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2012年09月02日

『企業の進むべき道』12~共認支配と共認形成☆*:・°

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前回は、国内企業の特徴について展開しましたが、今回は企業のもっとも根幹ともなるべき “共認”について展開します
 “共認”とは、文字のごとく、“共に認め合うこと”です
社会の外圧状況にしても、会社の置かれている状況や方針にしても、会社のトップだけが感じ、志しているだけではその企業は勝てません。会社の全社員が会社のおかれている状況をわかり合い、そして「どうする?」と日々考え、会社の方針に全身で向かっていくには、どのようなのあり方が求められているのでしょうか 🙄
 歴史を遡って、古くからの共認の形式に学ぶことによって、今、現在の社会状況に適した集団のあり方を探索したいと思います。

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◆共認形成のあり方☆
 まずは、以下、地域・時代ごとの各民族における集団スタイルを見てください 何が見えてくるでしょうか 🙄
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◇民族の集会場 
 縄文人(三内丸山遺跡)やインディアン・マオリ族に代表されるように、民族系の集会所形態では、
  方向性がない
  みんなで囲んで話をする
  少人数
という共通点があります
 また、キリスト教の初期サンピエトロ聖堂・イスラム教のハギア・ソフィア、18世紀日本の浄土真宗・西本願寺にみられるように、宗教空間では多人数に対して一方的に教えるようなスタイルがとられています。
まず大きく集団における「共認形成のあり方」を俯瞰してみましたが、こうして見てみると共認形成のあり方は『一から多への一方通行な共認形成のあり方』と、『相互に顔を突合せ話し合いによる共認形成のあり方』という、大きく二つに分けられることが見て取れます
物事をみんなで考えていくことが求められる場では、民族の集会場のスタイルであり、宗教空間に代表されるような多人数に対して一方的に教える場合は、一点から多数へと教えるスタイルになっているようです。
 
それぞれ、ここで見た事例の他にどういった事例があるのでしょうか?それぞれの共認形成のあり方の事例や歴史を振り返り、特徴を押さえた上で次代の企業の共認形成のあり方の可能性を探っていきましょう
 
◆『一から多数へ』 ~私権時代の強制共認~
 
◇【学校】
 一から多数への共認形成の代表例として、宗教空間の事例をあげましたが、実はこの形態、誰もが馴染みのある空間と全く同じ形態なんです
 
そう 現代において、誰もが馴染みのある場と言えば、 「学校」です。
 
学校空間も、この一点から多数へと伝達する、宗教空間のスタイルを踏襲していたんですね
 
一体、いつの時代からこうした様式が取られるようになったのでしょう 🙄
 
学校のあり方についての歴史をまとめた年表を作成しました。それがコレです
 
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年表は平安時代から示していますが、学校の起源としては、古代・学識頭(671年)という役職や天智天皇が創設した庠序(しょうじょ)という学校についての文献が残されており、平安時代以前からあります。
 
詳細は、本論からはずれますので割愛しますが、平安時代以前に行われた大宝律令により、日本で最初の成文化された教育制度が確立されて以降、学校のスタイルとしては、一点から多数へ教えを与える教会タイプであったと考えられます。
  
◇【テレビ】%E2%91%A2%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%92%E3%81%BF%E3%82%8B.jpg
 また、1点から多数へ、一方向の共認支配というスタイルでみなさんも思いつくものがあるはずです。そう、テレビです。(写真はリンクより)
 
村落共同体を失った大衆の解脱箱として登場したテレビも一点から多数への共認形成という意味では教会スタイル、いや、単に人々に一方的に何度も同じことをすりこむ、洗脳スタイルと言えるでしょう。
 
 学校やテレビという事例は、現代における『一から多数へ』という共認形成のスタイルの事例として誰もが実感できるものだと思いますが、もう一つ「企業」というものにひきつけて見てみると、「大企業」の共認形成のあり方が、まさしくこのスタイルにあたることに気づきます。
 
