2009年03月24日
【企業が農業に参入するのは何で?】第七弾 ~インターンシップで人気の類農園②~
みなさん、こんにちわ☆
みっちーですφ(^▽^*)♪
ハシヒロさんの記事↓に続いて、ガツンと 類農園の秘密を明らかにしていきたいと思います。
【企業が農業に参入するのは何で?】第六弾 ~インターンシップで人気の類農園①~
今回は具体的な事例から、類農園のこだわりとおいしい秘密に迫ってみたいと思います。
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◆消費ではなく生産課題を担っていくこと
インターンシップの方がたくさん訪れていることが象徴しているように、農村の生活そのものに価値を感じているようです。
ディズニーランドを始めとしたテーマパークでは、中身がないので最初だけですぐに飽きてしまう。そして、芋堀り体験などの観光農業では、もはや物足りない・・・。
インターンシップ生が求めているのは、単なる消費ではなく、当然非日常の幻想ではなく、とことん現実を見据えた生産課題を担っていくこと(=供給者になっていくこと)なんです!!
「大変だけどめっちゃ楽しい!」
そんな研修生の生の声が、ブログ↓から伝わってきます。
「★類農園の研修生ブログ★」
消費ではなく生産課題を担っていくこと。
類農園では、物づくりだけではなくその場と認識を供給している。
だからインターンシップ生を受け入れている。そしてたくさんの方がインターンシップに訪れている秘密なんです。
そしてもちろんこれだけではありません。
当然物づくりの美味しさにもこだわっています!
◆本当に美味しいものを余すことなくお届けしたい
類農園では、野菜は出荷前の朝取り、もしくは前日にするように心掛けているそうです。(採れ採れの美味しさをそのまま頂ける喜びを分かち合いたい。)
またお米は注文を頂いてから精米することで、風味豊かなお米をお届けしているそうです。
前に流通事業との提携の話(一時保管してから宅配する方式)があったそうですが、それでは精米したての本当に美味しいお米を届けられないではないかっ!ということで、お断りしたそうです。(まさにこだわりですね。)
そんな類農園のこだわりの商品として、
今のイチオシは『伊勢たくあん』だそうです。
類農園の方に、素敵なエピソードをお聞きましたので紹介したいと思います。
■伊勢たくあんに寄せられた感想
伊勢たくあんには私の祖母の記憶があります。
祖母は三重県の出身で、大阪に嫁いでからも自宅で漬物作りをしていました。その祖母の自慢が、伊勢たくあんを漬けて皆に食べさせることでした。幼い私には、ぬか臭く少し塩辛い漬物が美味しいとは思えませんでしたが、大きくなりその味が分ってきた頃には、祖母は老いて、漬物を漬けるのはおろか身の回りのことさえ出来ないようになっていました。
祖母の死後、物産店やスーパーで伊勢たくあんが販売されていると祖母の味を思い出し購入するのですが、人工甘味料が入っていたり、独特のぬか臭い香ばしい味がなくいつも落胆させられていました。
けれど今回出会えました、祖母の味に!!私の記憶する味と同じなのです。
食べた瞬間に当時の祖母の姿が思い出されました。慌てて母の所へも持っていきました。母も食べた瞬間、暫く黙ったままでした。そして口にしたのが「懐かしいなあ、この味出せれる人が居たはんねんなぁ」と少し目を赤くしていました。
母は祖母の死後、何度か漬けてみたことがあったのですが祖母の味が出せず漬けるのをやめました。
最近は、歳のせいで身体の彼方此方が弱り生きる気力を失いつつあり、私も忙しさに感けて母に接してやることも少なくなっていました。そんな矢先に農園のたくあんを食し、母も若く元気な頃の記憶を呼び起こしたようで「亡くなった祖母が頑張れと言ってくれてるよう」と言った言葉が私の心に残りました。
ほんの些細な出来事なのですが、私にとっては喜寿の母に元気を与えてもらえた農園の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
■類農園からの返答
