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2011年04月30日

時流探索~震災復興会議と企業の再興模索~

原発事故が予断を許さない状況が続いているなか、東日本大震災復興構想会議が開催される一方で、東北の企業は着実に再興をはじめている。今日は、政府主導の復興ビジョンの危うさと現実を生きる企業の逞しさをお届けします。
未来都市復興ビジョンの危うさ
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しかし、広原盛明・龍谷大学教授はブログ『つれづれ日記』で、阪神淡路大震災の復興計画の失敗の二の舞と批判する。
“復旧よりも復興”を叫んだ「阪神大震災大ハコモノ復興計画」の誤りを繰り返してはならない 東日本大震災復興構想会議は、いったい何を議論して何を“構想”するのかより。
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私が「未来都市型復興ビジョン」を信用しないのには訳がある。それは阪神淡路大震災復興計画の策定時、当時の兵庫県知事や神戸市長が「復旧よりも復興」を叫び、災害を奇禍とした“大ハコモノ計画”を推進しようとした生々しい歴史的経緯があるからだ。
これをリードしたのは、政府の阪神淡路復興委員会の責任者に任命された下河辺淳氏(日本の総合開発計画を策定してきた元国土次官)だった。彼は、「被災者の救済などは自治体にやってもらうことにして、私たちはもっと楽しい夢やビジョンを描きましょうよ」と最初から最後まで会議を強力にリードしたのである。
それ以降、阪神淡路大震災復興計画は、「復興」(大ハコモノ計画)一色で染められ、「復旧」(被災者の生活再建)がなおざりにされていった
それは神戸空港建設と新長田地区再開発事業の現状が「歴史の生き証人」として語ってくれる。
神戸市長が「希望の星」と叫んで強行した神戸空港建設は、それ以降、膨大な赤字を垂れ流し続けていまや「廃港か存続か」の岐路に立っている。超高層ビル40棟が林立する計画を描いた新長田地区再開発事業は、計画の中途変更も含めて経営に行き詰まって商店街はシャッター通りとなり、入居した商店主たちは「去るも地獄、残るも地獄」の状態に直面している。

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政府主導の能天気なビジョンを尻目に、「復旧」の当事者である企業や自治体は着実に復興をはじめている。以下、河北新報ニュースより。写真も同より。
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早期再開へ社員一丸/工場稼働「生きる希望」/岩沼・工業団地

仙台空港に近い岩沼市の岩沼臨空・矢野目工業団地。津波の直撃を受けたレトルト食品製造の西木食品。工場内にいた100人超の従業員は全て避難したものの、敷地はがれきに覆われ、建屋内は海水に漬かり、大量の汚泥が残った。
菊池社長は長期戦を覚悟したが、復興への思いは強かった。震災の発生から3日後には取引先の金融機関から融資の約束を取り付け、壊れた機械類に代わる設備や部品を次々と発注した。
停電解消前日の4日、菊池社長は避難所にいる正社員も集め「18日の生産再開を目指す。みんなで頑張ろう」と宣言した。
職場は従業員の心のよりどころ。工場稼働が生きる希望になる」。菊池社長はあえて目標を示した理由を説明する。
被災を免れた120万食の在庫は、取引先の支援目的の受注急増で半分以上が売れた。3の売上高は生産停止中にかかわらず、昨年と遜色なかった。
一日も早く立ち直って、雇用を守る。地元企業ができる復興支援はそれに尽きる」。
そして4月25日生産を再開した。

製造業/取引先に人的支援
東北の製造業は直接的な自社設備などへの被害に加え、取引先の被災による部品供給の途絶という事態にも直面した。取引先に従業員を派遣して復旧を手助けするなど、サプライチェーン(調達・供給網)が一体となって危機を乗り越えようとする例も出ている。

角田市と宮城県丸森町に主力工場を構えるホンダ系部品製造大手のケーヒン(東京)。ライフラインが一時止まった自社工場の復旧と並行して取り組んだのが、取引先の支援だ。
支援先は宮城県の沿岸部にある精密部品工場。津波の直撃で生産が完全にストップした。
ケーヒンは「部品製造には高い技術を要し、他社からは調達できない」と判断。震災直後からほぼ毎日、従業員を数十人単位で送り込んだ。
工場内は泥まみれだったものの、使える生産装置や金型もあった。派遣された従業員は、使える物を近隣の空き工場に搬出。再稼働にこぎ着けた。
ケーヒンは「取引先を守ることで、自社の生産が可能になる。最終的な完成車製造への影響も抑えたかった」と話す。

