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2010年03月04日

『男女役割共認が企業を変える』コラム編~なんでや劇場レポート(1)~


(画像は「gigazine」よりお借りしました。)
こんにちは、みっちーです
今回の「男女役割共認が企業を変える」シリーズ、コラム編 として先日のなんでや劇場で扱われた『私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力』から今後の企業の可能性 を探っていきたいと思います。
今回のコラム編 は、
三夜連続 でどーんとみなさんにお送りしますのでぜひお楽しみ下さい!!
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2010年代の社会はJAL破綻、トヨタ欠陥車問題 が象徴するように、
私権体制がもはや立ち行かなくなり崩壊過程 へと入っていった。

◆補足コラム 
『トヨタのリコール問題』

トヨタ自動車が米国で発表した「カローラ」「カムリ」など計230万台のリコール(無料の回収・修理)は、北米市場におけるトヨタ車の「安全性」への信頼を揺るがす事態だ。リコールは欧州の販売車に拡大する可能性が高く、世界展開するトヨタのブランドイメージにも影響しかねない昨年8月に米国内で起きたレクサス車暴走による死亡事故をきっかけに、暴走原因とされたアクセルペダルとフロアマットの無償交換などを「自主改修」として進めている。
今回のリコールは、より深刻な車両構造上の問題をトヨタに突きつけている。暴走事故後の苦情をトヨタが調査した結果、マットを敷いていなくてもペダルが戻らなくなるケースがあると判明。レクサス車などを含む改修台数は計480万台以上で、トヨタとしては前例のない規模だ。改修費用は「1台あたり1万円前後」(トヨタ幹部)と試算され、リコールが欧州にも拡大した場合、負担増は避けられない。
中日新聞より引用)

そして今や時代は変わって、 共同体が上昇過程 へと入った。(次代は共同体の時代!
では今後の社会を勝ち抜いていく上で、私たちに必要な能力とはいったい何なのか?
まずは私権時代に求められた能力を追求し、共認時代に求められる能力は何かを解明していく。
●私権時代の力とは、どういう構造だったのか?
強い者が弱い者を従える力の原理に貫かれた時代と見られてきた。その力の代表が武力と資本力
哺乳類に顕著な性闘争=縄張り闘争⇒力の原理によって集団が序列化される。人類の私権集団も序列原理で統合されてきた(ex.身分・肩書き)。但し、人類社会における力は武力・資本力であり、動物次元の力である腕力とは異なる。ex.剣の達人がトップになった例はなく、家来にすぎない。
腕力は個体の能力であるのに対して、武力は武装集団の力である武力さえ集団統合力⇒共認形成力なのである。ここは常識の塗り替えが必要。
また、腕力は個体の属する能力であり、生まれた時はゼロで、その後の努力によって獲得される能力である。それに対して、武力も資本力も個体の能力の外にある。これらの力は私権の相続によって、武将の家に生まれたら生まれながらにして領土や家臣がついてくる。つまり、個体の能力形成とは別次元に、既成の力のヒエラルキーが常に存在している構造。
私権の相続も秩序形成のためにできた制度である。それが定着したのは二つのファクターによる。
①社会秩序の最基底部を成すのは婚姻制度であり、②その上に、私権が共認されるとあらゆるものが私権の対象となり、私権を獲得しなければ生きてゆけなくなる。こうして働く私権の強制圧力によって万人が私権に収束する私権原理が秩序原理となる。①最基底部にある婚姻制度、②最先端の私権原理、この2つの秩序が合体したのが相続制度である。
私権時代の武力も資本力も共認形成力だが、国民大衆全体を共認形成の対象としてはいない。私権闘争では力を持っていない層を相手にしても仕方がない。既成の力のヒエラルキーの中で力のある上位層をどう抱きこむか、そこに対象は限定されている。⇒上位層との共認形成の手法が、利益誘導(アメとムチ)である。利益誘導で相手を抱き込むために、騙し・ハッタリ・誇張・脅しが常套手段になる。
以上が、私権時代に求められた共認形成力の構造である。
●資本力の時代、市場時代もこの構造は何も変わっていない。
武力支配時代では国民大衆は共認形成の対象ではなかったが、少数ながら「名君」がいて、彼らは国民をどう豊かにするかという視点である程度明確な国家ビジョンを持っていた。ところが、市場(資本力)時代は、1~10まで全部騙しの色彩が強くなる。
武力支配時代の身分制度は建前は永世固定だが、現実には御家騒動は頻繁に起こったし、新体制に変わるごとに旧国家から与えられた身分は吹き飛ぶなど、せいぜい数百年しか続かず、現実には永世固定は存在しなかった。
ところが、 市場社会では欧州貴族を始めとする支配階級たちは、その身分と財を私権の相続によって未だに維持している。これは武力支配時代の身分固定よりはるかに長期間であり、力の相続という点では市場時代の方がより強化されているのではないか。
このように市場社会に変わっても、力を保有し続ける最上位とその下の中間層と末端大衆という身分は厳然として存在しており、「市場社会で永世固定の身分制度はなくなった」とか「市場社会では個人の才覚次第で成功するチャンスが開かれた」という話は、「資本主義がすばらしい」と宣伝するための看板にすぎない。しかも、こういうウソが教科書で教えられている。
国民に対する共認形成という観点では、武力支配時代は国民のことを考え一定のビジョンをもった支配層が存在したのに対して、近代市場社会では、共認形成に使われている言葉は「永世身分の解体」から「自由」「個人が絶対」など1~10まで騙しで構成されている。
また、こうも言える。
武力の源泉は領土や身分だが、これ自体は動かしようのない事実で、それ以上のハッタリや騙しは通用しない。それに対して市場商品は幻想価値の産物であり、かつ利益競争の時代である。そこでは、武力支配時代からあった抱き込み能力(騙しや誇張)が全面に出てくることになる。このように市場社会全体がハッタリ・騙しで成立しているからこそ、市場社会ではハッタリや騙しが蔓延してゆくのではないか。
以上が、武力時代と市場(資本力)時代の違いである。

