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2008年11月16日

【金融危機後、生き残る企業とは…?】~GMは、なぜM&Aに走ったのか~

【経済破局後に生き残る企業~アメリカの巨人倒れるか!?】、興味深く読ませてもらいました。

中でも、「GMとトヨタ自動車の全世界での規模比較」データが示す内容が気になります。

工場数は、GM:177ヶ所に対して、トヨタ:66ヶ所。
その差は2.68倍
しかし生産台数を見ると、GM:909.5万台に対して、トヨタ:672.3万台。
その差は1.35倍まで縮まります。
つまり、GMは数多くの工場を持っている割に、生産台数が少ない。
非常に非効率な生産体制であると言えます。

生産台数の増減に影響を及ぼすファクターは他にも様々あると思いますが、GMの利益率が低い要因のひとつには、やはり生産性(業務効率、技術力)の弱さがあるのだと思います。
ここで疑問に思いました。
>GMの成長は一言で言うならM&Aによる。
GMは、地道に企業力(人材力・技術力)の向上を図るのではなく、
創業当初からM&Aによる企業規模の急拡大を図ってきました。
GM凋落の背景には、当初から推し進めてきたこの戦略判断が、影響しているのではないか。
だとすれば、そもそもなぜ彼らは、M&Aという手段を選んだのか。

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まず、M&Aの概略について。

M&A(Mergers and Acquisitions、(合併と買収)の略、エムアンドエー、エムエー)とは企業の合併・買収を総称して言う。他の企業を取得しようとする際には買収者やその子会社などに吸収合併させるほか、買収先企業の株式を買収して子会社化する手段が用いられることからおよそ企業の取得という効果に着目して合併と取得を総称するものである。
M&Aは新規事業や市場への参入、企業グループの再編、業務提携、経営が不振な企業の救済などを目的として実施される。広義には包括的な業務提携やOEM提携なども含まれる。
日本法上の概念としては企業合併・会社分割・株式交換・株式移転・株式公開買付などの法的要素が核となるがこれらの各要素は対象企業のコントロールを得る手段として捉えられ、M&Aという場合には利用する手段のデザインを含めた企業戦略を把握する概念として用いられることが多い。

『Wikipedia』
また、M&Aのメリット・デメリットについては以下が挙げられます。
◇メリット
・短期間で企業価値≒株主価値向上、事業の多角化を実現
・被買収会社の取引チャンネル獲得による、マーケットシェア拡大と売上増加
短期間で売上、利益を急速に伸ばすことが可能。
◇デメリット
・被買収会社の購入価格算定が困難(不良債権などリスクの内在、シナジー効果の誤算)
・異なる企業文化の融合が困難
・特に敵対的M&Aの場合、反発する優秀人材の流出が不可避
中長期的に見て、企業活力が失われていくリスクあり。
参考『1日3分で身につけるMBA講座』 『wikia』
次に、M&Aが企業戦略として取り入れられていった歴史を追ってみたいと思います。
(やはり、)アメリカが生み出した手法のようです。

今では、日本においても一般的となったと言えるMerger(合併)and Acquisition(買収)は、1890年代から1905年頃、米国にて、鉄鋼、石油などの基幹産業で、シェア拡大を狙った同業の買収(水平統合型M&A)が相次ぎました。これが第一次M&Aブームとされ、その後、1920年代に第二次ブームが到来し、生産効率や企業体質の強化を狙ったM&A(垂直統合型)が盛んになりました。
 第三次ブームは、1960年代に米国企業が積極的な海外進出を実施、異業種を組み入れての多角化を目的としたM&A(コングロマリット型)が実施されました。
 1980年代に入ると、肥大化した企業が、不採算部門を売却し、より高度成長が望める分野へ進出するためのM&A(サバイバル型、リストラクチャリング型など)が増加し、この頃に敵対的買収やLBOと言われる買収資金借入の担保に買収先企業の資産を利用するM&Aが、注目され、この頃が第四次M&Aブームとされています。
 そして、第五次ブームは1990年代前半から現在に至ります。グローバル化が進む中、国境をまたぐクロスボーダーの案件が増えたのが特徴で、金融機関のM&A、通信・ハイテク分野のM&Aが盛んに実施され、規模はますます膨らんでいます。

