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2010年12月29日

【元気な会社】シリーズ ~魔法の砲丸 オリンピック3大会連続メダル独占~

ということで、【元気な会社】シリーズ第3弾は、『魔法の砲丸を作る辻谷工業』さんです。
DSC010811.jpg

0.プロローグ

1.板室温泉大黒屋

2.あらき

3.辻谷工業

4.キシ・エンジニアリング

5.未来工業株式会社

6.小ざさ

7.伊那食品工業株式会社

8.ハッピーおがわ

9.医療法人鉄蕉会亀田総合病院

10.沖縄教育出版

11.まとめ

2000年のシドニー五輪の直前、当時の砲丸投げ第一人者・フィンランドのアルシ・ハリュ選手はこう語りました。

『重心がずれた砲丸は、飛距離が2mは落ちてしまう。俺は日本の砲丸で投げるよ。』

ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社
坂本 光司 著  ダイヤモンド社 より、

辻谷工業さんは、小さな町工場で、世界一と称される砲丸を作っています。そしてそれは、世界で唯一完全に真ん中に重心がある砲丸と言われ、五輪3大会連続でメダルを独占しています。

また、

日本クリエイション大賞 ニッポンのもの作り賞
厚生労働大臣賞 現代の名工
経済産業大臣賞 元気なモノ作り中小企業300社
秋の褒章受章春秋褒章 黄綬褒章(2008年)

という輝かしい受賞暦を持っています。そして、コンピューター制御の機械を超えた精密性、鍛えあげた人間の能力をフルにつかう技術力、あくなき品質へのこだわりなど、実現するための技術的追求力を中心として、数多くの評価を辻谷工業さんは獲得されています。

詳細は、『辻谷工業HP 』をご覧ください。とにかくびっくりです。人間は、もともと信じられないほど高い能力をもっていて、たゆまぬ探求さえすればそれを開花させることが出来るという内容です。

ところで、このような日本の製造業のきわめて高い技術力に焦点をあてた評論は他にも多く紹介されています。しかし、なぜそのような追求力を長い間維持できたのか?というもっと普遍的な側面からの分析はほとんどありません。

そこで今回は、辻谷工業さんが世界一の技術力を獲得するに至った歴史のなかに、成功する企業の行動を規定している意識や価値について考えてみたいと思います。

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■■■終戦からはじまる職人への道

1945年東京大空襲で、父が経営する工場も家も焼け、入学するはずだった中学校も焼けてしまった。そして終戦。辻谷氏は中学進学を諦め、お父さんが焼け跡に再建した工場で働き始めました。当時の仕事は、自動車の部品製造で、完全な下請でした。

そこでは、『毎年毎年コストダウンをせまられ、いくらいい機械を作っても、技術を開発しても追いつかない。自動車会社の下請をやっていても将来性がないと思った。』

という現代も変わらぬ下請という社会構造の壁にぶつかったのです。そしてその後、父親の経営する会社を離れ、奥さんの実家の工場で働くようになりました。そこから脱下請の人生が始まります。

■■■下請にはならない・・・市場原理よりも大切なものを求めて

そのときの気持ちは、父親の苦しい経営を目の当たりにしていたため、

『下請だけはやりたくない、大企業の【奴隷】にだけはなりたくない、どうせやるなら自社製品をつくらなければ・・・』

というものでした。こう思った理由は、直接的には大企業からの理不尽なコスト要求があったのだと思います。そしてその後の辻谷氏の経歴をみていると、以下の何点かの理由がその背後に読み取れます。

■企業としての自立性を獲得することによって、主体的に仕事に取り組みたい

下請は奴隷という感覚は、与えられるのをまっているだけで仕事に対する主体的な取り組みが出来ない。その結果、仕事にやりがい(=充足感)を感じない、というところから来ているのだと思います。それに対して最初に行ったことは、技術者自ら仕事を獲得しにいく=営業をやったのです。

方法は、アウトドアブームがアメリカから上陸する前に、大学の山岳部にガリ版刷りの手紙(今で言うDM)を出して直接買ってもらったのです。普通なら営業活動を担ってくれるスポーツ用品店へ売り込みを図るところですが、自ら営業活動を担い、直接製品を提供する顧客=期待にこたえるべき対象を獲得したのです。

これによって、顧客の期待をダイレクトに捉え、自らの主体性で仕事を組み立てていくということを実現し、職人にありがちな技術依存の世界から大きな世界へ一歩踏みだしたのです。

■仕事の主体性確保のために徹底した経営判断を行う

先のアウトドア製品が売れるようになってくると、大手企業が参入してきます。その際、一般的には大手企業のOEMに回り、下請構造にはまってしまいます。それを徹底して排除するために、すぐさま成功領域から撤退したのです。

それも、この一回だけではありません。その後の、横受けとして(パートナーとして)提携するゴルフアイアン、陸上競技用のハードル(今は自社製品として販売)も、大手参入を期に撤退しています。

このことにより、新規の営業対象を探すとか、そのための新た技術を獲得するという大変な課題が出てきます。しかし、それを突破したからこそ、仕事の主体性は確保され、仕事にやりがい(=充足感)を感じ続けることが出来たのだと思います。

むしろ、主体性を発揮するための課題こそが、辻谷さんのやりがい(=充足源)だったのではないでしょうか?

