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2010年07月02日

企業を活力ある場に変えたい!共同体化への理論的基盤(1)

新シリーズ「企業を活力ある場に変えたい!」が、始まります。
昨今、市場の縮小は誰の目にも確実なものとなり、きびしくなるばかりの淘汰圧力の下で、どの企業の経営者も集団を率いながら、どのように戦い抜くのかを考え続けています。
一方、企業の従業員は私権圧力が衰弱した今となっては、給与の多寡や肩書きなどでは活力は出ず、経営者と同様に市況の激化を肌で感じつつも、旧来から残存する序列体制の下から脱しきれずに、ミスなどの問題は増加、共認充足も得られずどんどん活力を失いつつあります。
この状況をどのように突破すれば良いのか?
鍵は、集団の闘争能力の向上、各成員の活力向上であり、私権原理から共認原理に大きく変化する時代の潮流に適応した「自分たちの生きる場を、自分たちの手で創ってゆく」という活力ある組織作りに他なりません。
このシリーズでは、約30年前から共同体化に取り組んで来た類グループの理論的基盤である「実現論:序」から8回に分けてお送りします。
今回は、その第1回
「実現論 序 ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止(前編)」です。
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ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止(前編)
 いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、明確な変革の方向を打ち出せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革で済むようなレベルを遥かに超えた、根本的な変革を必要としているからである。
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 市場の拡大は、大量の人工物質を生み出して環境を破壊してきたが、それらの人工物質は同時に人類の肉体をも破壊する。例えば、ガンの急増は、体内に摂取された人工物質による突然変異が原因である疑いが強い。更に、ホルモン様の人工物質によって引き起こされる精子絶滅の危険性に至っては、文字通り人類絶滅の危機である。
 だが、肉体破壊よりももっと致命的なのは、精神破壊である。市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されてしまったが、これは実は、生物史上かつて無かった極めて異常な状態である。全ての生物集団は、闘争過程と生殖過程を包摂した全的な集団として存在しており、全ての生物はその中で進化してきた。もちろん人類も、原始時代からずっとそれを踏襲し、闘争と生殖を包摂した全的な集団の中で、今日の人類に進化してきたのである。原始時代だけでなく農業生産の時代もそうであって、例えば農家は、今日の家庭の様な単なる生殖と消費だけの場ではなく、それ自体が一個の生産体であり、従ってそこには、自然圧力をはじめ様々な闘争圧力が働いていた。だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていったのである。だが、市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が絶対不可侵の聖域となった(例えば、よく「企業が悪い」「学校が悪い」と糾弾されるが、「家庭が悪い」と糾弾されることは殆どない)ことによって、家庭には何の圧力も働かなくなりその結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。サラリーマン家庭が孕む教育不能という問題の深刻さは、当分の間は、まだ農家育ちの祖父母や両親が居たお陰で、顕在化してこなかった。しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった’70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、とりわけ老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。
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 これら環境破壊・肉体破壊・精神破壊は、その何れもが人類にとって致命的な問題であり、かつその何れもがもはや猶予ならない局面を迎えている。言うまでもなくこれらの問題は、小手先の対策で解決する様な問題ではない。この問題を解決する為には、まず徹底した原因分析が必要である。だが、人類滅亡の危機を真正面から捉え、真剣にその原因を分析し、突破口を提示しようとしている人はごく少数である。

サラリーマン家庭がごく一般的となった今、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されているのは、ごく当たり前の様に考えている方が多いでしょう。しかし、事実は、その様な家族形態が一般的になると共に、人々の間に精神破壊が進行して行ったのです。
これから、このシリーズを通じて、市場の崩壊という問題だけでなく、我々がどの様な状況に置かれているのか見てゆきたいと思います

 

コメント

大変参考になりました☆
実践していくことが苦行ではなく、周りと楽しく進めていくのがよく伝わってきました!素敵な記事をありがとうございました♪

  • みれなりお
  • 2010年12月9日 11:38

いちいち納得させられる内容です。
問題志向は少なくとも3つの前提で成立しているように思います。
1)いつも正しいという絶対的な規範を前提にしている
「規範」からみて「それは問題!」「ダメ」という行動を矯正しようという意図が前提になっている。
本来、「規範」とはみんなが充足する為の共認された不文律。「みんなが充足する為にどうする?」というところに戻って共認しなおすのがキッズスキルのポイントなのでは?
2)性悪説(人間は厳しくしつけないと堕落する)という前提
キリスト教社会は「人間は原罪を背負っている」と説いていますが、要するに人間は本来どうしようもない存在で、規範を叩き込まなくてはならない、という前提で教育が行われる。
これに対して、キッズスキルでは、人間に対する根本のところでの「肯定視」が前提になっている。(その人間の中に既に答えがある。それを導き出すだけ、と考える)
3)他者をコントロールことが可能であるという前提
自分が正しくて、矯正されるべき他者が間違っている、ということを前提に、さらにその矯正されるべき他者は、自分が影響を与えて矯正することが可能である、ということも前提にして、問題志向は成り立っている。
実際は、本人が変ろうと思わない限り人間は変らない。(暴力や恐怖などを強制的に与える、ということなら一定可能かもしれないが、そんなことは今の社会では前提にできない)
キッズスキルでは、この3つの前提を全て見直し、本来の人間の姿(=みんな本当は充足したい。共認動物である)に基づいて、関わり方を指南している点がすごいと思う。
面白いので、この内容を、ブログに転載させていただいていいでしょうか?

  • 雅無乱
  • 2010年12月9日 11:47

みれなりおさん、我無乱さん、コメントありがとうございました。
引用元もしっかり転載していただければ、もちろん転載は結構です。このような良いスキルはどんどん世に広がっていくといいですね。
あと、問題志向の前提には、課題を個人課題としてとらえてしまう「個人主義」も横たわっているように感じます。

  • 羊熊
  • 2010年12月15日 23:53

羊熊さん、ありがとうございます。
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/434a1386b59d516650bac2412c62c58a
ここに転載させていただきました。
>問題志向の前提には、課題を個人課題としてとらえてしまう「個人主義」も横たわっているように感じます。
確かにそうですね。
問題志向は、問題を「矯正されるべき個人」の性格や人格の問題のみに矮小化する傾向があるように思います。
そうなると、当然、指導している側の人格や関わり方は問題とされず、もっぱら問題(とされる)行動をしている個人への指導・問題視的・矯正が対処法の中心となります。
否定視され、何をやっても問題指摘を受ける状況で、その個人は、活力を失ったり、ふてくされたり、自我ったり、逃避したり、指導する側を否定視したり…という悪循環に陥り、浮上できなくなっていくのは当然のような気がします。
逆に(仕事で子どもを指導していますが)場が変わったら問題児がリーダとして大活躍したり…というようなシーンもよく目にします。肯定され期待されている空間では、みんなを充足させるための行動を自ら選択する、という本質も人間は持っているのです。
現実には、問題は個人だけの問題ではなく、周りとの関係性の問題であることがほとんどです。
「個人の問題」ととらえている限りは状況は改善せず、共認充足を得ていく「関係」をどう形成するか、という風に捉えないと、成果は出せないのではないでしょうか。
その意味で、サポーターとの関係性を改善していくというこのキッズスキルの手法は、非常に参考になる点が多いと思います。

  • 雅無乱
  • 2010年12月16日 11:51

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