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共認時代における人材育成とは?~前編~

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前回までは、さまざまな業界を取り上げ、歴史や現在の課題、今後の可能性などを扱ってきました 🙂
日本の建設産業、都市の未来はどうなる?(前編) [2] (後編) [3]
環境産業の可能性はどこにあるのか?(前編) [4] (後編) [5]
情報通信産業に期待されることは?(前編) [6] (後編) [7]
日本のものづくり 製造業はどうなる?(前編) [8] (後編) [9]
日本の医療・介護業界はどうなる?(前編) [10](後編) [11]
日本の農業の可能性はどこにあるのか?(前編) [12](中編) [13](後編) [14]
共認時代の金融機関の役割は?(前編) [15](中編) [16](後編) [17]
地方自治は今後どうなるのか?(前編) [18](中編) [19](後編) [20]
1970年の豊かさの実現に伴う物欲の低下、消費意欲の衰退により、市場は縮小過程に入りました その後、日本ではバブルの形成と崩壊を経験し、2008年のリーマンショック=世界規模でのバブル崩壊を経て、経済の縮小は誰の目にも明らかなものとなりました。市場縮小の現実はもはや誤魔化しきれなくなっており、各業界・企業は厳しい淘汰圧力に晒されています
今年も、パナソニック、シャープ、ソニーなどの大企業が巨額赤字を計上し、もはやどんな一流企業であろうと安泰とはいえません 😥 各企業は大規模なリストラを進め、人件費を削ることで黒字額をなんとか確保しようとしていますが、行き詰まりは明らかです
日本を代表する大企業ですらこのような状況であり、規模の大小を問わず、企業は同じような状況に置かれています
各企業の経営者は、人材育成が重要であるという認識を持ってはいますが、目先の利益確保という圧力の中で、思うように人材育成に注力できていないのが実態です
また、人材育成といっても、旧来の講習会形式や自己啓発のような研修では思うような成果が上げられておらず、その効果が見込めないこと、つまり人材育成に対する答えがないことも、力を入れて取り組めない原因となっています
しかし、企業経営者が人材育成の重要性を心底では感じているように、企業内でどのようにして社員の活力を高めていくか、どのようにして前向きな空気をつくり出していくかというのは、生き残りをかけた企業にとって、非常に重要な課題であることは間違いありません
そこで、今回は、「共認時代における人材育成」を扱います 😀


