2012年01月10日
共同体社会の実現に向けて【16】 企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする(下)
画像はこちらからお借りしました。
前回・前々回の記事で、共認社会の実現のためには、
①中央銀行の廃止と国家紙幣の発行
②私権企業の共同体化
③統合機関の交代担当制
④受験制度の抜本的改革
が必要であることが示されました。
今回は、④の受験制度の抜本的改革にも大きく関係する、もうひとつの課題「農(漁)村共同体の建設」を扱います 😀
【農(漁)村共同体の建設】
最後に、最も時間のかかる課題として、農(漁)村共同体の建設がある。
これは、単なる農の振興策にとどまるものではなく、「教育をどうする?」というもっと大きな問題に応える必要があるためである。
私権時代を通じて、人々の大半は農業を営んできたし、近代になっても、つい戦前までは人口の過半は農村で暮らしていた。
農家は、現在のサラリーマン家庭のような、単なる消費の場ではなく、それ自体が、農を営む一つの生産体である。従って、そこには、自然圧力をはじめとする様々な圧力が働いている。だから、子どもたちは、学校など無くても親の背中を見ているだけで、健全に育っていった。
かつての村落共同体は、生産(闘争)過程と生殖過程が包摂されていました。本来、生産と生殖が包摂されているのが自然の摂理に則った集団であり、現代の生産と生殖が分断されている状態は、実は異常な姿なのです
生産(闘争)圧力の働く環境そのものが“教育”であり、集団の規範や大人たちの働く姿を見ながら子供たちは集団の一員として期待され、育っていたのです
>かつての仕事についての訓練はおおよそ10歳くらいから始まったようです。農家での子どもの仕事はまず荷物の運搬から始まり、次第に草刈り、草取り、たきぎとり、麦踏み、くれ打ちなどの仕事が任されるようになります。また、家では、ぞうりつくり、なわない、米麦つき、家畜の世話などがあり、女の子ならば子守や炊事の手伝いをしました。そして、これらの作業の「コツを覚える」「コツを呑み込む」ことが出来れば「一人前」とされました。
「全人教育って、なに?-3 @村落共同体の教育」より引用
>7歳を過ぎた子供たちは「子供組」という集団を組み、大人の指導下にさまざまな行事をおこなった。例えば天神講をつくって学問の神様・菅原道真を祀り、学問の上達を祈るとともに、共同飲食して楽しむ、などの慣習は多くの村で見られた。
15歳になれは、一人前の村人として認められ、男は「若者組」、女は「娘組」に属し、それぞれの仲間の交流を深め、集団の規律を学んだ。若者組は、「若衆宿」(わかしやど)という共同生活のための施設ももっていた。メンバーは、村の力仕事を率先して行い、消防や警察などの役割や、村の神社の祭礼も担っていた。
「江戸時代の村落共同体のありよう(2)~村の多様な役割~より引用
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しかし、’50年代・’60年代、市場拡大に伴って、農村から都市への人口の大移動が起こる。
その結果、都市のサラリーマン家庭では、生物史を通じて一貫して一つの集団の中に包摂されていた生殖と生産という二大課題が分断され、その結果、生殖と消費だけの場となった家庭には、何の圧力も働かなくなってしまった。こうして、生産活動を失った密室家庭は、教育機能をほぼ全面的に喪失してしまった。
それでも、農家育ちの祖父や父親が生きている間は、それなりに農村的な規範も残っており、子どもの精神崩壊の問題は、あまり顕在化してこなかった。
しかし、祖父世代が高齢化し亡くなっていった’90年以降、いじめや学級崩壊や引きこもり、あるいは周りとの関係が作れない子etc、心の欠陥児が急増してきた。
このままでは、人類はもたない。
密室家庭の問題点は、自然圧力などのさまざまな圧力が働かないだけではありません。
密室家庭は、個人を絶対とする個人主義思想が生み出したものであり、家庭が聖域となり誰も干渉できなくなります。
子供を教育する上で最も大切なのは、社会性を身につけさせることですが、聖域となった家庭は社会からの圧力をことごとく排除し、自分たちの好き勝手にすることを最大の価値とする空間となってしまいます。
