで投資に見合う利益が得られるという事業スキームであるが、人口減、物的市場縮小を考えると、この前提が成立しなくなる。
シュリンク=縮小を前提とした都市開発はどうあるべきか、これがこれからの時代のテーマとなるであろう。
※自然も人も壊す拡大型社会 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=251640  http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=251649 

◇財政の限界、近づく財政破綻の危機
都市開発には当然ながら大きなお金がかかる。市場拡大とそれによる投資に対するリターンを当て込んだ民間開発が難しくなるとすれば、お金の出所は財政負担しかない。それがいったいどこまで可能なのかという問題。現政権・官僚は例えば国土強靱化に200兆円と言っているが、今の国債頼みの経済はいつまで持つのか。
現在でさえ国の借金は1000兆円、新規開発はおろか、高度経済成長期に日本全国に作られたインフラや建造物の維持修繕すらままならない状況であり、このままでは財政破綻は必定である。
※国の借金とGDPグラフ 借金による水脹れを除けば、一貫して縮小している市場 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=263178 

◇必要か否か、どのような社会基盤を形成すべきか
都市開発・建設市場の縮小は不可避ではあるが、人類社会が続くかぎり絶対になくなることはない生産分野であることも事実である。
景気や利益に関わらず必要なものとは何か、逆に過剰に過ぎるもの、必要でないものとは何かというふるいにかけられてゆくだろう。限られた資源の中でどのような人間活動を支えるべきかという問題でもある。
過剰生産、過剰サービス、過剰消費など市場の論理をどこまで続けるのか、人間集団・社会の存続のためにもっと必要な活動を支えるべきではないか。地震・津波など自然災害が多い日本の社会基盤をどうするのかという問題もある。
※必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=33995 

◆2.国家が描く【市場延命型のグランドデザイン】

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上記の前提条件のうち、人口減、少子高齢化、財政破綻の危機などは、当然、国(政治家、官僚、学者など)においても意識されており、将来の国土の姿をどう描くのかという議論ははじまっている。
※国土のグランドデザイン http://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/kokudoseisaku_tk3_000043.html 

このグランドデザインでは「世界最高水準」「コンパクト化(コンパクトシティー)」「ネットワーク化」がキーワードとなっている。
なぜか? その本質は「市場延命」にあると思われる。
「地方都市のコンパクト化」は、都市機能を都市の中心部へ集約する政策だが、行政サービスに係る財政の効率化、寂れつつある中心市街地の活性化が主眼。あくまで、物的な豊かさを維持する、市場社会的なサービスを維持することが前提となっている。
「東京都心の集中開発」は世界の都市間競争に勝つためと言われる。東京は市場拡大期(経済成長期)は郊外へと拡大し続けてきたがバブル崩壊以降は逆に都心へと縮小しており、リーマンショック以降はさらに都心への集中投資が顕著である。規制緩和、戦略特区などの政策を駆使して、(郊外は捨ててでも)都心に投資を集中させることで市場活力をなんとか維持しようとしているということだろう。
「都市間ネットワーク」の最大事業が「リニア新幹線」であり、東京・名古屋・関西を一体的な経済圏とするうたい文句であるが、実際は東京・名古屋・関西それぞれ単独では市場のエンジンとして弱くなったことの表れであることは明らかだろう。

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要するにこれらのコンセプトの本質は、縮小(衰弱)する市場を大都市or都会に集中させて、市場競争を促進する、市場活力を延命するということに他ならない。さらに国内では需要が不足することは明らかなので(オフィスも商業も住宅も、もうそんなにたくさんはいらない)、外国人、外国企業をなんとか誘致しようとやっきになっている、これがグローバル化、国際都市を謳っている実情である。
こうした「市場延命型のグランドデザイン」に実現性はあるのだろうか、あるいは未来へ向けた可能性はあるのだろうか。根本的な限界として「市場主義は環境を守れない、持続可能な社会を構築できない」ということを忘れてはならない。加えてこうした市場主義は人々の意識潮流と乖離しつつある。人口減、少子高齢化、財政効率化への対応など、縮小時代のデザインとして一定の理はあるように見えるが、市場主義に囚われている以上、このままいくと将来に負の遺産を残すことになるのではないか。

★市場主義に代わる新しいモデルを構想し実現することこそが、皆の期待であり、世界における日本の役割ではないだろうか。

◆3.根源回帰の意識潮流

今、時代は根底的な転換を迎えつつある。市場主義は終焉しつつあり、それとは対極にある、本能回帰、共認回帰、そして最先端の意識潮流として自給期待が生起しつつある。

※市場の縮小と根源回帰の大潮流 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260775 
※共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260805 