『M&Aの歴史』
1900年代、アメリカに訪れたM&Aブームの牽引役となったのが、他でもないGMです。

1908年9月16日に、ウイリアム・C・デュラントがミシガン州フリントで組織した持株会社がゼネラルモーターズである。ビュイック・モーター(1903年創業)の経営を1904年に任されたデュラントは、社長としてビュイックを全米有数の自動車メーカーにした。デュラントはゼネラルモーターズ創設後、1908年末にオールズモビルを買収し、翌年にはキャディラック、エルモア、オークランド(後のポンティアック)などを買収してGMの一部とした。その後もミシガン州周辺のトラックメーカーを次々買収するが、1910年には買収費用により100万ドルの負債を抱えたデュラントはGMの支配権を失い、バンカーズ・トラストが会社の支配権を握った。
デュラントはその後シボレーの創立(1911年)に関わり、GMの株を買い戻して1916年には社長に返り咲き、シボレーを翌年GMの一部とした。彼の背後には1914年に最初の投資を行って以降1950年代までGMに関与し続けたデュポン社の社長ピエール・S・デュポンがいた。
1920年にピエール・デュポンはデュラントを追い出してGMの実権を奪い、アルフレッド・スローンの経営によって現在に繋がる経営基盤が確立され、政争に揺れたフォードを抜いて世界最大のメーカーとなった。商品方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。このために複数のブランドを所有し、北米では最下段にシボレー(1990年からサターンがシボレーとは別にベーシックブランドとして登場した。また、ジオというブランドが最下層として存在した時期があった)、最上段にキャディラックを位置付け、巧妙なマーケティングと、それに直結したスタイリング戦略で衆目を引き続け、業界シェアナンバー1であり続けた。消費者はGMの提供する上級ブランドに魅せられ、GMの金融サービスによるオートローンやクレジットで高額のブランド車を買うようになった。GMはこうしてクレジット商法を拒んだフォードを突き放した。

『Wikipedia』
その後もGMは、バス、電鉄、航空機と、同業異種業界の主力企業を次々と買収していきます。
資本力にモノを言わせて、買収によって急速に企業価値≒株価を上昇させ、タイミングを見計らって事業の切り売りを行い、差益で儲ける。こうしたビジネスモデルを確立します。
また、巧妙なブランディング戦略によって、頻繁にモデルチェンジを繰り返す→毎年、新しい車(といっても機能性はさほど変わらず、デザインのみ新調)を発売するたびに消費者の購買欲を刺激し、オートローンを組み合わせることで自動車市場を(ムリヤリ)拡大させることに成功してきました。
こうして、戦後GMはアメリカ最大の会社となったわけですが、この成功劇の立役者となった人物がいます。1914年からGMに投資をし始め、1920年以降は実質GMの支配者となった、デュポン社の社長ピエール・S・デュポンです。

デュポン(Du Pont、NYSE:DD)は、世界第3(米国で第2)の化学会社である(世界最大はBASF)。
正式社名はE. I. du Pont de Nemours and Company (イー・アイ・デュポン・ドゥ・ヌムール・アンド・カンパニー)で、本社はデラウェア州ウィルミントン市に存在する。
創業は1802年。資本金は111億3,600万USドル。創業者はフランス出身のエルテール・イレネー・デュポンメロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの三大財閥と称されることもある。
同社の企業理念は、Safety(安全)、Health(健康)、Environment(環境)、Ethics(正しい企業倫理)。
フランス革命を避けて一家で移住したエルテールは、アントワーヌ・ラヴォアジエに師事した後、黒色火薬工場としてデュポン社を設立。徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取り、やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するようになった。第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マンハッタン計画に参加しテネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムやプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。
また草創期の自動車産業に着目し、1914年にはピエール・S・デュポンは1908年に創業したゼネラルモーターズ(GM)に出資した。後に彼は社長に就任し、彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一の自動車会社へと成長した。また、GM支援とは別に、1919年から1931年にかけては、自社での自動車製作もおこなった。エンジンは主にコンチネンタル社製を使用した。
しかしシャーマン・アンチトラスト法によって1912年には火薬市場の独占が、1950年代にはGM株の保有が問題視され、火薬事業の分割やGM株放出などを強いられている。
1920年代以降は化学分野に力を注ぎ、1928年には重合体(ポリマー)の研究のためにウォーレス・カロザースを雇い、彼のもとで合成ゴムやナイロンなどが発明された。さらにテフロン®などの合成繊維、合成樹脂や農薬、塗料なども研究・開発し取り扱うようになった2世紀にわたる歴史の中で、M&Aを繰りかえす典型的なアメリカのコングロマリット企業といえる。

『Wikipedia』
あらゆる業種の企業に投資を行ってきた彼にとって、GMとは数ある投資先対象の一つに過ぎなかったとは言えないでしょうか(前途有望な先ではあったと思うが)。
果たして彼に、GMを社会から永続的に必要とされる企業へ育てていこう(そのためにはいつの時代にも必要とされる技術力が必須であり、豊かな人材力がそれを可能にする)という気概はあったのでしょうか。
彼が進めてきた戦略に対して、GM自身何の疑問も持たずに走り続けてきたことのツケが、今顕わになってきているのではないかと思います。
byひろ

 

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