◇【大企業】%E2%91%A3-2%E4%BC%9A%E8%AD%B0.jpg
 力の序列原理によって、トップダウン型で社内の意識や生産体系を統合する。この指揮系統のあり方は、学校教育のスタイルとなんら変わりません。(写真はリンクより。)
 
さて、しかし現代においては、こうした大企業が軒並み行き詰っているのは、昨今のニュースを見ても明らかです。
 
 

戦後高度経済成長期以来、いわゆる「大企業」が産業界の主流であることが当然のように捉えられてきたが、ここに来て状況が大きく変わろうとしている。
大企業という組織形態は、大量生産・大量消費の時代(物的欠乏に応える工業生産の時代)、資本効率の最大化に価値を置く時代にのみ適応的であった。市場縮小の時代、共認充足の時代にはそぐわないものとなりつつある。
『大企業終焉の時代』より)

 
このような単に人々を洗脳するスタイルが何も生み出さなかったということは、3.11をはじめとした御用学者や官僚の無能さ、そして大企業東電の経営や事後対策等を見て皆様も感じておられるでしょう。
さらに言えば、こうした一から多数への一方的な共認形成のスタイルは、本当に社会が求める能力や活力を衰弱させただけでしか無かったのです。
大企業のような「一から多へ」という共認形成のスタイルは、実質的には権力支配体制そのものです。そのような組織の中では、トップの指示に従う従順な働き手を組織する必要があります。すなわち、「傍観者」を集め、アメとムチを駆使して共認支配することで利益を確保することが目的だということですね。
なぜ、このような体制によって組織が統合されてきたのか?それは、これまで見てきた「一から多へ」という共認形成のスタイルが時代の大衆意識に沿っていたからです。
 
◇【人を傍観者にしてしまう一方向の共認支配】
  
 まだ貧困圧力の働いていた‘70年以前の大衆の意識は、豊かさを求めて誰もが私権獲得に収束していました。その結果市場は拡大、企業利益もあがり、サラリーマンも活力を持てていた時代だったとえます。
 しかし、私権獲得が第一価値であったが為に、多くの社会問題は片っ端から捨象され、豊かさの実現と共に多くの問題を蓄積させていく事になりました。残念ながら、マスコミや学校・企業等で行われてきた一方通行の共認支配スタイルは、多くの「傍観者」を育て、結果的に社会全体を閉塞させてしまっただけであった、とも言えます。
「一から多へ」という、共認空間の中で育まれたのは、こうした「傍観者」としての意識であり、社会の期待に真っ向から応える「当事者」を育てることではなかったのです。
 
しかし現在、時代は私権から共認へと大転換を遂げています。共認充足が最大の欠乏である人類にとって、十全な「当事者意識」とは、現実(の圧力)に適応しようとすることであり、大衆の期待に正面から応えていくことです。
  
 こうした、時代の転換がある中で、これからの企業の共認形成のあり方としてはどのようなものが適しているのでしょうか 🙄
 その可能性を、もう一方の集団における共認形成のあり方『相互理解の話し合い』という形態から見てみましょう。
 
 
◆『相互理解の話し合い』 ~共認充足を求めて☆*:・°
 
◇【寺子屋】%E2%91%A4%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B.jpg
 
 江戸時代の寺子屋については、学年も学ぶこともバラバラで席なども決まっておらず、学ぶ仲間達で教え合いなども行っていたようです。(写真はリンクより)
 
 そして、その師匠は、現役の村役人や僧侶、神官、医師、町人などが、本職の仕事をする傍らで子供達を指導していたようです。別に仕事を持つ半専任で、本職の仕事に対しても尊敬の念が沸いてくるような人ばかりで、周りの大人達からも尊敬されている人達でした。
まさしく、そこでは現実を生きる人達から、現実の役に立つ知識をやりとりしながら学ぶ風景が思い浮かびます。
参考:寺子屋に学ぶ教育のあり方~
 
 
◇【寄り合い】
 
 戦前の村落の日本の寄り合いのスタイルは、どのようなものだったのでしょうか

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・「いってみると会場の中には板間に20人ほどすわっており、外の樹の下に3人とか5人かたまってうずくまったまま話し合っている。雑談をしているように見えたがそうではない。事情を聞いてみると村で取り決めを行う場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあったそうだ。
 
