☆ランキング☆
にほんブログ村 経営ブログへ

最新記事一覧

最新コメント

最新トラックバック

2012年04月24日

環境産業の可能性はどこにあるのか?(後編)

%E5%A4%AA%E9%99%BD20120324.jpg
前回記事(環境産業の可能性はどこにあるのか?(前編))では、環境問題の構造、現在の環境ビジネスの実態を明らかにしました。
まずは、前回のポイントを整理します。
環境問題を生み出した元凶は市場拡大(大量生産・大量消費)
環境問題の元凶である市場が環境問題を解決することは構造的に不可能
現在の「環境ビジネス」の多くは環境問題を解決するどころか、ますます悪化させている

この事実を受け、環境産業に可能性はあるのか、あるとすればその基盤はどこにあり、どのような方向性となるのか、を扱います。
現在、国民の環境意識は急速に高まっています。意識の高まりが環境ビジネスに利用されている側面はありますが、根源的な環境意識と言える、自然の摂理への回帰意識が高まっているのは事実でしょう。
環境産業の可能性基盤を発掘するため、まずはこの意識潮流を構造的に押さえなおします。

にほんブログ村 経営ブログへ


■市場の縮小と根源回帰の大潮流
※市場の縮小と根源回帰の大潮流

’70年頃、先進国ではほぼ豊かさが実現され、飢餓の圧力が消滅した。すると、たちまち私権圧力が衰弱してゆく。そうなると、これまで、私権の強制圧力によって追い立てた上で利便性や快美性を囃し立て、過剰刺激によって水膨れさせてきた物的欠乏は、衰弱してゆかざるを得ない。
それは、市場の縮小を意味する。
(中略)
社会の表層での金貸し勢の暴走をよそに、社会の深層では、私権圧力と物的欠乏は衰弱し続けてゆく。そして、私権圧力の衰弱は、市場活力を衰弱させると同時に、他方で、新たな活力を再生してゆく。それが、根源回帰による活力の再生である。
私権の強制圧力が衰弱すれば、これまでその強制圧力によって歪められ、あるいは抑圧されてきた人類本来の活力源に回帰してゆくのは当然の理(ことわり)である。
まず最初に生起したのは、本能回帰の潮流である。それは、’70年代以降のヒッピーや環境運動を含む自然志向に始まり、’90年代の健康志向、’02年以降の節約志向(「もったいない」)と、どんどん広がってきたが、ついに’11年、原発災害を契機として、「食抑」意識が生起した。食抑意識とは、「万病の元は食べ過ぎに有り。一日2食で充分。(理想は1食)」という認識で、広範に広がる気配を見せている。
これらの潮流は、一見本能の抑止とも見えるが、そうではない。それは、過剰刺激に対する本能の拒否反応であり、健全な本能回帰の潮流である。この本能回帰の潮流が、市場を縮小させた主役であることは言うまでもない。

