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2014年01月16日

CO2温暖化説の背景にある環境問題を解決する為に必要なこと②

2.解決編(共認市場下で環境はドンドン良くなる)
  
①私権拡大と共に広がってきた環境問題
 
前回述べた通り、環境問題は私権追求と共に拡大してきました :cry:
 
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写真はこちらからお借りしました。
  

○森林伐採
有史以前から豊かな森林だった黄河流域ですが、人間の手によって森林伐採が加速され2000年前には深刻な環境問題が顕在化していたようです。そして、紀元前1600年頃には、陶器や青銅器の製造が本格化し、燃料としての木材の消費が増加。紀元前8世紀以降の春秋時代、戦国時代には、大型化した宮殿や墓に大量の木材が用いられ、農地も急速に拡大し森林が減少していき、鋳造鉄器も生産され、巨木の伐採や根株の除去も容易になったそうです。
 
<参考>中国の環境問題はすでに2200年前に発生していた

 

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○産業廃棄物
エジプトの多くの都市の日々のゴミは空き地や廃屋に捨てられ、それをイヌやハゲタカなどが漁り、糞尿は路上或は空き地が利用されていました。ゴミを焼いて処分する風習は一般的でなかったようです。
 
○水質汚染
中世ヨーロッパでは河川を飲み水の水源にしていた為、フランスでは13世紀、イタリアでは15世紀に、動物の死骸やゴミを河川投棄したり、皮革業者が皮を河川で洗うことや染物屋が使い終った染料を川に投棄することを禁止した例もあります。
 
○有毒物質
古代ローマの貴族はブドー酒を好み、風味を良くするために鉛を混入していました。また体の弱い人のために鉛シロップを海水とともに鉛でできた鍋で煮詰めadynamonと呼ばれる飲料も作られていたそうです。ブドー酒に鉛を混入することは甘みを付けることのほか、腐敗防止にも効果が認められたからで、雑菌の消毒とともに中毒になる原因となっていたようです。
  
○大気汚染
13世紀にロンドンでは煤煙問題に苦しみ、エドワードⅠ世が石炭の使用禁止令を出しています。住居が密集し、産業が盛んだったロンドンは、石炭に頼らざるを得ず、煤煙は家庭ばかりではなく、ガラス製造、ビール、蔗糖、石鹸、金属加工、染料、レンガ製造などの産業からも発生していたようです。
 
<参考>環境の歴史 第一回 ー近代以前ー

  
 
このように環境問題は、私有意識、個人主義といった私権観念と市場に密接に関わってきたのです :twisted: そしてこの構造は現代まで続いていきます 8)
 
 

○環境利権
1970年代、石油が枯渇するという不確定な理由から「石油代替説」が唱えられ、先進国中心に原子力開発に傾倒していきます。1980年後半になると、「地球温暖化説」が唱えられ、エネルギーと環境を無理やり一緒にするという形で原子力開発は加速されていきます。1990年前半からは、硫黄酸化物から温室効果ガスへ対象を変えながら「排出権取引」が行われていきます。

 
 
共通の構造として見て取れるのは、私的充足を基底とした市場拡大です。前回の記事の通り、私権闘争下(価格闘争)の市場では、私的充足を満たすことが成長基盤になっていました。だから、私権闘争に勝つことが全てに優先され、自らの私的充足を満たせないものは他人事になってしまいます。その典型が政治でしょう。自らの為にならない政策であれば愚痴や不満をぶつけたり、それであればまだいいほうで、最近では政治は完全に他人事。こんな市場では社会統合させるわけがありません。つまり、私的充足を満たすための市場=私権市場の進む先には社会が崩壊していくビジョンが待ち構えているのです 8)
 
 