社会性を喪失した自己中な子供が大量生産されるのは当然なのです。
さらに、この密室空間は母親にとっても実は充足出来る空間ではありません。
一生懸命子育てをしても、密室であるが故に、なかなか周りから評価を得ることができません。
一人で子育てを任されても、どう育てて良いのか分からない、子育てが上手くいかなくても相談する相手もおらず不安になる、母親の不安が強くなれば虐待が行われ、最悪の場合子供の命も奪われます。
いつも不安で充足出来ない母親に育てられた子供は自己肯定感が持てず、生きる活力が貧弱で対人関係に自信がない等と言った精神欠陥を深く刻印されることになります。
その意味で、現在の家庭問題は、母親ひとりの責任に帰すべき問題ではなく、密室家庭をつくり出してしまう観念・社会構造の問題です。そのような認識がなければ、解決は決してあり得ません。
参考
密室家庭での子育てでは、共認充足が得られない。
密室家庭でしか虐待は起こらない
闘争と生殖の包摂①
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どうするかだが、もともと子供たちの健全な心を育むには、自然に触れる作業が最も適している。従って、農漁業を手伝いながら学ぶ体制を作ればいい。
そのためには、農漁村に全寮制の幼・小・中・高校を作り、5才以上の子どもを密室家庭から引き離す必要がある。
それは親に対しても、「自分の子ども」という私有意識からの脱却を図ってもらう試みとなる。従って、手順としては、まず高校から始め、中学・小学・幼稚園の順で進めてゆくこととなるだろう。
農漁村にこれら全寮制の学校を建設し終わるには15年くらいかかるが、特に当初5年間は、大幅に落ち込んだ需要を刺激するカンフル剤としての効果も、大いに期待できる。
「教育をどうする?」という課題に対して、「自然を対象とする活動」「農の持つ教育力」は、学校で習う知識の次元を超えて、人として必要な能力、特に本物の思考力や同化能力を育む教育として注目すべきであり、一部ではそうした先駆的な取り組みも始まっています。
※【農】の持つ【教育力】は凄い!
「農業と言う営みが、私たち人間に教えてくれるものは山ほどありますよね。そこに潜在する力、言葉で言ってしまうと教育力になってしまうけれど、農の世界には、人を人として感化、教育してくれるものが確かに存在すると思いますよ」
※「農業教育」は子どもたちの脳を活性化する
「農業は、自然の複雑さに向き合うと同時に、産業、経済、地域社会などあらゆる教育課題を含んでいる」「人間関係の作り方、自ら考え判断する力の獲得など、農業体験を通じて子どもたちはめざましく成長している。まさに生きる力だ」
※農が育む新しい教育
「農は近代以降、市場原理に乗って発展してきた工業や各種サービス業とは違い、集団にとって切っても切り離せない食糧生産を担う事業であり、かつ、その営み自体が教えてくれる自然の摂理や、共同作業を通じて得られる本源的な充足は、現在失われた教育機能の再生には不可欠ではないかと思います」
参考
農村留学 大地の学校
きのくに子どもの村
農漁村に全寮制の学校を創り、自然圧力と生産圧力の中で、同時に仲間との集団生活の中で教育を行うことは、密室家庭の問題、学校教育の欠陥や限界を根底から突破する可能性があります
「自分の子ども」という私有意識が壁になると思われますが、こうした意識=観念は特に核家族化以降のものではないでしょうか。
それ以前の家父長的家制度のもとでは「家の子ども」、それ以前のずっと長い歴史の村落共同体では「集団(ムラ)の子ども」という意識が一般的だったはずです。
現在は「自分の子ども」という囲い込み意識が閉塞の原因でもあるわけで、集団子育てのほうが親も安心できる、親から離れた集団生活のほうが真っ当に育つことに気づけば、流れは変わるかもしれません。
また、これから起こりうる経済破局下(後)においては、都市部の大企業の仕事は激減し、失業者の急増も予測されます。
一方で食糧の安定供給や雇用の確保といった面で、農漁村の再生は必須の課題、人口移動も必要になります。そうした農漁村の振興と併せて、本源的な教育の場と体制を創っていく、そうした活性化政策が必要だと思います
【婚姻制度の転換に備えて】
しかし、家族問題の根は深い。
少子化も深刻だが、それ以前に、結婚しない若者が急増中である。
