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共同体と教育~地域活動における人材育成~地域づくり創業塾~

地域づくりは課題がたくさんありますが、もっとも重要かつ困難なのが人材育成。自治体は今、様々な取り組みを試しています。その中にあって、東北大震災の被災という現実を前に、生まれた取り組みを紹介します。

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◆大震災で地域課題が深刻化
宮城県県南地域は仙台市から南に位置する地域である。東日本大震災以前から県平均を上回る人口減少率、過疎化や高齢化等を要因とする深刻な地域課題に加え、大震災により沿岸部は甚大な津波被害、山間部は原発事故による被害を受けた地域でもある。

例えば、人口減少に拍車が掛かり、震災後3年で20%以上の人口が流出した町、過疎集落の住民たち自らが自治組織を立ち上げ、これまでの行政機能や公民館事業を担っているような地域もある。各自治体もそれぞれ、地域課題解決のために各種政策に取り組んでいる。
しかし、震災で課題がさらに深刻化した「課題先進地」とも言えるこのエリアでの地域活動には様々な困難が伴い、どの地域も行き詰まりを感じているように見える。

◆「若者がいない」は本当か?
私は震災後、地元であるこの地域にUターンし、地域住民が震災後の地域づくりに参画できる仕組みづくりに携わってきた。ワークショップ・交流事業を通じて3年で延べ5000人以上が地域に参画できる機会・出番をつくってきた。一方、地域ではこんな声をよく耳にした。「若者がいない」「人材がいない」「担い手がいない」という声だ。

県南地域の若者が、自らの暮らすまちを良くしようと懸命にそれぞれの活動に取り組んでいる姿を間近で見ていた私は、こういう声を聴くたびに、とても悔しかった。「地域を何とかしたい」という想いを持つ若者はもっと居ると確信していた。想いを持った若者の活動が、地域のニーズとつながる「出番」、「きっかけ」がないだけである。そう思い、「一般社団法人ふらっとーほく」が平成26年4月に立ち上げたのが「伊達ルネッサンス塾」であった。
この塾は、島根県雲南市で4年前から取り組まれている若者人材育成塾「幸雲南塾」を手本として、ノウハウの支援を受けながら実施した。

◆「起業しなくてもいい」地域づくり塾
よくある起業塾・創業塾ではなく「起業しなくてもいい」地域づくり塾と銘打った。東北の地域では震災前後より創業支援はたくさん行われた。一方で、創業未満の担い手の発掘はまだ不十分である。いきなり起業しなくても、自分ができるきっかけを探していくことで徐々に、出会いを広げて、できることを増やしていく。自分から想い持って行動できる人の裾野が広がるだけで、地域・個人が一歩一歩変わっていく。私自身も、震災後たくさんの人たちと関わるなかで、自分ができること、一生ものの仲間が増えていった経験を活かしたかった。

◆地域づくりのマイプランを作成
「伊達ルネッサンス塾」の塾生は、20代~40代の9人が公募で選ばれた。仕事をしながら、主婦をしながら、学生しながら、「ながら」で地域に関わり、地域をよくする企画=「マイプラン」を考える。塾生の半分が、プレゼンテーションが初めてで、最初は人前で話すなんて信じられないという塾生もいた。
半年間、月1回のペースでプログラムを実施。塾生たちが各自プレゼンテーションを行いながら「マイプラン」を形にしていった。企画そのものの完成度よりも、塾生自身の「想い」とプランがいかにつながっているか、その想いが聴き手に伝わるかを大切にした。

毎回、塾長・塾生、一般聴講者(サポーター)から相互にアドバイスをもらった。厳しい意見にちょっと落ち込み、応援されて勇気づけられ、プラン実現のために人脈や先進事例を紹介されたりと、その場に関わった全員が、多様な形で塾生をサポートできる体制が徐々に出来上がっていった。出来上がったプランは、内容も、取り組む地域課題も多岐にわたる。「空き屋を活用した、若者が集うコミュニティカフェ」「中山間地域で交流スペースづくり」「不登校生徒への学習サポート」「食生活改善のためのお弁当開発」「農村・都市の交流マルシェ」「子どもが地域の資源に出会い学ぶ機会の創出」などだ。ほぼ全員が、具体的にプランを実行に移しつつある。

塾生が、半年かけ磨き上げたマイプラン。最終発表会では、自治体職員、地元企業の方など約50名の方の前で、集大成を堂々と発表した。若者たちが踏み出そうとする姿に、「こんなに、若者が地域のことを考え行動しているなんて知らなかった。自分もできる限りサポートしたい」と、目頭が熱くなった大人たちが続出した。

◆塾が生んだ効果、若者同士の広域連携も
これまで地元の限られたコミュニティの中にいた若者たち。塾を通して出会った他地域の仲間たちと「想い」を共有したことで、互いの地域を行き来し合い、互いをサポートし合う関係が生まれている。人員不足に悩んでいたそれぞれの地域事業やお祭りに、塾で知り合った仲間が市町村の垣根を超えて協力に入ったケースも出てきている。これは今まで宮城県南地域ではなかった動きだ。塾生それぞれの「想い」からはじまった「広域連携」といえるだろう。

◆「若者がいない」なんてもう言わせない
塾を3年間継続すると、約30人の地域の若手プレーヤーが新たに発掘され、同時に若者たちを支援するサポーターが増えていく。塾のOBが中心となり、人材を見つけたい地域のニーズと、想いのある若者を繋ぎ合わせる窓口としての役割を担う。震災復興や地域課題の解決の加速を目指していくことが目標だ。

宮城県南地域の各市町村に若者たちのエネルギーを生かす仕組みが広がっていき、行き詰まりつつあった地域課題の解決が加速する。そういう未来像をこの地域から、描いていきたい。数年後、「若者がいない」なんて言葉は、もう誰も言わなくなる地域になっていることを目指して。

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