自我・私権獲得を正当化し集団を解体していく近代思想
 
現代の環境問題の問題構造である「豊かさを要求する大衆」と「私益を貪る特権階級の暴走」が登場したのは、この近代市場時代にあります。そして、それらの構図を生み出した背景には、【豊かさ期待】と【代償充足(解脱埋没)】という、社会を貫通した共認内容が出来上がったことにあります。

 
 
しかし、前回の記事の通り、私権時代から共認時代へのパラダイム転換は今まさに起きています。私的充足でなく、共認充足(互いが充足できる)を満たすための市場では環境は、どう変わっていくのでしょうか?気になりますね。
 
 
②自分達の住む場を守る為の共認市場
 
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写真はこちらからお借りしました
 
個人の範囲を超えた共認充足に転換するには、みんなを意識していく必要がありますが、実はみんなを意識する観念は古くから日本に存在していました。
 
例えば、自然のものにはすべて神が宿っているという八百万の神という考えがありますが、これは、海、山、森だけでなく、田んぼ、トイレ、台所、米粒といった生活に関わるすべてのものに感謝の念を込めて“神”という共通観念を創り、みんなで共認していくという教えです。
 
なぜ、みんなの共通観念が生まれ、その観念が消えずに人々の意識の中に残存し続けたのでしょうか。
その答えは簡単で、そうすることが生きるために必要だったからです。
誰もが生きるために必死に生産活動をしていた時代は、当然個人では生きられず、村や集団単位で生産を分業化していました。そこで共に生きることを追求していった結果、誰もに必要となることを共に大切にしていこうという共認に行き着いたのです。だからこそ、共通観念が生まれたし、集団で生きる限り共通観念が消えることはなかったのです。
ここで注目していただきたのは、共通観念で集団を統合する構造は他の宗教と何ら変わりませんが、共通観念が対象化していたのは偶像でなく、現実生活と密接に関係する物だったということです。本気で集団として生きていこうと考えたからこそ、自然と向き合い、自然と共に生きる為の選択として、現実に即した共通観念の共認という道を選んだのです :wink:
 
しかし、西洋からの私権拡大により、私的充足を追求していった結果、集団として生きるための共通観念を共認する重要性は薄れていってしまったのです。だから、別にひとりでも生きられるという錯覚に苛まれ、他者との関係を無視し、利己的行動を繰り返し、人は自ら人間性を壊していったのです。セックスレス、家族崩壊、成人病、学級崩壊、政治不信、と様々な社会問題の根底に根付く私権追求。変わるには時間がかかるかもしれませんが、その転換の萌芽は着々と出てきています。
 
例えば、カーシェア、ハウスシェア、オフィスシェアといった誰かとシェアするという現象は私的充足時代には考えられなかったことですが、これは利用者が個でなく、共有することを共認するという認識に転換できた結果です。SNSやクラウドファンディングの台頭も変化の片鱗と言えるでしょう。
しかし、集団化という変化だけでは本当に転換を迎えたとは言えません。大切なのは前述したように、現実生活(生産活動)に密接に関係していることです。集団として生き残りをかけた生産活動を乗り越えていく中で初めて観念転換を促すだけの深い共認充足が得られるからです。
 
生産と結びついた共認充足が人の中に芽吹き、共認充足が連鎖反応を繰り返し、世界に広がり始め、共認市場が形成され始めた頃、漸く環境問題も解決に向け動き始めるでしょう。環境問題の本質である私権が共認へ転換するには時間がかかるでしょう。それだけ、私権観念は根深く、強力なものです。だからこそ、目先の弥縫策に飛びつくのではなく、共認市場の拡大を自らが当事者となって実現していくこと。これが環境問題解決のための抜本的解決策なのです :wink:
 

<参考>
未来を拓く、社会事業の可能性-1- なぜ今、社会事業が注目されているのか?
社会的企業を支援する「ソーシャル・ファイナンス」の台頭
教育の福祉化(福祉観念→見せかけの温情→愛国心)
なんで屋投資の可能性について
日本人の自然観~自然も人もすべて一体~

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