自動車のアンテナや音響関連部品を製造する堀尾製作所(石巻市)は震災後、部品の加工や検査を担ってきた雄勝無線(同)に、工場の空きスペースと生産設備を無償で貸し出した。
雄勝無線は津波で事業所と設備が全て流失し、廃業の危機にあった。
「他社に仕事を移管されても仕方ない状況だった。感謝している」と雄勝無線の山下健一専務。堀尾製作所は「作業を続けてもらったおかげで、部品製造が滞らなかった」と話している。

東北6県商工会議所連合会会長 鎌田宏氏/「オール宮城」で青写真

「宮城県内の沿岸部を回り、想像を絶する津波のエネルギーにぼうぜんとしている。特に水産加工業の被害は甚大で、どう立て直していくのか簡単には分からない。」
「宮城県内では石巻をはじめ、被災地域の商工会議所会頭が『この地で復興する』と張り切っている。その意欲をどう生かすか。復興に向けた街づくり、工場の再整備に向け、政府と国と地元自治体が一緒になって『オール宮城』『オールジャパン』で青写真をつくっていく必要がある。」
「同業他社が一つのゾーンで再興を目指すアイデアが、被災地域から出ている。加工団地や製造団地などをつくる考え方だ。単独で苦労するより英知を集めた方がいい。金融機関もこうした取り組みに低利融資などで応えることで、復興への道のりを力強く進めることができる。」
まずは復興事業を地元企業に発注すること。行政には既にお願いしている。」
「仙台商工会議所が事務局を務める8月の仙台七夕まつりは、実施の方向で検討している。七夕の原点に返る気持ちで『鎮魂と復興』をテーマにしたい。観光は東北にとって重要な産業。東北各県の夏祭りと連携し、震災に負けることなく、元気な東北を全国にPRする。みんなで盛り上げを図ることで、復興の足掛かりにしたい。」

東北経済産業局長 豊国浩治氏/新たな助成制度を検討

被災企業にとっての問題は、
「震災後、東北6県の商工団体や県などに寄せられた4000件の相談を分析したところ、資金繰り関係が7割を超えた。津波で工場や設備が流された企業からは、従業員の賃金や取引先への支払いができないという声が上がっている。」
資金面では、
「事業再興の新たな助成制度を求める声は強く、政府が補正予算編成で検討することになるだろう。政府系金融機関の災害対策融資や信用保証制度の拡充で対応することも必要になる。」
他に必要な施策は、
「移転を余儀なくされる企業も出てくるが、遠くに移転すると地域経済の衰退に拍車が掛かる。被災地域や周辺にとどめる取り組みも必要だ。ただ個々の企業への支援は制度上難しい。例えば連携しながらまとまって再興を目指す場合は、公的機関が工場を建設して貸し出すことも考えられる。事業共同化への補助金交付も検討したい。」
最優先課題は、
「まずはインフラの復旧だ。内陸の大手事業所を中心に、大半の企業は操業できる状況にある。交通網や燃料の供給体制を整え、大手の企業活動や売り上げが回復すれば、中小企業の活動も続くようになる。」
経産局が担う役割は、
「被害の実態や要望を把握し、復興に向けた予算確保につなげる。個人的には災害対策を強化し、インフラや産業をできる限り元の姿に戻すのが役割だと思う。国は復興まで、地域経済を全面的にバックアップすると約束する。」

如何ですか?地元の企業および自治体のほうが地に足が着いていてまともだと思いませんか。
最初に引用した広原盛明氏もブログの中で、
「当面する被災者や被災自治体の実効ある生活再建策を棚上げにして、いくら“復興構想”という「ポンチ絵」や「ダマシ絵」を書いても、それは日々深刻化する被災地域の現実によってその場から剥がされていくだろう。」
と書かれていますが、まったく同感です。

 

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