’70年頃、先進国ではほぼ豊かさが実現され、飢餓の圧力が消滅した。すると、たちまち私権圧力が衰弱してゆく。そうなると、これまで、私権の強制圧力によって追い立てた上で利便性や快美性を囃し立て、過剰刺激によって水膨れさせてきた物的欠乏は、衰弱してゆかざるを得ない。それは、市場の縮小を意味する。
(中略)
社会の表層での金貸し勢の暴走をよそに、社会の深層では、私権圧力と物的欠乏は衰弱し続けてゆく。そして、私権圧力の衰弱は、市場活力を衰弱させると同時に、他方で、新たな活力を再生してゆく。それが、根源回帰による活力の再生である。私権の強制圧力が衰弱すれば、これまでその強制圧力によって歪められ、あるいは抑圧されてきた人類本来の活力源に回帰してゆくのは当然の理(ことわり)である。
まず最初に生起したのは、本能回帰の潮流である。それは、’70年代以降のヒッピーや環境運動を含む自然志向に始まり、’90年代の健康志向、’02年以降の節約志向(「もったいない」)と、どんどん広がってきたが、ついに’11年、原発災害を契機として、「食抑」意識が生起した。食抑意識とは、「万病の元は食べ過ぎに有り。一日2食で充分。(理想は1食)」という認識で、広範に広がる気配を見せている。
これらの潮流は、一見本能の抑止とも見えるが、そうではない。それは、過剰刺激に対する本能の拒否反応であり、健全な本能回帰の潮流である。この本能回帰の潮流が、市場を縮小させた主役であることは言うまでもない。

 しかし、本能回帰よりももっと重要なのは、共認回帰の潮流である。
(中略)
とりわけ重要なのは、霊長類に固有の共認機能である。これは、周り(同類)の期待に応えることによって充足(安心や喜び)を得る回路で、サル・人類は、この周りの期待に応える充足=期応充足を最大の活力源にしている。そして、この期応充足を母胎にして、皆で状況を共認し、課題を共認し、役割や規範を共認することによって(=各々の意識をその共認内容に収束させることによって)意識を統合=秩序化し、集団を統合=秩序化し、社会を統合=秩序化してきた。過去5000年に亙って人類を封じ込めてきた私権の強制圧力の衰弱とは、この人類本来の共認充足と共認統合の実現可能性が開かれたことを意味する。人々の深層意識は、当然、開かれた可能性に向かって先端収束し、共認収束の大潮流を形成してゆく。

この私権収束から共認収束への大転換こそ、今回の大転換の本質であり、この大転換こそ金貸し支配を含む現実世界の力の構造を根底から解体し、新しい共認社会を実現してゆく最大の実現基盤に他ならない。

※自給期待と日本の近未来5 ~自給期待の共認圧力が生起した~ http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/11/002650.html

◆4.生産と消費を包摂する共同体とそのネットワーク

◇あらためて、都市とは何か
あらためて都市(都会)の引力(結集軸)とは何か?それは、自由な性市場、快美欠乏、娯楽をはじめとする刺激、豊かな消費生活といったあたりだろう。もちろん、仕事(市場社会の尺度で言えば田舎にはお金になる仕事がない)ということもある。
「消費が軸か生産が軸か」という観点で捉えれば、明らかに「都市(都会)は消費ありき」である。都市の過剰さとは消費の過剰さである。豊かな消費生活を求めて人々が集まり、その消費を生み出す商売=生産が成立するという構造になっている。
そうした消費本位の市場社会が様々な歪みをもたらしている。原発が象徴的だが、首都圏で消費する膨大な電気を賄うために危険な原発を福島・新潟に押しつけてきたわけだが、こうした矛盾、都市のエゴイズムをどう考えるべきか。この大きな反省に真正面から向き合うべきではないか。
また消費本位の家庭生活は教育の機能不全、介護・助け合いの機能不全を深刻にさせている。かつての共同体が持っていた機能が失われ市場化されてゆく消費本位の都市が行き着く必然である。
※日本の建設産業・都市の未来はどうなる?(前編http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/04/001270.html 

◇「生産」を軸とした集合、まちづくりへ
上述のように、消費本位で都市がつくられていくことは根本的な問題がある。そうだとすれば、あらためて「生産」本位の集合、まちづくり、共同体の建設へと回帰すべきだろう。生産本位、正確には「生産と消費を包摂する共同体とそのネットワーク」をいかに構築できるかという課題である。実際に現在、全国のいたるところでまちづくりをテーマとした活動が行われているが、「生産」を捨象したまちづくりはどこもうまくいっていない。

同時にこれからの方向性として、エネルギーにせよ、食料にせよ、消費財にせよ、一定の域内で生産・消費を行う「自給型・循環型」の経済圏を構築すべきだろう。国が推進するTPP云々とは全く逆の方向に答えがあるのではないか。消費を都市に集中させるコンパクトシティーではなく、逆に都市は縮小、分散させ、生産体に吸収させてゆく方向が正しいのではないだろうか。