少し長くなりますが、三重のたくあん作りのいきさつを書きます。
最初、三重農場で伊勢たくあんを漬けたのは、2005年の冬でした。
冬場の柱になる作目を作ろうと、大根の栽培を始めました。伊勢たくあんを作って販売することを想定し、大根を栽培すると同時に、漬け方を教えてくれる人を捜しました。しかし、見つかりませんでした。
漬け方のヒアリングを繰り返し、断られる内、伊勢たくあんの漬け方を教えてもらえなかった理由がなんとなく判りました。昔ながらの伊勢たくあんを作っている業者がすでにほとんどいなかったのです。
この「昔ながら」というのには2つの時期があります。関西を中心に、伊勢たくあんが重宝された時期が、昭和20~30年代位にあり、今ではこの時期を指して「昔ながら」と言う人が大半です。この時期に作られた伊勢たくあんは、とにかくよく売れたので、大量に出回り、漬ける期間も1年以内でした。そのため、発酵を促す必要からか、甘味料がどうしても必要で、必ずと言って良いほどサッカリンが使われていました。その後、サッカリンが使用禁止になったため、「昔ながらの」伊勢たくあんを作ることができなくなったと言われました。
そして、もうひとつの「昔ながら」は、それより以前の、江戸期から伝わる、自然の発酵で味を作るやり方です。こちらは、発酵による味の醸成でたくあんを作りますから、時間がかかる上、家によって、年によって塩やぬかの配分を変えなくてはならないので、作る人が居なくなっていました。居ても、「教えられるものではない」と言うことでした。
お祖母さんは、この本当の昔ながらの「教えられない」漬け方をされていたのだと思います。
伊勢たくあんの漬け方、技術を教えてくれる人も見つからず、漬け物の販売も施設投資してまで注力するには時期尚早との判断で、原料の大根を購入契約してくれる相手を探そうとしましたが、なかなか上手くいきませんでした。それで、作った大根を全て青果で販売することにしました。歳暮の時期に入り、とにかく急いで出荷しようと焦って、まだ育ちきっていない大根を市場に持ち込みました。
出荷したその日、たまたま市場に大根の買い付けに行っていた、ある会社の社長から携帯に電話がかかって来ました。社長は、老舗の漬け物屋さんで、漬け方のヒアリングをしたとき電話をかけたことはあったものの、面識もなく、携帯の番号を伝えてもいない方でした。わざわざ農業資材の業者さんから私の携帯番号を聞き出して電話して下さいました。
いきなり叱られました。
「なんで、大地の恵みをこんな勿体ないことをする。丹精しているのはわかる。ちゃんと育てて、大きさをそろえれば、自分が旗をふって値を付けてやる。漬物屋としては、大根の生産を続けていって欲しいから、あきらめた出荷のやり方が心配になった」という内容でした。正直、電話を受けながら、ありがたさと情けなさで涙が出ました。
その後、社長の自宅に招かれ、「ヒアリングを受けたときは、本伊勢たくあんを本気で作る気があるか判らなかったが、大根を見て、やりたい気持ちは判った。昔からの漬け方を指導してやるからやってみろ!」と、酒を飲まされ、一緒にフロに入り、漬け方指導が決まりました。
本場に比べて気温が低い度会(わたらい)で、夜中に大根が凍らないようにハウス内で干し、夜中に2回練炭を焚いて1月近く干しました。社長から、杉の樽を借り受けました。漬け物石は60kg以上が条件とのことで、河原を巡って石を探しました。習った漬け方は、ある会社の販売とは違うやり方で、本当の昔ながらの漬け方でした。長期の漬け込みでは、砂糖や甘味料は意味を持たなくなるので、入れないのが基本です。ただし、1年目はリスクを考慮してか、ステビアを少量ぬかに混ぜることを勧められました。
1年後、社内販売で(保健所の施設許可を取っていないので、身内以外には販売できません)販売しましたが、大きくは「マニアックな食材」という評価だったと思います。
2回目の2006年、開き直って甘味料を全く使わずに漬けました。1年後に樽を開けたときには、発酵が不十分でした。それで、もう一年寝かせて2年目の今年、思い描いていた伊勢たくあんに近いものができていました(発酵ってすごいと思いました)。
