2010年06月03日
5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」(1) 話し言葉と書き言葉の断層はどこから登場したのか?
こんにちは、なんでや劇場の「力 」シリーズも、今回で4回目。
今回の基調テーマは、「観念力を鍛えるには?」です。
脳の進化:画像はこちらからお借りしました。独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター
現在、どれだけ大きな会社であろうと、厳しい経営環境の中において、成果を出していくことは容易ではなく、特に、時代の大きな転換点である現在、ちょっとしたミスが、企業の経営成績に直結するだけでなく、企業間闘争において命取りにさえなりかねません。
この様な状況において、各企業は成員の能力向上に取り組んでいますが、そもそも物を考える為に必要な、人類特有の観念力とは何なのか?
先回に引き続き、「観念力を鍛えるには?」と題してさらに深く追求された、先日のなんでや劇場の内容を4回に分けてお届けします。
今回はその第1回目「話し言葉と書き言葉の断層はどこから登場したのか?」です。
「力 」シリーズのバックナンバー(1回目~3回目)は下記をごらん下さい。
2/28なんでや劇場レポート(1) 私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力
2/28なんでや劇場レポート(2) 隠蔽・言い訳・誤魔化しの横行によって崩壊する私権体制
2/28なんでや劇場レポート(3) 下からの共認圧力を形成するには?
3/28なんでや劇場レポート(1) 闘争能力の基盤は、みんな発の充足性と肯定視
3/28なんでや劇場レポート(2) 自分発→みんな発へ、否定→実現への転換
3/28なんでや劇場レポート(3) 今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる
3/28なんでや劇場レポート(4) 課題を突破する力の源泉は可能性収束力
3/28なんでや劇場レポート(5) 試験エリートは無能⇒10年後には社会統合気運
4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(1)観念力の前提条件⇒肯定視の充足空間
4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(2)観念回路を形成するのは反復千回
4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(3)「興味関心発の理解」は近代のダマシ
4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(4)観念力の本質である考える力とは
応援よろしくお願いします。
前回のなんでや劇場では、「言語能力を鍛えるには暗唱千回が最も有効という結論」だった。既に『実現論』斉唱などを実践し始めたグループがいくつかある。そこでどんな成果が上がったか? 同時に暗唱千回で本当に観念力が身につくのか?(足りない所はないのか?)
まずは、前回の復習をしながら、より一段踏み込んだ分析をしてゆく。
●観念機能とは
観念機能(言葉・文字)は他の動物にはない人類固有の機能だが、それはサル時代の共認機能(相手の期待に応えて充足を得る)を土台に形成されている。人類の最大の活力源は共認充足であり、サル時代の共認機能の形成過程は『実現論』の中でも最も重要な部分。参考:「サル時代の同類闘争と共認機能」
●観念能力の形成過程は、赤ん坊の頃から「聞く→話す→読む→書く」と順で段階的に発達する。
注目すべきは、言語能力の土台にある「聞く→話す」という行為は、聞いて真似をするということであり、これは一般動物にも備わっている学習本能によるものであるということ。但し、人類は話せるようになるまで1~2年を要する。
さらに2~3年後、幼稚園児くらいになって初めて文字に出会い、読むという行為が始まり、その後に書くという行為が始まる。このように、「聞く→話す→読む→書く」の各段階で時間がかかるが、そのことは各段階において断層があることを暗示している。
また、断層を暗示する、もう一点は、使用頻度の違いである。聞いたり話したりすることは日常で絶え間なく発生するが、読むという行為は1日のうち稀にしかやらない。読むのは娯楽や仕事上の必要がある場合に限られる。しかも今や、遊びの失速で娯楽のための読書は減る一方であり、残る動因は仕事上の必要に限られる。書くという行為にはもっと距離があり、仕事上の必要の中でも、報告書を提出する局面でしか書くことはない。
このように、とりわけ話し言葉(聞く、話す)と書き言葉(読む、書く)との間の断層が極めて大きい。ほとんどの生徒は作文が苦手という事実がそのことを示している。
●話し言葉と書き言葉の断層はどこから登場するのか?
