2014年12月16日
新聞の歴史とこれから①~プロローグ:専業でも政治主張でもない、企業発の新聞が新しい~
都市部に住んでいると、新聞と言えば五大紙(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞)をイメージしますが、その常識が当てはまるのは、都心部=関東・関西の都道府県しかないことをご存知だったでしょうか? 下の表をご覧ください。
五大紙がトップシェアを占めているのは11の都道府県のみで、残りの36の都道府県では地方紙がトップシェアであり、その普及率が軒並み50%を超えているのです!
そして、地方紙のなかでも、高い世帯普及率を誇っているのが鳥取県の日本海新聞で、日本海新聞を発行する新日本海新聞社は、大阪でも大阪日日新聞を発行、気を吐いています。
日刊紙のほとんどが、五大紙をはじめとする専業新聞、あるいは、専ら政党の主張を目的とする機関紙ですが、その中にあって、異業種の企業経営者がオーナーとなっている新聞は稀有な存在であり、その主張は読者の溜飲を下げるものばかりです。
今回のシリーズでは、この企業発の新聞に注目することを手始めに、日本の新聞の歴史を遡り、新しい新聞のカタチを占っていきます。
●実業家による買収で再生した日本海新聞(鳥取)と大阪日日新聞(大阪)
現在、両紙を経営しているのは、新聞業界とは全く無縁だった異業種の企業経営者です。
日本海新聞は、五大紙が相次いで創刊された1870年代とほぼ同時期の1883年に創刊され、今年で133年目を迎える長い歴史を持ち、現在、地方日刊紙では福井新聞(78.6%)についで2番目の世帯普及率75.8%を誇っています。また、大阪日日新聞は、買収後に夕刊紙から朝刊紙にリニューアルし、「最も安い新聞」を謳うなど、キラリと光る経営を行っています。
両紙の系譜をウィキペディアから見てみます。
日本海新聞の源流は明治16年6月28日に鳥取市川端で発行された『山陰隔日新報』である。(中略)『山陰隔日新報』は明治18年11月『鳥取新報』と改題。明治25年2月『因伯時報』が創刊。米子市にも明治40年11月『米城新報』が誕生、明治41年4月『山陰日日新聞』と改題。昭和14年10月『新報』『時報』『山日』の3紙が合同して『日本海新聞』となった。
昭和18年の鳥取地震、並びに昭和27年の鳥取大火による本社消失中の間も休刊せずに新聞を発行した(中略)
しかし慢性的な赤字経営が続き、昭和50年に会社更生法の適用を申請し倒産。一時休刊するも、鳥取県で紳士服や不動産の会社を運営する実業家・吉岡利固(よしおか としかた)のグループが再建スポンサーとなり、新日本海新聞社から翌昭和51年復刊(号数を旧日本海新聞から継承)した。(中略)
平成12年10月、大阪府で夕刊紙「大阪日日新聞」を発行していた大阪日日新聞社(買収後の平成14年10月に社名を「ザ・プレス大阪」に変更)を買収し、傘下に収める。閉鎖した姫路支社のスタッフを移行させ、同紙を大阪府下の地方新聞で戦後初めての朝刊(専売)紙にリニューアルした。 平成20年2月、新日本海新聞社を存続会社として大阪日日新聞の発行会社「ザ・プレス大阪」を吸収合併、新日本海新聞社大阪本社とする。
●他紙が報じない事実に切り込んだ論説
いわゆる五大紙が政府の大本営的な紙面となっている中、日本海新聞と大阪日日新聞は政府や他紙が報じない事実に切り込みんだ、胸のすくような明快な論説を展開しています。
その内容は、るいネット(「官僚の背後に米国~地方紙(新日本海新聞)社主がタブーを堂々と論説!」、日本もアメリカなみに1%(の金貸し)に支配されている(大阪日日新聞:論壇))
で取り上げられていますが、その他の論説を社主・吉岡利固氏が執筆する大阪日日新聞の「ザ・論点」から抜粋します。
○秘密法審議のおごり(平成25年12月12日)
国会審議をみると、最も大切な「何が秘密なのか?」のチェック機関設置や人選で、まるで論議が詰まっていない。法案成立が「まずありき」で、議論不足が次々露呈し実に拙速だ。実態は強権的でも、安倍首相の話しぶりはおだやかで、「国民に十分理解していただけるようこれからも説明を続ける」という。前回政権に就いていた2007年当時はむしろ、カラ元気が目立ったが、今回は発言はおとなしく、やることは逆に強気一辺倒だ。
安倍首相は、原発行政についてもかつての上司である小泉元首相に批判されてもまったく聞く耳を持たない。この問題でも党内で批判の声が上がらないから好き勝手に原発再稼働を進めることができる。
○円高・株高が理想(平成25年9月3日)