○脱市場社会への価値観の大転換
この「根源回帰」、「本能回帰」(節約志向、もったいない、食抑)の潮流は、環境産業を含め、今後の産業を考える上では極めて重要です。豊かさが実現した以上、市場縮小は避けられません。
更に、1~2年後には「放射能はなくならない」「日本経済の没落も避けられない」etc、『もう元には戻れない』という状況判断に収束してゆくと考えられます。この『もう元には戻れない』という判断は、状況認識の大きな転換であり、それは脱市場社会への価値観の転換を引き起こします。
そして、おそらく数年後には、脱市場≒ゼロ成長の自然循環型社会への変革気運が高まってゆくと考えられます。
%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%AA%E3%81%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E6%B3%9520120324.jpg
画像はこちらよりお借りしました。
○ゼロ成長を前提とした発想への転換
これまでの環境技術の多くは、本音では、「市場拡大=経済成長」を目的としています。もしくは「経済成長を阻害しない範囲で」という中途半端なものでした。
環境産業が、人々の期待に真に応え、社会の役に立つには、根底的な発想の転換が必要です。自然に適応した循環型社会に転換するためには、ゼロ成長を基本に考えていく必要があります。そうした発想こそが、自然の摂理に則った暮らしには不可欠なのです。
では、ゼロ成長、市場縮小を前提にした社会とは、どのようなものなのでしょうか?
%E7%89%A9%E7%9A%84%E9%A3%BD%E5%92%8C%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9520120324.jpg
■市場縮小→脱市場社会、循環型社会へ向けて
○自然の摂理から逸脱した市場社会
市場縮小を前提とした社会を鮮明にするために、まずは現在の市場社会の実態を明らかにします。
市場経済では、経済的効率性を高めることに最大の価値が置かれます。安い資源とエネルギーを使い、環境を顧みず、大量生産すれば効率がよくなります。大量生産には大量消費が必要であり、消費拡大が企業経営の最重要な戦略になります。
現在の市場経済は常に経済成長を続けないと成り立ちません。しかし、物理的に成長するものはすべてある時点で成長が停まるのが自然の摂理です。無限の成長は癌細胞と同じく本体そのものを破壊することになるのです。
現在の経済ではGDP の絶対値が如何に大きくても、成長率が減少すると直ちに倒産や失業率増加という不景気現象が起こります。不景気対策は財政支出による消費の増加、または規制緩和や民営化で競争を刺激して供給能力を増すなど、いずれも生産・消費の拡大を唯一の道としています。これらは不景気の根本解決にはならず、次の不景気の下地をつくるだけです。
つまり、不景気の原因は拡大型社会そのものにあります。需要拡大策とは、不要なものを必要と思わせる、消費者騙しの策に過ぎません。このような不景気対策は、将来を犠牲にして病根を一層大きくするだけです。
○脱市場社会が根源回帰の意識潮流を加速する
市場縮小を前提とした社会では、物質とエネルギーの総消費は環境的持続可能な水準以下に抑え、かつ生産と消費の絶え間ない拡大は不要となります。
このことは、市場主義的価値観からは後退に映るかもしれませんが、そうではなく、市場主義・私権観念がもたらす固定観念=不自由からの開放を意味します。上述の意識潮流に沿った、より根源的な共認充足が得られる社会となるのです。
ピークオイル説等が正しいかどうかは別としても、非再生可能資源の消費の許容限界は重要な課題です。理論的には少しでも消費を続ければ、いずれ必ず枯渇しますが、化石燃料も金属も全く使わない生活は(少なくとも当面は)非現実的です。そこで当面は、準循環型社会をめざすことになるでしょう。いずれにせよ、循環型社会に向けては、大幅な消費削減が必要です。
「縮小社会の技術 石田靖彦」によれば、例えば日本の一次エネルギー消費を世界平均並にするには現在より60%、世界の総消費を現在の半分以下にするならば、日本は現在より 80%削減しなければなりません。しかし、ここまで落としても、準循環型社会と言えるかどうかはわかりません。
消費を減らすという話ばかりでは、抑圧するような印象となりますが、より重要なのは、脱市場社会が根源回帰の意識潮流に合致した社会であることです。
むしろ、現在は表層の私権観念によって潜在思念が抑圧された状態にあり、脱市場社会においては、根源的な充足の可能性がより拓かれ、根源回帰の意識潮流が加速することになるのです。
参考:縮小社会の技術 石田靖彦(氏)