◆補足コラム
『二股ソケットの発明 松下幸之助(松下(パナソニック))』

(画像は「ヤッセンボの七目八目 (By 鈴木ジョージ)」よりお借りしました。)
1950年ごろまで、多くの家庭で電気代は定額制であった。いまでいうコンセントの数は限定されていた。もしそれ以上に電器を使おうと思えば別に申し込んでメーター(今はこれが普通だが)をつけてもらい、割高な電気代を払う必要があった。したがってラジオのない家庭も多く、子供たちは「鐘のなる丘」「さくらんぼ大将」などを、夕方になるとラジオのある友達の家に行って聞いたものであるそういう状態だから裸電球の脇からコードで別の電気器具が使える二股ソケットは大変重宝なものであった。
また松下はトヨタと共に、それぞれの業界で最も大量生産を追求した企業である。そこには、幸之助の「水道理論」と呼ばれる考えがある水はコックを捻ればなんぼでもでてくる。したがって価格は安い。品物も大量にあれば価格が下がる。その結果、貧乏人でも品物を買うことができる。だから品物は大量に生産しなければならない。この水道理論は、松下の社是「物づくりで社会に貢献する」にも通じている。
幸之助は二股ソケット発明で社会に貢献した。それが金儲けにつながった。したがって彼は、反社会的なことでなく社会に役立つことが金儲けになるのだ、と心の底から思い込んでいたと私は考える。
くたばれインターネットより引用)

つまり私権時代に求められた能力とは、利益誘導(アメとムチ)による共認形成力。
さらに市場(資本力)時代では、全てがハッタリと騙しの幻想共認が蔓延していった。

では私権時代が終わり、現代の共認時代では求められる能力がどう違うのか?
次回の記事も乞うご期待下さい!
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます☆

 

コメント

おどろきました!
すごい試みですね~
第二~第四の仕組みで活力をUPしていることが、さらに第一の、自分達の会社にプライドを持つ…に繋がっているように思いました。
内部の体制づくりも重要なのでしょうが、まずは第一の、「自分達はどうやって社会に必要とされる存在になるのか」をしっかり共認し、そこにプライドを持つ、ということが統合軸になっているように思いました。
社内体制ばかりが注目されがちですが、「自分たちの会社に自信を持つ」、というのが実はかなり重要なのではないかという気がします。

  • 雅無乱
  • 2010年6月10日 11:36

社内報、社内ポスターという試みが面白かったです。
特にイントラネットの社内報は大手企業でも取り組みが始まっているようですが、活用されていないという話もよく聞きます。
この会社の実際の運用状況は気になりますね。

  • 羊熊
  • 2010年6月10日 11:40

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