■■■支えてくれる仲間のほうが、お金より大切

アトランタオリンピックでメダル独占からのことです。アメリカのスポーツ用品メーカーが、技術ライセンスの譲渡を条件に、『週給2万ドルの3年契約』で技術指導に来て欲しいという要請があったそうです。これは年間1億円に相当します。メダル独占というのはそのくらい大きな価値なのです。

しかし、辻谷さんは断りました。理由は、協力してくれた人たちへの恩義と心の絆を大切にしたいという思いがあったからです。例えば、試作に明け暮れていたころ修行させてもらった鋳物工場の社長は『料金は完成した分だけでいい』といって、失敗した(不良品)分の材料費を取らなかったそうです。

これらのことから、辻谷さんは『この砲丸は自分ひとりで作ったものではない=仲間と一緒に創ったもの』との思いが強かったと語っています。

■日本の技術=仲間の技術

オリンピック3大会連続メダル独占のあと、次のオリンピックは北京でした。しかし、そこへの納入はボイコットしました。

理由は、2004年のサッカーアジアカップの際の中国サポーターの暴挙などもありましたが、核心は、知人の経営する会社の中国で生産した製品が、直ぐに別の工場にマネされてしまったこと、それも、粗悪な製品になってということでした。偽者づくりの天国の中国に、日本の工業自体が迷惑をこうむっているという苦々しい思いがそこにありました。

市場原理では、安く作り高く売ることで利益を出すことを優先されます。そこには、相手との信頼や充足というものがありません。しかし、辻谷さんが求めていたのは、提供する相手にとことん満足してもらえ、かつ、そのことにより自分も満足できる製品です。

そしてそれをささえていたのが、日本の高い技術であり、それは仲間とともに築いてきた、という思いだったのではないでしょうか?

■それらを実現するために技術を追求する

このような思いを実現するために、仲間も含めた緩やかな生産組織をつくり、その自立性を確保するための自ら営業対象を獲得し、その上で顧客の要望を実現するために技術をとことん磨いてきたのだと思います。決して、高度な技術が先にあったのではなく、主体性を発揮して仕事をすることへの充足を直感的に感じとっていたからこそ、それが出来る会社を作り上げ、その充足を活力に技術は高度化していったのだと思います。

■■■生きることの可能性や充足を父の背中に見た子供たち

辻谷さんのお子さんはみんな家業をついでいます。これは、小さな工場にとって非常にまれなことです。なぜならば、サラリーマンにしても下請工場にしても、大きくは市場原理なかで資本の奴隷という側面はぬぐえず、金銭的安定と引き換えに、仕事そのものに生きがいを感じている人が少ないという現状があるからです。

しかし辻谷さんの、厳しい経営ではあるけれども、仕事に対して充足していた日々を、お子さんたちは見て育ったのだと思います。そこでは、働くこと、良い製品を創り相手の期待にこたえて評価をえること、そのための日々自らの主体的判断により会社を経営していくことなど、たくさんの可能性を発見したのだと思います。

その結果が、全員跡を継ぐ=後継者育成の成功のつながったのだと思います。

■■■市場原理の真っ只中で、自ら生きる場を自ら築いてきた

下請という環境の中で市場原理の理不尽さを否定し、ただ否定するだけではなく自らそれに変わる価値を実現したのだと思います。これは、もっと薄めるとサラリーマンも同じです。

どれだけの人が、本当の充足を実現しようとしたのでしょうか?仕事はつらいもの、だから家族や余暇で充足を!という思考では、人生のほとんどの時間を費やす仕事で充足は出来ません。その証拠に、余暇での充足を一杯もらった子供たちのなかに、そういう父親の姿をみて同じようになりたいと思う人はほとんどいません。

それにたいして、辻谷さんは(消費の場としての)家庭や余暇などではなく、仕事の場で自ら充足することを実現したことによって、子供たちの同化対象になりえたのです。これも、市場原理の真っ只中で、お金だけにとらわれるのではなく、自ら生きる場を自ら築いていくという強い思いがあり、それを実現してきたからだと思います。

辻谷さんの時代は高度成長期を中心とした、市場原理一色の時代でした。そこでは、給料のいい大企業がもれはやされると同時に、仕事での非充足を、余暇で紛らわすしかない時代でした。そんな時代の中、自分や仲間の充足のために、自らの生きる場を自ら築いていくことの大切さを教えてくれる大切な会社だと思います。

そして現代は、共認原理の時代。ますます、このような価値は実現しやすくなっています。あとは、大企業のほうが安定しているなどの固定観念をすてて、新しい現実に向かうだけでいいのです。

そんな会社が35年前からありました

私たちは何よりもまず、自らの生きる場を自らの手で築いてゆきたいと願う。そして新しい歴史時代を、自らの力の及ぶ地点まで実現してみたいと願う。だがそこで何よりも問われるのは、私たちが永い間奪われてきた、総体的な関係能力(組織能力)の獲得である。

自主管理への招待(7) 労働の解放のために:自主管理の原則

 

コメント

ほんとに世の中、どこを見渡しても、「どうすればいいんだろう?」ってことばかりです。日本を導いていくはず指導者達には、もう誰も期待していないし、ここまで行き詰ってしまったのは、彼らに大きな原因があることは間違いないですね。
でも、なんで政治家や官僚はここまでズレてしまうのでしょうか?
今日も、鉢呂経産相の「死の町」発言、「放射能うつしてやる」発言がありましたが、本当に人間性を疑ってしまいます。
この記事で提案されている、普通の感覚を持った普通の生産者達が作る新しい社会は、ぜひ実現していきたいですね。

  • 匿名
  • 2011年9月10日 17:49

近代思想はエゴを正当化する思想。そして、エゴの暴走が現代における行き詰まり、滅亡の危機の原因。だから、近代思想ではこの危機を乗り越える答えは絶対に出せない。

  • 匿名
  • 2011年9月10日 20:46

菅・枝野他の震災後の対応にしても、鉢呂経産相の件にしても、この国のリーダーは、もはや大衆の気持ちを全く汲むことができなくなった印象があります。

  • 匿名
  • 2011年9月12日 03:39

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