国家や大企業は今後も市場延命に懸けて大都市への集中投資を続けてゆくだろう。一方で、地域発で根源回帰、生産回帰を体現するような「自給型・循環型」のまちづくりも登場しつつある。市場社会では大都市こそ最先端、地方は遅れているという図式であったが、その図式も逆転するかもしれない。これからは、根源回帰こそ最先端という時代になってゆく予感がする。

※下川町バイオマス産業都市構想 http://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/section/shinrin/files/kousou.pdf 
※海士町に学ぶ地域再生の取り組み http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=287777 
※都会ではなく、田舎こそが日本の最先端!!「里山資本主義」 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=280961 
※東日本大震災から半年が経って~21世紀未来像の欠如と地域再生の混迷が浮き彫りになる http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=257170 
※優秀な学生が地方回帰~地方に目を向け始めた若者たちは日本の救世主になる http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=286903 

歴史を振り返ってみれば、近代以前の村落共同体まで、人類の営みは常に生産基盤と一体であった。消費だけを切り離して都市という社会空間がつくられること自体、無理がある。
最終的には、企業や自治体が主導、連携するかたちで「農漁村共同体」を建設し、生産と消費の包摂する、人間的で地に足のついた生存基盤を確立してゆくことが目標になるだろう。
※農漁村共同体の建設 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=7#09 

◆5.【自給型・循環型のグランドデザイン】に向けて

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◇新しい日本を創る生産勢力
生産本位の集合、まちづくり、共同体の建設が目標だとすれば、近未来の社会がどの方向に進むのかという点において、企業のありかた、企業が果たす社会的役割は大きくなるだろう。ただしいわゆる「大企業」というかたちではない。大企業は市場延命型の都市にすがりつづけるしかないだろう。
※大企業の歴史と終焉⇒これからは共同体の時代http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/09/001615.html 

新しい日本を創る生産勢力はどこから登場するか? 
当ブログ「業界分析と展望シリーズ」で注目してきたような企業群、脱市場主義の「根源回帰」を体現しつつある企業群が、これまでの都市像に代わる人々の生活基盤を形成してゆくのではないだろうか。
これからの建築・都市のあり方は、こうした業態革命を遂げる生産勢力が形成する生産基盤・生活基盤を導くものとして構想されるべきだろうと思う。

※日本のものづくり 製造業はどうなる?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/07/001321.html 
※環境産業の可能性はどこにあるのか?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/04/001276.html 
※情報通信産業に期待されていることは?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/05/001307.html
※日本の医療・介護業界はどうなる?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/07/001329.html 
※社会の期待に応える介護とは?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/05/001558.html
※日本の農業の可能性はどこにあるのか?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/08/001378.html
※未来を拓く、社会事業の可能性http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/07/001577.html
※出版業の新しい可能性を探索するhttp://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/07/001582.html
※健康産業が向かうべき方向性とは?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2013/03/001539.html
※自給期待と業態革命~プロローグ http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2014/01/001675.html 

◇地方自治のありかた、国家の統合機関も変わる
建築・都市という物理的基盤(ハード)だけでなく、「社会的仕組み」(ソフト)も同時に変わってゆく必要があるだろう。明治以来の市場拡大を唯一最大の目的としてきた制度や行政は機能不全が限界に来ており、転換が迫られている。国家管理型でもなく、市場主導型でもなく、「自律性の高い共同体(企業・地域)のネットワークとしての自治=自主管理」のありようが求められている。
※地方自治は今後どうなるのか? http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/12/001435.html ※統合機関の交代担当制http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=7#04 

◇都市開発の価値観の転換、自然の摂理への回帰
建設、都市開発の仕事に携わる者の資質、目的意識も変わってくるだろう。次々と新しくつくることが目的ではない。これからは、技術のみならず、「人間、集団、環境、社会とのより深い相互関係への認識」が必要となる。技術領域においても、経済利益のための技術ではなく、「人間に寄り添った技術」「維持可能な社会のための技術」「自然の摂理と調和する技術」へ。また近代科学技術の負面に対する研究や評価はより慎重に行うべきであり、「自然の摂理に対する謙虚さ、学ぶ姿勢」が求められる。こうした新しいベクトルを持った創造競争と技術革新を促進する仕組みが必要となるだろう。

 ★根源回帰の潮流を基盤とする、「業態革命を遂げる企業群が形成する生産・生活基盤」、「自律性の高い共同体(企業・地域)のネットワークとしての自治=自主管理」、「自然の摂理への回帰」、これらの合流する先に未来の【自給型・循環型のグランドデザイン】が像を結んでくるのではないだろうか。

 

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