どうやら、私権圧力を背景にして形成された現在の婚姻制度も、私権の衰弱によって機能不全に陥りつつあるようだが、考えてみれば、私権原理が崩壊した以上、古い婚姻制度が崩壊してゆくのは必然である。
それに、企業を共同体に変えても、家族は私権制のままでは、うまくいかない。
従って、共認原理に則った、新しい婚姻制度が必要になる。
もちろん、婚姻制度の転換は、何十年orそれ以上の長い時間を要する課題である。
しかし、女が安心して出産し子育てが出来るようになるためには、共同体を母体とする婚姻制度の方が適していることだけは間違いないだろう。
その場合、子どもの教育が農(漁)村で行われる点から考えて、共同体企業を母体とするよりも農(漁)村共同体を母体とする方が適している。
従って、最終的には、婚姻をも包摂した農(漁)村共同体の建設が必要になる。
おそらく、将来の共認社会では、農(漁)村共同体こそが拠点となり、人々は、そこから統合機関や民間企業に交代で出向する形の社会となるだろう。
農(漁)村共同体を建設するためには、農(漁)村への人口移動が必要になる。
はじめの5年間は、統合機関の交代担当制によって生じる学者や官僚や公務員(教師を含む)やマスコミの社員、あるいは仕事が半減する金融機関の社員たちを再教育して、農(漁)村共同体の建設にあたってもらう(もちろん農作業をしながら)のが良いだろう。
最終的には、民間企業の半数を農(漁)村の近くの適地に移し、全ての国民が農(漁)村共同体を拠点として農共3年・企業3年ぐらいで交代担当する体制を目指すことになる。
現在の婚姻制度は、明治以降に私権圧力の下、一般大衆にまで推し進められた制度です
この婚姻制度は、個人の私権を自由に追求することを是とし、それを前提に現在の社会制度(年金、社会保障制度etc)も作られています。
そして、私権が衰弱した時代においてこれらの制度で活力を生み出すことはできず、制度自体も破綻の危機に瀕していますが、これらに代わる答えがない故にそれにすがるかしかないような状況なのではないでしょうか。
しかし、歴史上の婚姻様式や、先進諸国以外の婚姻様式に目を向ければ、一対婚以外にも多種多様な婚姻制度が存在していることがわかります。その多くは集団全体の充足や秩序維持など集団を統合していくために、各集団で自律的に塗り重ねられてきた規範です。
共同体社会では各共同体が社会の基本単位になってゆきますが、女性達が安心して出産や子育てなどの生殖役割を担い、子どもが健全に育つことができるような婚姻規範を集団統合という観点から自分達で再構築してゆく必要があるのです。
参考
みんなの共認によって実現されてきた“婚姻様式”
11/27なんでや劇場2 人類の婚姻制もみんなの最大期待(⇒統合軸)によって規定される
まとめ図解
農(漁)村共同体の建設という政策は、以上のように、単なる農の振興策にとどまりません
この政策が見据えるひとつの問題は、教育の問題です
’50年以降、市場拡大→都市化に伴い、生殖の場と生産の場が分断したことで、家庭は無圧力化・密室化し、教育機能を喪失しています
その結果として、’90年以降、心の欠陥児が急増しています
これに対しては、農漁村に全寮制学校をつくることで、生殖と生産の場を一体化し、共同体としての外圧適応=農漁業を手伝いながら集団で勉強することができ、教育問題の根本的解決策となり得ます
もうひとつは、私権原理に則った現在の婚姻制度の崩壊現象です
婚姻制度を考える上では、女が安心して出産・子育てができる環境を実現することが重要です。
共認原理へと転換した現在、私権的要素では安心感は得られず、農(漁)村共同体(集団)を母体とする婚姻制度であってこそ安心して婚姻できます。
また、共認収束の意識潮流下では私有意識に捉われずにみんなで子どもを見守り、育てていくことは十分に可能であり、そのような環境でこそ、安心して子育てができるのです。
次回は、いよいよ「序」の最後、新理論の構築をどう進めていくかを扱います
- posted by kazue.m at : 14:40 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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