2009年07月02日
「医療崩壊」なんで?
ぱちです 🙂
>みんなに求められる仕事 『医療』の現状と今後の可能性で、市場にのらないところでも必要とされる仕事として、農業・医療・教育を挙げました。
今回は、その中でも「医療」の現在の問題点にスポットを当ててみます
現在は「医療崩壊」と言っても過言ではない状況に陥ってしまっているようです。
まずは、「医療崩壊」の現状を図解で表してみましたので、下記をご覧ください
「市場」「意識潮流」「(医療)体制」に分けて、現在の医療崩壊の状況を見ていきます
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★「市場」発の医療崩壊
日本では1970年に豊かさを実現して以降、私達庶民にとって、大抵の生活必需品は行き渡りました。つまり人々の物欲が衰弱していまします。そうなると、市場は当然のことながら縮小過程に入っていくはずですが、こうなってしまうと、金貸しにとっては都合が悪くなります。金貸しにとっては、市場拡大することが大前提にあり、その状況の中で、たくさんの人がお金を借りてくれなくては成立しないからです。そこで、金貸し⇒アメリカ政治家⇒日本官邸という流れで、アメリカから日本に対する命令書「年次改革要望書」を押し付け、次々と医療制度を改革していきます。その医療制度改革により、外資系医療保険(アリコ、アメリカンホームダイレクト、アフラックなど)が急増します。それに伴い、国民の医療負担が1割負担から3割負担へと引き上げられてしまいました。これらは、全て医療を市場に中に組み込んでしまおうという動きです。
★人々の「意識潮流」発の医療崩壊
1970年に豊かさを実現して以降、人々にとって私権獲得のエネルギーが衰弱してしまいました。いわば、目標を見失ってしまい「収束不全」に陥ってしまいました。そうなると、病院で働く医者自身の活力は衰弱していまします。さらに、多くの人々が収束不全⇒目先収束(自分第一)という意識に向かってしまったが為に、クレーマー患者、医療訴訟やコンビニ医療など、消費者優位の要求のオンパレードとなり、更に医者の活力をダウンさせてしまっています。また、マスコミによる医者叩きも、医者の活力を削ぐ形となり、まさに医者は3重の活力ダウン構造に嵌ってしまっています。医療現場で働く医者自身の活力が下がれば、医療崩壊は進むばかりです。
★「(医療)体制」発の医療崩壊
1970年に豊かさを実現して、私権闘争圧力が衰弱すると、これまで序列原理(身分制度)で統合されてきたあらゆる組織統合がうまくいかなくなります。病院もしかりです。誰もが、ガチガチの序列統合体などに入りたいとは想いません。しかし、大学病院ほど序列体制が残存していることも一方の事実としてあり、研修医の多くが大学病院には戻りたくない→戻らないということが常態化してしまっています。それでは、医者が足りなくなり大学病院の医療体制が崩壊していまうため、大学病院は地方時自体病院から医者を呼び戻します。そうなれば、地方時自体病院は破綻します。これが、現在まさに起こってしまっているのが、地方の医者不足という形で現れています。
上記に紹介したように、「市場」「意識潮流」「(医療)体制」の視点から俯瞰してみると、全ては「医療崩壊」へと進んでしまっています。こんな中で、これまでの既成概念に囚われない医療再生の萌芽はないのでしょうか??次回は、可能性探索をしていきたいと想います 😀
- posted by kura at : 23:10 | コメント (12件) | トラックバック (0)
コメント
「企業が取り組む社会事業シリーズ」面白そうですね!
「社会事業」っていうと、すぐ『なんで屋』さんを連想しますが、書かれている“社会起業家”っていうのも、2000年頃から話題になっていましたよね!?
確か「スタイル2000」と銘打って、大学生が起業を促進しよう!という活動を始めたのが、紹介されているエティックの母体だったと記憶しています。
起業したい!という学生から事業企画を公募して審査~評価を得た企画者には助言者をコーディネート、最終的に事業として実現できそうであればスポンサー(資金)もコーディネートしていく、というような活動だったと思います。
当時は、学生の起業意欲も高まって「これはすごい!」と感じましたが、改めて実現例を見てみると、営利事業での収益を、弱者に還元するというスタイルが大半で、これで「社会起業家」って言えるの??って感じですよね?
罪滅ぼし(≒免罪符)のため慈善事業をやっている、金融資本家と大して変わらないような…
“事業としてみんなに認められる=市場にのる”
ってイメージでした!
社会の役に立ちたいって思いがあっても、
それをどうしたら実現できるのか、
その想いを仕事にできるのか?!
この続きの追求楽しみにしています!!
>市場の住人(勝者)になると「社会起業家」ではいられなくなる。>市場の住人(勝者)になると「社会起業家」ではいられなくなる。< この言葉が現在の社会起業家を表す言葉として象徴的だと思いました。 また、「起業」を前提にしなくても社会事業を行なえる環境(+人々の意識の高まり)を作り出していくことが重要ではないかと思いました。
具体的な事例と、①、②、③とまとめられてて分かりやすいです。
みんなから必要とされる事業にお金は払われないから、事業として成り立たせることが難しいということなんでしょうか?
結局は幻想価値をつけたモノの供給に留まっているのが、違う感じがします。
nandeyanenさん、コメントありがとうございます。
社会起業家育成という事業の需要は尽きることがないという点で、賢い経営方針だと思います。
しかし、一般の社会起業家は成功すれば企業家になり、成功しなければ消え去るのみで、いずれにしても社会起業家で有り続けることができない構造にあるのだと思います。
みねこさん、コメントありがとうございます。
これからの活力ある企業=みんなが働きたいと想う企業の「かたち」をこのシリーズで明らかにしていきたいと思います。
ご期待ください。
andyさん、コメントありがとうございます。
社会(みんな)から期待されているのは、「起業」ではなく、本当に必要な社会事業の選別とそういう有意な事業が継続できる仕組みづくりでしょう。
そのためには、まず、社会共認の形成が必要であり、その先には政治的イニシアチィブが欠かせないのではないかと考えています。
ゆうこさん、コメントありがとうございます。
>みんなから必要とされる事業にお金は払われないから、事業として成り立たせることが難しいということなんでしょうか?
みんなが必要を認めれば、個人・企業・公共(税金)から必ずお金は集まると思います。
そこに至るための課題は「みんなにとって必要か否か」という判断を鮮明にし、そのことを共認することであり、その過程でみんなに必要ないものは淘汰されていくと思います。
レギンス コーディネート
レギンスのコーディネートについての情報です。
『社会起業家』という言葉を読んで、「ん?なんか引っかかる・・・」とモヤモヤを感じました。
その答えは、ココにありました。
>社会起業家が目指すのは、市場に取り残された領域=「社会セクター」で「起業」することで、新たな「市場」の創造することである。
『社会』という言葉を用いると、「何か社会にとってイイコトをしてくれるんじゃないか」という期待を抱きがちかもですが。
結局は「市場」が目的となっている。
モヤモヤの理由がわかって、スッキリしました♪
これからの追求も、楽しみにしています☆
ふぇりちゃん、コメントありがとうございます。
「社会」という言葉は「みんなのため」という意味を付帯しており、私権=「自分のため」の対極にあります。
だから、社会起業家・社会福祉・社会事業……と私権時代に使われる「社会」という言葉には怪しさがあるのだと思います。
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