2010年07月16日
企業を活力ある場に変えたい!共同体化への理論的基盤(3)
問)なぜ、企業を共同体化したほうがいいのか?
答)そのほうが活力がでるから。勝っていけるから。
・・・えっ?なんで?
その「なんで?」に応える理論的基盤について、今回は第3回目です。
路上のなんで屋では、
「活力ある企業に変えるには?」
「勝てる組織をつくるには?」
というお題が好評を得ています。そこで答えている構造認識の基盤は、まさに現在シリーズで紹介している「実現論・序」にあります。
これらのお題は、社会の外圧の変化に常にアンテナを張っており、かつ社員の活力の衰弱を目の当たりにしている経営者に特に響いています。また、いちはやく時代の潮流を読み取った企業から共同体化への歩みを進めています。
さて、前2回「実現論・序 ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止」 では、市場の崩壊は既にはじまっており、市場拡大による環境破壊・肉体破壊・精神破壊が猶予ならない局面を迎えていることを明らかにしました。
そして、第3回目となる今回は、「いったい何故、こんなことに成ってしまったのか?」の前編です。
★私権時代における市場拡大の原動力とはなんだったのか?
★現在、国も企業も学校も家庭もガタガタなのはなぜか?
★人類滅亡の危機は何を示唆しているのか?
上記問いの導入部です。さて、本文をみていきましょう。
応援よろしく
ハ.人類はどこで道を誤ったのか?
<第3回>
いったい何故、こんなことに成って終ったのか? たしかに、直接の原因は何れも市場の拡大にある。しかし、これは単に市場社会二〇〇年の終焉なのではない。詳しくは本文に譲るが、市場の背後には、男と女が挑発と駆け引きの火花を散らす性市場(性の私的選択の場=恋愛が成立する場)があり、性市場の奥には、性闘争(メスの獲得を巡る、オス同士の闘い)の本能がある。そしてこの性闘争→私権闘争(メスを獲得する為の地位やお金を巡る闘い)の活力こそが、市場拡大の原動力と成ってきた。
ところが、’70年以降、貧困が消滅してゆくにつれてそれらの活力が衰弱し始め、とりわけ’90年以降、性を含めてあらゆる活力の衰弱が露わになり、社会も人々も急速に閉塞と混迷の度を深めつつある。これは、私権闘争を活力源にし、それによって生み出された私権を獲得しなければ生きてゆけないという、否も応もない絶対的強制圧力によって統合されてきた私権時代三〇〇〇年(西洋の歴史家の言う文明時代。西洋は五〇〇〇年、日本は一五〇〇年と大きな差がある)の終焉だと云えるだろう。
だが私権時代を通じて、国が滅亡することはあっても、人類が滅亡の危機に陥ったことは一度もない。とすれば、この滅亡の危機は、人類が私権時代三〇〇〇年をも超えた、もっと根底的なパラダイムの転換期を迎えた事を示唆している。つまり人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られているのである。だが、一切の予断を排して、人類の全文明を見直すとすれば、人類はその立脚点を自然の摂理の中に、あるいは生き物の摂理の中に求めるしかない。 リンク
いかがでしたか?
更に詳しく第5・6回で斬り込んでいきますが、市場拡大の原動力には「性市場」「性闘争」があったというのは驚きでしょうか?実は過去の歴史における市場の爆発的な拡大期と「性の解放」はリンクするのです。ルネサンス→大航海時代では、性愛の正当化観念が市場の拡大を牽引しました。戦後の日本においては、これまでの規範が崩れ去り自由な性が蔓延します。これもまた日本の高度経済成長の大きな要因となっているのです。
また、貧困の消滅以降のガタガタ現象は事象に事欠きません。国家、企業、学校、家庭どこで切っても崩壊がとまらない。政治家、官僚、マスコミの暴走と迷走、倒産企業の急増、トヨタやJALといった最大手の企業体質の露呈、学級崩壊、家庭崩壊、モンスターペアレントの登場、うつや自殺者の増加・・・そして動機のみえない殺人、子の親殺し、親の子殺し。まさに閉塞感が社会を覆いつくしているのです。
そして、「私権時代を通じて、国が滅びることはあっても、人類が滅亡の危機に陥ったことは一度もない。」という事実。これは、過去の歴史を見ても分かるように、力の原理、序列によって統合されている私権社会では、原理は不変。序列のトップが挿げ替わるだけで統合軸は全く変わらなかったのです。現在は、首相がコロコロと替わっていますが閉塞感が増すばかりであることが証明しているように、トップが替わって済むレベルではないのです。
貧困が消滅し、人々の意識が変わり、私権の強制圧力が無くなった現在、私権や序列が統合軸として機能していないは明白です。言い換えれば、新たな統合軸が必要になっているということなのです。これを根底的なパラダイムの転換期であると考えるのです。
さて、次回は「いったい何故、こんなことに成ってしまったのか?」の後編です。
“全文明の見直し⇒立脚点は自然の摂理の中に求めるしかない”の中身を中心的に扱っていきます。
お楽しみに!
<オススメ参考投稿>
○私権時代における市場拡大の原動力とはなんだったのか?
→性市場が都市全域に拡大したのは何故か?⇒近世欧州市場の特殊性
→ルネサンス=「恋愛賛成」の時代
→性と市場の相関関係
○現在、国も企業も学校も家庭もガタガタなのはなぜか?
→超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
→不正・不祥事の続出は、指揮系統の末路の姿
- posted by saito at : 22:30 | コメント (2件) | トラックバック (0)
コメント
お疲れ様です♪
最近では婦人が集まって談笑する会もあるそうです。その風景というかシステムがかなりネットサロンに似ていて驚きました。ただその目的上、奥様くらいか来ないこと、あくまでおしゃべり止まり、子供は隣接する託児所に預けて自分の話を聞いて欲しいという欲求から参加しているなど、意識の上でまだまだ問題があるように思えました。
多くの女子会も多かれ少なかれそういう部分があるのではないでしょうか。
ただ、土台ができた、入り口が出来た、という点ではものすごく楽しみな動きだと思います。
>SSSさん♪
コメントありがとうございます☆
婦人会(?)みたいなのがあるんですね~!奥様方にも女子会は流行っているってことですね☆+゜
女性は特に、いきなり課題追求よりは「みんな同じなんだ~」っていう安心感とか、「自分の悩み=みんなの課題なんだ!」っていう共感とかがとっても重要なんだと思います☆+゜
その土台作りが着々と進んでいるので、今後はいかに進化させていくか?をみんなで考えていきたいですよね(^^)♪
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