自然も人も壊す拡大型社会~拡大型社会を造った原因
自然も人も壊す拡大型社会~負面の研究と新しい挑戦、本来の充足へ
■本来の環境技術に求められる条件
以上のような市場縮小社会を前提とした場合、環境技術にはどのような考え方が求められるでしょうか。
度々述べているように、現代の環境技術は、大量消費を前提にしてそのマイナス面をごまかし、大量消費を継続する技術、私権充足を求める市場時代の技術になってしまっています。しかし、現代は市場社会から共同体社会に移行する時代であり、本来の環境技術は市場社会を共同体社会に転換していく技術です。ですから、本来の環境技術の条件を検討することは、共同体社会の技術がどうなるのかを考えることでもあります。
市場社会は、私権充足のために自然を支配し自然から収奪する社会でしたが、共同体社会では自然に対して感謝し、自然の摂理に学ぶ社会に変わります。このような社会では、資源やエネルギー、生態系などが大切にされ、出来る限り物を無駄にせず、排出物を減らし、人工物質の安全性を十分に検証することになります。
また、市場社会では利益を得ることが生産の目的でしたが、共同体社会では共認充足を得ることが生産の目的に変わります。
市場社会では機械や外国人などに安く物をつくらせることが重要でしたが、共同体社会では自ら生産することで誰かの期待に応える事が重要になると思われます。このような社会では、品質の高い物を修理しながら長く使ってもらうことが喜びであり、生産と消費の範囲も、共認が成立する範囲が中心になると思われます。
以上の事から、本来の環境技術の条件を列挙すると以下の5点になると思われます。
20120324%E5%9B%B3%E8%A7%A3
%E8%BE%B2%E5%9C%92%E3%81%AE%E6%A7%98%E5%AD%9020120324%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%AE%E6%A7%98%E5%AD%9020123024
画像はこちら
画像はこちら
■利益追求、企業という枠組みを超えた環境事業
現在の環境産業の中にも、割合としては少ないながらも、上記の条件を満たし、可能性を指し示してくれている事業が既にあります。
これらの事例は、どれも市場における利潤追求が目的なのではなく、地域の生活、生命を守りたいという想いからなされています。だから過剰には儲からなくてもでき、自分たちで担おうという当事者意識が生まれるのでしょう。もはや事業を担うという次元を超え、集団、地域を担うという意識が生まれているように感じられます。
○葛巻町バイオマスタウン構想
葛巻町は自然エネルギーの導入と省エネルギーを町づくりの柱とし、現在、町の電力自給率は166%となっています。畜産業と林業が町の基幹産業であるため、この2つの産業から得られるバイオエネルギー(蓄糞、間伐材)を有効利用しています。特に蓄糞は社団法人葛巻町畜産開発公社が管理するくずまき高原牧場に乳牛200頭分の糞尿を原料とするバイオガスプラントが稼動しており、未利用エネルギーであった蓄糞の有効活用につながっています。
また、小学校教育に省エネ学習を盛り込み、子どもから家庭、家庭から地域へ省エネ意識も高めています。
※葛巻町のように自然エネルギーで自給できている市町村は全国で57市町村あります。
日本の市町村数が1827(2007年3月末)なので、約3%の市町村がエネルギーを自給することができています。
このように地域分散型の新しいエネルギーシステムは、小さな発電所を各地域に分散させて市民自らが管理・運営していくシステムです。
市民が参画することで生まれる当事者意識が、必要か否かという判断軸でのエネルギー消費を促し、地域分散とすることで、送電距離も短くなることから送電ロスも削減。
さらに地域でエネルギーを生産するための新たな役割=雇用を創出し、社会の活力と充足につながります。
○おひさまエネルギーファンド株式会社「立山アルプス小水力発電事業」
おひさまエネルギーファンドが市民から融資を募り、そのお金でアルプス発電が小水力発電所を建設・運営を行ないます。発電した電力は電力会社に売電し、その販売益でおひさまエネルギーファンドに配当。おひさまエネルギーファンドはその配当で、市民に配当を行ないます。
市民からの融資の申込単位は50万または300万円。金額の違いにより配当が変わり3または7%となります。
※一般的な世帯(3人暮らし)あたりの電力消費量は3600kWh/年といわれています。
立山アルプス小水力発電事業(540万kWh/年)の場合は1500世帯の電力量が賄える計算となります。
自分たちのエネルギーは自分たちで作り出していく。
地域の自然の恵みを活かしたエネルギー生産で地産地消の循環型の地域づくりを実現しています。
 