今回は、偶然かも知れません。「この味だせれる人」と言われるにはおこがましいかもしれません。でも皆さんの好評で、「本物」をつくるの経験が一つできた自信ができました。
『思いを込めた丁寧な物づくり』と『生産課題を担っていくための場と認識の供給』が類農園の魅力であり、最大の価値となっているようです。
今は物よりも、その中身に多くの人が価値を見出す時代となっています。中身に納得して、その満足した分のお金を支払っているのが現実です。(単純な物だけの値段ならば、スーパー等の安売り競争にしかなりません。)
みなさんもぜひその目で類農園の人気の秘密を確かめてみて下さい。
(出来れば、実際に体験(研修)してみるのが一番いいと思います。)
<参考投稿>
農業参入が企業の社会的使命となる
農業は医療や教育と同じく人類(集団)にとって不可欠の事業であり、脱市場原理の最先端可能性といえるのでは
(るいネットより)
<【企業が農業に参入するのは何で?】のバックナンバー>
【企業が農業に参入するのは何で?】~プロローグ~
【企業が農業に参入するのは何で?】~第二弾 食料自給率という目先指標~
【企業が農業に参入するのは何で?】~第三弾 食料自給は可能か?~
【企業が農業に参入するのは何で?】第四弾~農業の利益構造~
【企業が農業に参入するのは何で?】第五弾 ~成功事例の分析? 伊賀の里モクモク手作りファーム~
【企業が農業に参入するのは何で?】第六弾 ~インターンシップで人気の類農園?~
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆
- posted by mitty at : 12:02 | コメント (2件) | トラックバック (0)
コメント
戦後、特に日本の場合はGHQの影響により近代思想(=私権獲得の自己正当化観念)が急速に普及し、結果、『労働とは苦役なものであり、そういった抑圧された中に労働者はいるものなのだ』という刷り込みが急速にすすんだ。
そして、貧困という状況と私権獲得の可能性が肉体的な欠乏と合致したことで、その後、加速度的に国民の意識を虜にし、労働とは自己を抑圧するものとして忌み嫌われるようになった。その為、なるべくなら生産活動という苦役な行為はせずに私権の獲得をできないものかという思考(=要求と運動)が最頂点に達すると、生活保障や年金制度など働かずして私権を獲得できる制度も登場する事態を招いた。
そもそも本来の活動とは、現実の社会を対象化した活動であり、生産及び生活のあらゆる存在過程から活動を生起し、充足を得るものであったが、’70年の豊かさの実現以降、市場に伴う幻想価値が台頭するようになると、本来の活動の大部分は失われ、活動による充足の欠乏を補うように、消費や解脱に埋没するようになった。そして、現実の不全を解消することなくただ、活動のない欠乏による代償充足を繰り返す単純反復という悪循環を作り出し、本当に求めている欠乏と充足の方に向かえない意識構造を完成させた。この虚しさのループの楔を切り離すには、全ての元凶である、近代思想(=旧観念)を捨て去ることにしか方法はない。
そして、市場社会が終焉しようとしている今だからこそ、この認識の重要性を感じてくれる人が確実に多くなっている段階に来たと感じる。
近代思想は、私権獲得・・・最も効率的に楽して生活することを自己正当化したものだったのですね!!
そして、美化されても結局近代思想の謳う自由とか平等とか個人とかによって社会が捨象され続けてしまい、何も実現できなかったんですね(>_近代思想は、私権獲得・・・最も効率的に楽して生活することを自己正当化したものだったのですね!!
そして、美化されても結局近代思想の謳う自由とか平等とか個人とかによって社会が捨象され続けてしまい、何も実現できなかったんですね(>_<)むしろ無駄な浪費によって環境問題や金融問題などが起こったことがと言うことがよくわかりました☆
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