今後の人材育成の方法を追究するに当たって、まず、これまでの人材育成の歴史を振り返ってみます それぞれの時代がどんな時代で、どんな能力が求められ、どんな人材教育が行われていたのでしょうか
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■人材育成の歴史
●江戸時代の人材育成
江戸時代に入り、武士の教育機関として、家塾や私塾、藩校が設立され、庶民も寺子屋や郷学で「読み・書き・そろばん」を習いました。当時、江戸の識字率は世界最高水準を誇ったとも言われます 元禄時代には、商業が発達して巨大な商家も生まれ、近代経営の組織の萌芽が見え始めます。「三井越後屋」(商家)は、現代の中堅企業に匹敵するほどの規模がありました。この当時すでに本店で採用する中央集権的な人材の採用とジョブローテーションによるOJTの育成の仕組みが存在しました。業務終了後の夜間に「読み・書き・そろばん」を奉公人に教えるOFF-JTの仕組みを持った商家も多くありました。
商人の育成で大きな役割を担ったのは石田梅岩です。倹約・堪忍・正直などの徳目を説いた「心学」は商人の道徳として広まりました。彼の教えは、松下幸之助にも引き継がれ「PHP研究所」を設立するきっかけにもなったと言われています。幕末から明治時代にかけては、吉田松陰の松下村塾のような私塾が大きく寄与しました。明治時代に入ると、その動きは顕著になり、当時は、教育といえばもっぱらエリート教育が実施されました。
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●明治~戦前の人材育成
この時代、日本はさらなる近代化を進めるため、国民の知識水準を高めることが必要でした。明治期には、軽工業を中心に多くの企業が生まれましたが、技術者・技能者が不足し、大学や専門学校の新卒の採用ではまかないきれないため、競って企業の中に養成機関を設けました。小野田セメントの創立者は、社員のための「夜学会」を開設しました。その修業年限は1年で、修身、国語、漢文、数学のほか、セメント学講義、機械製図等の実習を行いました。安田銀行の場合、採用が決まると、寄宿舎に入れ、1年間鍛えました。そして、仕事を覚えると2、3カ月で別の係にまわされるなど、ローテーションによる育成が行われたといます。上記のような取り組みにより、人材が育ったとしても辞められてしまっては企業は困るので同一企業内で長く働いてもらうことを目的とした年功序列などの制度が生まれます。
●戦後の人材育成
わが国において企業内教育が本格的に展開されるようになったのは、戦後まもない昭和24年から昭和25年ごろで、GHQ民間通信局によって開発された経営者教育CCS 講座、次いでアメリカの監督者訓練プログラムTWI管理者訓練プログラムMTPが急速に普及しました しかし、極めてアメリカ的で、わが国固有の経営風土やマネジメントスタイルに必ずしも適合しないなどの理由から徐々に限界が露呈し始めました。戦後復興期における企業内教育のもう一つの特徴として、QC(品質管理)教育の導入があげられます。さらに、この時期人事院が官公庁事務の能率化や民主化を促進するために開発した管理監督者のための研修方式JST(Jinjiin Supervisor Training=人事院監督者研修)も開始されました
●高度経済成長期の人材育成
1960年代は量から質への転換を余儀なく迫られました。能力主義の強化の流れを受けて、従来の企業内訓練から人事制度や賃金制度と連動した能力開発という幅広い概念で捉えられるようになっていきます。手法としては、ブレイン・ストーミングやKJ 法NM 法などが活用されました。その後、分散化されていた教育訓練計画の整理・統合化や体系化などが行われ、従来は部・課などを中心に教育計画が立案・実行されていたのを、新入社員、中堅社員、管理者教育へといった人事制度における職能の進展と連動するような形で行われます。
企業内教育の特徴としては、行動科学をベースにした手法が盛んに導入され、目標による管理は仕事と人間の効果的統合とノルマ管理の両面から多くの日本企業に導入されました。目標による管理の進展・普及に伴い、部下との対話の必要性が強く求められ、感受性訓練が普及するようになりました
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●オイルショックから国際化時代の人材育成
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国際化時代(1986年~1990年)になると、国際化の研修が積極的に展開されます。海外要員育成に向けた語学研修から、異文化理解を含めた体系的かつ計画的な海外要員育成制度に発展していきました。海外のビジネススクールへの派遣が積極的に展開されたのもこの時期です
一方、1986年の男女雇用機会 等法の施行を契機に、女性労働者を中心に、中高年者、ホワイトカラーなどを含めた人材の職業能力の開発にも多くの関心が寄せられ、CDP(Career Development Program)に基づく、計画的かつ体系的な人材育成のあり方が強く認識されるようになりました。          画像はこちら [22]
●バブル崩壊以降の人材育成
戦後最悪の平成不況期から企業はサバイバル競争に打ち勝つため、企業のリストラに貢献する教育、リエンジニアリングに直結する教育、ホワイトカラーの生産性を向上させる教育、業績達成に向けた新たな目標管理制度の展開などが行われ様になります。さらに、一律方式の人事管理のもとでの全体的レベルアップを図る従来の企業内教育の抜本的見直しを行い、個人の自己責任に基づく選択型研修や将来の経営幹部を早期に育成するコア人材育成研修、さらにはCDP をベースにしたキャリア開発などに移行して行きます
参考
Works No.100 人材育成「退国」から「大国」へ [23]
企業内研修の歴史的変遷 [24]
■人材育成の歴史は3段階
日本の人材育成の歴史を整理すると、大きく3つの時期に分けられます。
一つ目が、江戸時代から戦後復興期までの時代で、この時代は市場が拡大していく時代でした。市場拡大の時代には、一定の品質を持った商品を大量に供給する事が求められます。そこでは、一定の知識と勤勉さを備えた労働者を大量に育成することが求められ、基礎知識の習得を中心にした人材育成が行われるようになります。また、その大量の労働力を管理する管理職の育成も求められました。
二つ目が、高度経済成長の時代から、バブル崩壊までの時代で、この時代は豊かさが実現した時代でした。物があふれ消費意欲が鈍化し、それまでのようには物が売れなくなりました。そこで、消費を刺激するための付加価値の創出や、さらには価格競争力を高めるための合理化が必要と成りました。人材育成も最初は新たな商品を開発するための能力上昇が中心でしたが、さらに物が売れなくなると合理化のためTQCや窓際族の戦力化が課題となり、さらに国内市場での売り上げが伸びなくなると国際市場への参入が求められ、海外要員育成制度が人材育成の主流となります。
三つ目が、バブル崩壊から現代で、この時代は市場縮小の時代です。もはや新商品の開発といった消費の刺激も効果が薄れ、不況が慢性化して生産者の活力も衰弱して行きます。従来の能力開発や合理化教育などの研修では成果が出なくなり、リストラクチャリングやリエンジニアリングに直結する教育に取組始めます。また、全員に研修をしても効果が出ないことから、自己責任に基づく選択研修やコア人材育成研修も登場します。市場縮小という状況に対して、どのような能力を伸ばしたらよいか答えが無く、有効な人材育成の手法が見いだせなくなりました。
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日本も欧米も従来の人材育成手法が機能せず、日本は欧米型の研修手法を、欧米は日本型の研修手法を取り入れているように見えます。しかし、行き詰まったもの同士でまねしあっても成果は出ません。これからの時代がどんな時代で、どんな能力が求められるのかが明確にならなければ、有効な研修手法を見いだすこともできないのです。
■大転換期における人材育成の重要性
1970年の貧困の消滅により、国民の意識は、私権(金、地位、名誉等)への収束から、徐々に共認(共に認め合うこと、皆が認める評価)への収束に転換しており、若い世代ほどその傾向が顕著です 更には、東日本大震災・原発事故を受け、節約志向など、新たな意識潮流も生まれています
各企業は、市場の縮小とともに、このような意識潮流の大転換の中にあり、効率化をはじめとする旧来の方法論では生き残れない時代になっています。この意識潮流は今後も加速すると考えられ、企業は業態革命ともいうべき転換を含む、大きな戦略の見直しを迫られています
以上のような、市場の縮小、意識潮流の大転換という現実を直視すると、意識潮流の変化から次代の可能性を捉え、かたちにしていくことのできる人材の育成は、企業にとって決定的に重要な課題となっています なかなか先の可能性が見えず、閉塞感が漂う状況の中で、どれだけ社員が活力を持って仕事に取り組み、最先端の意識潮流の変化を取り入れてかたちにできるか、そのような場づくりと人材の育成は、企業の生き残りのカギと言っても過言ではありません 😮
このような状況認識をもとに、次回は、これからの企業・人材に求められる能力とは何か、さらにはそのような能力を育成していくにはどのようにしたらいいのかを扱います 😮

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