2007年03月01日
戦前~戦後 ~女性の労働の実態⑤~
職業婦人の先駆け タマゴ丸 さんのおばあちゃんが活躍 する頃から、徐々に先の戦争へ向けて歩み始めていた日本は、重化学工業へ 傾倒していきます。
工業の発展に伴って工場労働が増加 していく中、多数を占めた女工さんを男性が追い抜き始めますが、戦時下に男性が戦場へ 送られ始めると国が国民動員計画などで、女性の職場進出を推進。
’43年には、事務補助者、現金出納係、店員売子、外交員、集金人、出改札係、車掌etc17の職種で男子の就業は禁止に。近年のOLさんをイメージするとパッと浮かぶような職場を女性が占め、ホワイトカラーの職場への女性の進出・活躍が急加速しました。
一方、悪化する戦況の中、武器工場などにも自主的な女性労働者の出勤が奨励⇒徐々に強制されていきます。戦時の女子勤労動員の肉体労働者は300万人を超えました。
しかしその後敗戦を迎えると、そうして急増した農業従事者以外の女性労働者にとって大きな変化が起こります。
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敗戦の ’45年10月、GHQにより「婦人の解放」が5大改革の一つとして指示されました。主な内容は、
・法の下の平等
・家族生活での個人の尊厳と両性の本質的平等
・民法のの部分改正による明治民法の封建的な「家」制度の否定
・労働基準法の制定
・性別による賃金差別の禁止
・工場法以来の女子保護規定
( 時間外労働の制限、深夜労働・休日労働の禁止、危険有害業務禁止、生理休暇・産前産後休暇の付与等)
・女性の意識改革のための啓蒙啓発
・農村女性の生活の改善
・労働省婦人少年局、婦人少年室の設置
また、この年復員する男子を職場復帰させ、女子は 家庭に戻して代替就職させる、という厚生省方針で、 女子労働者の解雇・退職ラッシュ が起こります。
なんと農業従事者以外の女性有業者数は525万人から231万人に激減 。びっくり です。
’47年に労働基準法が公布されますが、前述の 「女子保護規定」 、男女の違いの間に横たわる「平等」 、という理想的に響く言葉は、生産の場の現実に釈然としない解釈論や法律の影を落としながら、女性労働者の充足度を上げるでもなく 現在に到ることになります。
男女の待遇や賃金が平等であるべき 😡 という志向や、違いを補って平等である為にと規定された女子保護規定は、生産力の向上に邁進する産業界にとっては目の上のたんこぶ。 🙁
しかし一方で、保護しなければ働けない存在として規定されていることは、現実には賃金格差や就業機会の差もやむなし、といった状況ももたらし続けます。
この頃雇用者中の女性割合は25%、男女の賃金格差は1950年頃で女性が男性の40%ほど でした。まだ女性就労者の半数以上が農林業従事者で、夫婦自営業の小売店などで働く女性も含めると、大半の人は労働基準法の枠外にいる時代でした。
こうしてみてくると、戦後、頭では封建的な家制度などは否定され、平等といった言葉をあてがわれながらも、働きにに出た雇用者の女性には徐々に、労働条件の壁に加え 、子育てなどの家 の役割も壁としてその肩にのしかかり、役割の間で引き裂かれるような状態になっていってます。
とはいえ、戦後を再スタートライン に産業の発展と復興は進み、主力産業であった繊維の生産の場では戦後も女工哀史 を思わせる状況を見せながら朝鮮戦争による特需などで伸展。その間急速に発展を遂げる都市は、女工さんたちの間にも農村 から都市 への憧れも 生み出しつつ、高度経済成長期 へと入っていきます 。つづく・・・
- posted by basha at : 0:55 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
「就労条件」???って何でしょう?
働かせる側と、働かされる側このスタンス自体が元凶であって、このスタンス故に「仕事と家庭の調和」等という課題が発生する。
「働かされる側」て報酬を餌にした奴隷状態。
これでは、絶対に上手くいかないと思います
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