2012年01月12日
日本の実質的な市場は中小企業に支えられてきた!
皆さんはご存知でしょうか?
日本は世界有数の老舗大国だという事を。
創業1000年以上の企業は7社(最古は有名な金剛組で、なんと創業1400年を超えています!)、500年以上が32社、200年以上3146社、100年以上では、小さな自営業等も含めると恐らく10万社を超えるとも言われています 。
(参考資料:1000年以上続く老舗企業)
そして、もう一つの特徴が、実は中小企業大国である、という点。
日本の会社の99%が中小企業(従業員数300人未満)であり、民間企業で働く人の8割が属する、というまさに生産基盤そのものを支えている存在なのです。
しかし、これだけの歴史を持ちながらも、注目を集めることがあまりにも少ない。理由は簡単ですね。資本力=マスコミ力が、極少数の大企業に専有されているからです。それ故、中小企業は常に実質生産の縁の下的な役割を担いながらも、中々日の目をみることが出来無い歴史を歩んできました。
そこで今回は、戦後の中小企業の歩みに的を絞って見ていきたいと思います
戦後日本の企業を取り巻く環境は、占領軍による民主化政策の元、財閥解体、農地解放による共同体破壊政策が推し進められます。また、生産基盤が壊滅的な状況であった為、極端なインフレが進行、国の政策は基幹産業の優先的再建を目的とする「傾斜生産方式」におかれ、必然的に大企業優位の政策となり、中小企業は資材も資金も不足、それに加えて徴税強化という極めて厳しい状況からの再スタートとなりました。
そこで、まずは大企業優位の政策に対する対抗手段として労働者や中小企業家達の組合化・政策提言活動へと向います。簡単な年表に整理したので、下記を参照下さい。
戦後の日本は、まさに困窮の荒地からの再スタート。
厳しい状況下で生き残りをかけた中小企業や労働者達の組織連合の殆どは、戦後から1950年代に結成されています。
まず、ここで注目すべきは、財閥解体と労働組合法施行にあります。
日本の旧財閥は、戦前の大家族的企業群。同族支配と多角経営という2つの武器を元に、自立的共同体組織であったとも言いかえられます。かなり強固な力を実質的に保有していた為、アメリカ(の金貸し達)の経済支配力を強める上で最も邪魔な存在だったのでしょう。
何故、労働基準法よりも先に労働組合法が制定されたか?より抜粋
アメリカにとって日本の労使協調的な企業組織を復活させることが最も脅威であり、それらを解体することが先決事項であったことがよく分かる。
すなわち、労働組合法の制定は日本の国力を弱体化することが最大の目的で、教科書に書かれている民主化とはあくまで建前であったということだ。
とあるように、日本を「反共の基地」と位置付けながらも、わざわざ労働組合法を制定させた背景には、既に大きな資本力を有していた日本の大企業との対立構造を作り出すことにより、組織の弱体化を図る狙いがあったのです。
元々が共同体気質の強い日本では、明治以降の近代化の流れにおいても、共同体気質を存分に発揮し、財閥資本の元で強力な組織統合力と高い同化能力を駆使して、急速な力を付けていった。あまりにも早い発展スピードは、当時の欧米先進諸国にとっての脅威でもあったのです。
しかし一方では、当時の国際情勢を含めて俯瞰すると、日本は実質的に対ソ連・中国の拠点としても早急に工業生産力を高める必要性も相俟って、大企業の力を完全に削ぎ落とすのは得策ではない、という判断も働きました。財閥解体は行われたものの、銀行系列の新たな秩序(金貸し支配)に取り込まれながら、大企業は結局資本力を有したまま、戦後復興に力を発揮して行く事になります。〔1953年大企業再結集〕
※より詳しい高度経済成長期の構造は、
★シリーズ『会社って誰のもの?』 ~3-1.高度経済成長期の日本
を参照下さい
日本企業は解体や再結集、そして連合という形を取りつつ、理念的には民主化という偽物の言葉に引きづられながら、資本家と労働者の溝は拡大の一途を辿りました。
次に注目すべきは、中小企業の組合化の流れです。大企業(資本家)と労働者の対立構造は上で述べた通りですが、中小企業となると少し色が変ります。経営者と労働者は一体である、というのが彼らの置かれた状況認識。
それ故、企業としての一体感をより高めながら、かつ企業間の連携によって生き残りを図ろうと登場したのが、中小企業系の組合でした。目的が組織(仲間達)の生き残りですから、中小企業の経営者達は、もっぱら社員やその家族、地域の為に闘う存在であったと言えるでしょう。
一致団結して政策提言を行う、という運動体は、時に共通理念における価値対立も発生します。利益誘導を主眼において1956年に立ち上がった「中政連」は、破竹の勢いで組合員を増やしたものの、単なる私権を巡っての利害関係でしかなかった組織体は、たった2年で解散に追い込まれました。
一方で、中政連の方向性に異を唱え、自主・自立の精神を貫くべし、と立ち上がったのが、現在の「中同協」。
政治色を強めれば、むしろ官僚主導体制に追い込まれる事になる、との危惧を持ち、序列を持たない水平統合の企業連合を目指しました。
上記の歴史を見ても解るように、多くの組合運動は1960年をピークに、衰弱の一途を辿ります。本格的な経済成長への道が開かれると同時に、労働運動も含めた反体制運動は目先の私益獲得競争へと飲み込まれ、運動体は中身のない組織体として息を潜めるようになりました。唯一、経団連だけは新たな財閥組織として利権構造の頂点に立ったことを除いて。
しかし、中同協はその後も地道な勉強会を中心とした自立経営の道を模索しながら、草の根の活動を継続し、50年の歳月をかけて全国組織としての基盤を確立しました。彼らの勤勉性の高さは、時に社会主義・資本主義の両閉塞を超えるには?といった未明課題の追求としても表れます。
参考:協同組織と中小企業の新たな連携を