人間の脳の役割分担:画像はこちらからお借りしました。東京都神経科学総合研究所
サル以前の動物には右脳・左脳で機能的な差はなく、人類だけが右脳・左脳の使い分けをしている。人類固有の観念機能の登場によって、右脳・左脳に役割分担したと考えられる。
では、観念機能が登場したら、何故、右脳・左脳が役割分担する必要があるのか?
観念機能は極めて負担が大きいからである。なぜ、負担が大きいのか?
観念機能のうち、まず話し言葉について考える。
人類の話し言葉は、動物も本能上の音声機能による交信と大差はなく、負担は大きくない。動物の感覚機能は生きるか死ぬかという外圧に適応するために形成されたものであり、それは本能的な欠乏と直結している。同様に、人類の話し言葉も本能欠乏・共認欠乏と直結しているor断層は少ない。
それに対して、書き言葉(文字)は? 文字は視覚の対象だが、文字以外の視覚対象と何が違うのか?
動物の視覚機能でも、本能的な欠乏に基づいて(外敵か?餌か?といった)照準が合わされる。ところが、文字は餌にもならないし、襲ってもこない。つまり、文字は本能機能・共認機能と結びつかない、単なる無秩序なデジタル記号にすぎない。デンタル記号にすぎない文字を本能・共認機能と結びつける(=意味づける、秩序化する、統合する)には膨大なエネルギーを要する。それだけ習得するのに時間がかかり、日常の使用頻度も小さいのも、そのためである(この共認回路と文字との断層をどう乗り越えるか? それが言語能力上昇のための課題である)。
このように文字は、意識的に努力しないと本能・共認回路と結びつかない。そのために膨大な脳容量を使う。共認機能はサル時代には右脳・左脳の両方にあるが、この膨大な脳容量を使う機能を左脳が司るようになると、共認機能は主要には右脳が担うようになっていったと考えられる。
コラム
5000年前の文字登場以降、共認機能は衰弱している?
シュメール語の粘土板:画像はこちらからお借りしました。シルクロード見聞録
話し言葉は一見アナログ情報に見えるが、一個一個の単語にバラせばデジタル記号であり、右脳・左脳が役割分化したのは、話し言葉が登場した時代(200万年前)にさかのぼるが、それでも話し言葉は共認機能と直結しており、文字よりもはるかに断層は小さい。
文字できたのはわずか5千年前だが、それ以降、文字情報の増加によって左脳の負担は増している。このことは、今後も、右脳・左脳の役割分担が進んでゆくことを暗示している。
観念機能の原点は200万年前の精霊信仰、つまり、万物の背後に視覚では見えない精霊を共認対象として措定することにある。これが観念原回路であるが、それは共認機能が最も進化した先端で生まれたものである。つまり、観念機能の土台に共認機能があるわけだが、観念機能登場後も文字の登場までは、共認機能は進化し続けてきた。その中でも話し言葉が増えるにつれて右脳・左脳の棲み分けは進んでいたが、右脳・左脳の分化が急加速したのは文字の登場後である。
それにつれて(文字の登場以降)共認機能は衰弱しつつあるのではないか? それにつれて観念の暴走とも呼ぶべき現象が進んでいる。
例えば、法律の増大である。
原始時代~採集時代までは、人類集団は不文律によって秩序化されてきた。それは万人に適用されるものであるが故に、万人がそれを肉体化して知っていることが前提条件であるが、近代の法律は法律家でもわからないくらい膨大な量に膨れ上がっている。万人が知らない所で法律が作文され、それによって規制されている。そもそも万人が共認すべき規範という領域において、法律家という専門家が存在して、それを独占していること自体がおかしい。
文字登場の歴史は2段階に分かれる。
①他集団との交易が始まり、その記録の必要から。
②時代が進んで、徴税のための記録。
いずれも経済がらみである。
★果たして、人類にとって文字は必要なものなのか?(次回以降、扱う)
- posted by tamimaru at : 15:54 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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