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2015年08月04日

共同体と教育~江戸期の子供達に見る無意識の教育~

学びの在り方は、社会の行く末に関わる。現在、少子高齢化の波を受け、日本のあらゆる教育現場は、大きな転換を余儀なくされているが、実は、単に子供が少なくなったことが問題なのではない。市場社会の崩壊を受け、旧態依然とした教育は、もはや役に立たなくなったのである。教育の歴史を紐解きつつ、新しい教育の取り組みを探る。

今日は江戸期の子供たちの学びを紹介してみたい。

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渡辺京二『逝きし世の面影』を読む

下層階級の赤ん坊は生れて二、三週もたつと、家族の誰か、多くは姉とか兄の背にくくりつけて運ばれる。その姉や兄はときにはわずか五、六歳ということもある。

家庭が貧しいほど、幼な児が誰かにおんぶされる時期が早く来る。生後ひと月になるかならないくらいの赤児が、頭をぐらぐらさせたり、まばたきをしたりしながら、兄か姉の背に長い布のバンドでくくりつけられ、どんな天候の下でも街中で過しているのをよく見かける。

寒いときは姉さんの羽織が特別の覆いの役目をするし、日差しが烈しいときは姉さんの日傘が、ぐらついている髪の生えぬ頭を日差しから守ってくれる。

こんな風に世間の中で過しているので、彼らはすぐ賢そうで生き生きした顔つきになるし、年上の子どもたちのやっている遊びを、おんぶしている者の背中から、遊んでいるものとおなじくらい楽しむのである。

日本の赤ん坊はおんぶされながら、あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで起るあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混りあった格別の重々しさと世間智を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ。

姉の子守

赤ん坊は、「物心」つくよりも早く、(生まれて二、三週間!)、外に連れまわされ、母親や姉の背中から、年上の子どもたちのやっている遊びや、いろんな物を見ながら成長していく。今の子育てからは、考えられない。

だが、これは、現代の概念で言えば、「早期教育」ということと、ちっとも変わらないではないのではないだろうか。「無意識の早期教育」とでも言うべきか。母親の背中や、姉の背中に負われていれば、情緒もとても安定した状態で、世間や、子どもたちの遊びを見聞していたに違いない。充分に、いい無意識の教育になったと思われる。

しかしネットーによれば、子どもが母親の背から降りるようになって第一にする仕事は、弟や妹の子守りだった。そこで、街中に「子供に背負われた子供や、子供を背負った子供が見られる」ことになる。「背負っている方の子供が、背負われている子供に比べてあまり大きくないこともある」。

ブスケによると「日本の子供は歩けるようになるとすぐに、弟や妹を背負うことをおぼえる。……彼らはこういういでたちで遊び、走り、散歩し、お使いにゆく」。もちろんこれは庶民のならわしだった。

 

こども

しかも、負われていたその子が成長すれば、今度は、その子がもっと小さい子をおんぶする係に回ることになる。それも自然に受け入れられただろう。自分もそうしてもらっていたのだから。おんぶから降りると、そうやってすぐに、地域の子どもたちの集団に入ることができたに違いない。

江戸時代の子供達の様子からは、幼い頃から集団の中に居て世間(外圧)を知る事こそ、人が成長する上で欠かせない条件である点が浮かび上がってくる。現代、早期教育というものがあるが、個人の能力だけに焦点を当てた教育は、何とも無意味で、むしろ子供の成長の芽を摘む行為ではないだろうか。

 

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