2011年3月 協同金融研究会第100回定例研究会記念シンポジウムレポートより抜粋
同研究会は、信用金庫や信用組合、労働金庫、農業協同組合の4つの業態の協同組織金融機関の研究会です。
シンポではまず、「協同組織金融機関への期待と国際協同組合年」と題して、記念講演を経済学の泰斗、宇沢弘文氏(東京大学名誉教授)が行いました。宇沢氏は、ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の「レールム・ノヴァルム(回勅)」(1991年)を出す際に助言。ソ連崩壊の直前に出されたこの回勅は、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と題され、資本主義と社会主義という2つの経済体制を超えて、すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保できるような経済体制は、どのようにすれば具現化できるのか、という問題提起でした。
これに応えて、宇沢氏は社会的共通資本という解を提起します。社会的共通資本は、山や森、海、水など自然環境、公共的交通機関や上下水道、電力・ガスなど社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、金融などの制度資本の3つの構成要素からなります。一言で言うと、人間がゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、魅力ある社会が円滑に機能する協同的な営みとして管理、維持し、次世代に伝えていくべきものとのことです。宇沢氏は、社会的共通資本の管理、維持について重要な役割を果たすのが協同組合の制度であるとし、協同組織金融機関の役割と使命に大きな期待を述べました。
次にシンポでは、「協同組織金融機関はどう特性を発揮するか~広域化・規模拡大と会員(組合員)との絆をどう築くか」と題して、4つの業態ごとに事例・実践報告がありました。
興味深かったのは、山口県の周南農業協同組合の報告。同組合は、人口約26万人の地域ですが、高齢化に伴い正組合員の減少に歯止めがかからないものの、地域に開かれた協同組合として地域の人すべての組合員化を指向し、現在の組合員総数は約3万4000人。好調な8カ所の直売所や福祉事業への参入、ポイントカードの発行など業容は拡大しています。目指すは「地域協同組合」。地域の中小企業や商店街との連携が今後の発展の鍵と思われます。
高度経済成長を終えた頃には、新たな組合結成や反体制運動等はほぼ消滅。豊かさの実現と共に、運動体としての役目もほぼ終わりを告げていきます。
1970年以降、バブル経済の崩壊を持って「失われた10年」と謳われる事がありますが、実態は『失われた40年』であったと見ても良いでしょう。実体経済成長が頭打ちとなってからの市場は、国債投入による輸血・バクチ経済。この40年で一体何が成長したのか?と問い直してみれば、自ずと解るくらい、空虚な時代が現在まで続きました。
実現論:序4(上) 統合階級の暴走で失われた40年
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
この世には、医療だけではなく、農業や介護や新エネルギーの開発etc、市場ではペイしないが、社会的に絶対必要な仕事がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的消費ではなく、あるいは福祉と称して非生産者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。
このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
問題は、統合階級が、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家によって支えられた国家市場しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。
彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。
1970年以降の年表もご覧下さい。
対立の歴史を構築して来た労働組合系は、既に活動の中身が形骸化し、衰退の一途。
日本の労働組合
そして、大企業は連日不祥事の嵐。バブル期に抱えた負債隠し等が一部で発覚していますが、まだまだ氷山の一角のような気がしてなりません。
ユーロ危機の、終着点は世界恐慌か?(2)
そのような状況下においても、中同協は一貫して仲間第一を貫き通してきた組合組織として、草の根的に様々な学習活動を継続展開しています。毎月の地道な摺り合わせの場を持つという事は、徹底した合意形成を図る上でとても重要な意味を持ちます。
寄り合いという合議制は徹底的なすり合わせ
この様な社会情勢において、改めて中小企業の保ち続けてきた生産の場の重要性が再認識されます。
最も身近な現実に立脚し、現実の圧力を受けて実質的な生産を担ってきた経営者・労働者の一体的な組織群。経済情勢はさらなる悪化が予測されますが、この流れは資本力から人材力(意識生産)への流れと並行しています。
つまり、今後はより人と生産とが近い企業に有利な社会となっていく!
(類塾 自然体験学習の様子)
この可能性を軸に、今後も中同協などのいくつかの組合について、さらに掘り下げていきたいと思います。お楽しみに!
- posted by kawa_it at : 13:29 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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