○【共認時代の農業~先駆的事例紹介】福岡県築上町の取組み~うんちとおしっこがお米を育てる~
循環型の農業を地域で取り組んでいる福岡県築上町は、さまざまな取り組みを実践し、効果を出しています。
・町内で回収されたし尿を液状堆肥化し、田畑へ還元化⇒有機液肥製造施設を建設
・地元で採れた食材の学校給食への導入など地産地消システムを実現
・町の職員や大学教授が小学生に「循環(環境)」の教育,食育,農作業を実践
等々・・・
人々の環境への意識が高まり、購買行動や廃棄物処理にも環境配慮が唱えられる現在、「大量生産・大量消費・大量廃棄物型社会」から『資源循環型社会』への変換が求められています。
福岡県築上町では、自治体が『資源循環型社会』に変換するという方針から、より自然の循環に則した農業の制度を作り,そのシステムが,町に暮らす人々にたくさんの役割を作り出しています。
そして,その役割の共認が、共認充足を生み出し,さらに,教育の制度にも組み込むことで,農業の大切さ,自然の循環の大切さの意識を育むと共に,次世代を育てるという,持続可能な体制を創っている自治体です。
○「究極の御用聞き」をめざす町の電気屋さん
東京町田市にある電気店「でんかのヤマグチ」は、昭和45年の開店以来、訪問販売に力を入れ、町の電気屋さんとして愛されてきました。
ヨドバシカメラやヤマダ電機などの家電量販店の郊外への進出で危機的状況に陥りながらも、「究極の御用聞き」を社員みんなで共認、地域のお客様との繋がりを大切にし、本業以外のことでもお客様の要望に応え続けてきたことが、地域の人々に必要とされ量販店に負けずに生き残っている理由です。
人々が求めているものは、大量生産による安くて品質が悪いものではなく、品質の良い物を大切に長く使うことです。そんなお客さんの気持ちに応え、修繕等のアフターフォローの充実や、いつでも親身になって応えてくれる忠実さなのだと想います。
町の電気屋だからできること。地域の人との繋がり、利益第一ではなくいかにみんなの役に立って喜ばれるか、その姿勢が評価を獲得することに繋がっています。
■企業という枠組みを超えた環境技術の可能性
脱市場社会、循環型社会においても十分に継続可能性がある取り組みは、すべて企業という枠を超え、共同体全体というより広い枠組みに広がっていることは非常に興味深い事実です。
これは、もはや一企業という枠組みに捉われて環境を思考しても絶対的な限界があることを示唆しているように感じられます。
冒頭扱ったように、既に「根源回帰」、「本源回帰」へと意識潮流は移行しており、数年後には自然循環型社会への変革機運が高まってくるものと考えられます。この機運に応えられるのは、根源回帰の意識潮流に乗り、更には加速させるような仕組みになります。
具体的には、①大量生産、大量消費を前提にしない、②自給自足、地産地消型の生産消費、③共認充足を目的にした生産消費、④自然の摂理に則った生産技術、⑤共同体全員で担う生産消費という5つがその条件になると考えられます。
これらは、事例を見ても明らかなように、旧来の企業活動という枠組みではとても満たすことができません。逆に言えば、企業という枠組みを超えるからこそ、利益追求を第一としない、新たな生産体を創造することができるということでしょう。
このような取り組みが増えてくれば、国民が本当に望む自然の摂理に則った暮らしにも近づき、更には活力、充足に満ちた社会になっていきそうだという期待を感じさせます。

 

コメントする

comment form

trackbacks

trackbackURL:

トラックバック(1)

これからは共同体の時代
[…] ※環境産業の可能性はどこにあるのか?http://bbs.kyoudoutai.net/blog/2012/04/001276.html  […][続きを読む]

トラックバック時刻: 2014年3月19日