日本の経済活動を活発にするには「円高・株高」に誘導することだ。ここ数年外国人投資家による日本株売りで「円高・株安」が続き、アベノミクスで「円安・株高」に転じた。皆すっかり忘れてしまっているが、20世紀末のバブル期は「円高・株高」だった。為替と株価が逆相関するようになったのは、日本経済が外需依存、もっといえば米国依存と世界から思われているからだ。シリア問題で不安定要素が増している米国経済の強弱に関係なく、「日本経済は強い」という印象を持たれれば、円も日本株も買われる。そのために政府と官僚はもっと企業の海外活動への支援に本気を出すべきだ。安易に消費税を上げ、社会保障に税金をさらに投入することで、景気の腰を折ったら誰が責任を負うのだろう。
いずれにせよ、安倍政権は消費増税に加え、憲法改正論議と中韓アジア外交で必ず行き詰まる。その時に、自民党が自浄作用を図れないと、国民生活は危機的状況に陥る危険性がある。
○採算合わぬ原発(平成25年9月3日)
最後の話題は、福島第1原発の敷地内に大量に保管されている高濃度汚染水の処理問題だ。東京電力に当事者としての解決能力がないことがはっきりしている。
米国バーモント州のヤンキー原発が「来年末までに停止し、廃炉にする」とこのほど発表された。使用限度年数を大幅に残しての決定は「安いシェールガスの生産本格化で競争力が低下、さらに福島の事故以来安全対策費の増加で採算が合わなくなった」ためだそうだ。実に合理的で分かりやすい。
わが国の原子力政策もそう考えると、「安くて安全、クリーンな発電手段」とはもう言えないのだから、単純に採算性でエネルギー転換をはかるべきだ。電力会社の主張する「原発が動かせないから、電気料金引き上げ」という図式は、経営者として見てまともな発想とはいえない。
その他、改憲問題など、広く社会を捉えて、「社会にとって何が必要で、必要でないか?」を明快な論旨で展開されます。
●社主=吉岡利固の人物像
このような主張を繰り広げられる背景には何があるのでしょうか?社主・吉岡利固の人物像を見てみましょう。ウィキペディアから引用させていただきます。
・中央大学法学部を卒業後、国税庁・大阪国税局調査官、紳士服メーカー・エフワンの鳥取県での製造・販売代理店として1961年に設立された鳥取エフワン(現・グッドヒル)の経理部長を経て、同社社長に就任。不動産事業(ハウス日本海)にも進出した。
・1976年、会社更生法の適用を申請して休刊中だった日本海新聞の経営を引き受け、鳥取県を代表する地方新聞として再建を果たした。さらに2000年には大阪日日新聞を傘下に収め、2002年にはエフワン本社(大阪市)を親会社の三井物産から買収し、着実に全国進出への足がかりを進めている。
現在は、それ以外にも多くの企業を傘下に収め、鳥取財界の有力者となっている吉岡利固氏。
企業の経理部長から社長へ、子会社による親会社の逆買収、そして、新聞会社の買収と、勝ち上がってきた事業家としての経験を通して、企業もまた現実の社会を構成する一員であることを確信され、その社会がおかしくなっていくことに対して、何とかしたい、モノ申さずにはいられない、という心中にあるのではないかと推察しています。
最後に吉岡氏の言葉を引用します。
「企業の使命とは従業員を含めた地域社会を守ることで、利潤を出すことだけではない。調子のよいときは政府要請でベアに応じるくせに、甘い見通しで収支が悪化したらリストラや工場閉鎖で帳尻を合わせるような経営者を信用してはならない。もうかったときは経営側と従業員で利益を分配し、そうでないときは給与をカットしても絶対に雇用を守り、皆で痛みを分かち合う。わたしはそれを経営方針として今日まで進んできた。30年先の社員の幸せを見越した経営方針を自己責任で立て、ブレない信念を持つトップこそこれからの日本社会に必要なのだ。」
社会に生き、現実の圧力を受けて生産活動をしていると、おかしくなっていく社会を看過できません。
社会の当事者としてモノ申すという「志」を持つ企業発の新聞に、今後とも期待していきたいとおもいます。
次回以降、日本の新聞の歴史を遡り、これからの新聞のあり方を深めていきます!
- posted by komasagg at : 20:25 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
沖縄は2つの地方紙でシェア80%近くになる。道理で、今回の選挙で自民党が勝てなかったわけだ。
新聞の力は大きいが、一極集中となっていないことに可能性がありそう。
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