また、
夜も昼もなく話し合う
 
・腹が減ったら家に食べに帰るのではなく、家から誰かが弁当を持ってきたものだそうで、それを食べて話を続ける。
  
・夜になって話がきれないと、その場に寝るものもあり、起きて話して夜を明かすものもあった。・無理はせず、みんなが納得いくまで話し合った。
 
・だからきちんと守らなければならなかった。
 
・理屈をいうのではなく、自分の知ってる限り関連のある事例を取り上げていった。
 
『寄り合いという合議制は徹底的なすり合わせ』より )
 
 

 
このように皆がしっかりと話し合い、ときには寄り添って決めていった過程は、実は、ものすごく楽しかったのではないかと思います
(写真はリンクより。寄り合い風景
◇【中世以前の自治単位:結(ゆい)・講(こう)】
 

 相互扶助の組織として結や講があった。臨時の相互補助活動が結であり、恒常的にそれが組織されたものが講である。田植え、稲刈り、家の建て換え建て増し、屋根葺きなど、一時に大量の労力が必要になる時、結が組まれた。それだけではない。屋根の茅葺きだけでなく、道普請、用水の保全や掃除、宮の掃除、火災・洪水の際の出動、風呂を振る舞う結風呂、食事を振る舞う結、大火などの時に隣村から駆けつける見舞い人夫、<不幸組><無常講><同行>などと呼ばれる葬儀の実施、婚礼などの儀式も行った。
「★シリーズ『会社って誰のもの?』2-4 日本における企業集団の歴史・由来」より)

 
これらの自治集団の組織化はあくまで任意であり、自主的な結成を基本とし、相互の結束=充足を高め、集団単位での自立性、安定性を高めていったそうです☆*:・°
 
◇【ネイティブアメリカン】
 

「ネイティブ・アメリカンの一族が集まる定例のミーティングがある、というので、連れて行ってもらった。集会所のようなところで、皆が集まっていて、世間話をしている。おかしなことに、予定の時間が過ぎても一向に「ミーティング」が始まらない。変だと思ってしばらく待っていたのだが、突然誰かが、「今日はいいミーティングだった!」と言って、そのまま皆帰ってしまった。つまり、彼らにとっては「ただ集まって話すこと=ミーティング」であったのだ。」
『絆を支える素朴で強い「教え」』より)

 
このように、日本以外の民族集団でも「みんなで集まって話す場」を何よりも大切にしていたことがうかがえます。
 
以上挙げましたように、このような場が何よりも庶民の充足の場であったことが思い浮かびます
みんなで囲んで顔の見える範囲での充足を何よりも大切にしていた共認形成のスタイル
今でも、会社の仲間、学生時代の仲間と食事を囲み、会社の話、社会の話をどこまでも話し合う場面などとして残っているのではないでしょうか
 
◆充足を共有する共認形成の仕方☆*:・°
 
 今まで見てきたように、共認のスタイルとしては、『一から多数へ』と、 『相互理解の話し合い』のスタイルがありますが、今の時代、どちらの共認形成スタイルが求められているのでしょうか 🙄
そこで、現在の人々の意識を探ってみたいと思います。
  
 
◇現代の人々の意識☆*:・°
 

70年以降は自然志向、90年以降は節約志向、11年以降は自給志向という段階にまで達してきている。しかし、これは単に物的飽和からだけ出てきたわけではない。もう1つ重要なファクターがあって、それは言うまでも無く、私権から共認へという潮流である。つまり共認充足が第一価値になった。
この共認充足第一という根底的な意識潮流は、その後、特に02年私権の終焉以降、課題収束、能力収束という流れを生じさせ、今や独学志向あるいは自習志向という段階にまで進んできた。
 
実は、自然志向とか節約志向、自給志向も、共認充足第一というファクターが強く影響を及ぼしている。おそらく歴史的に、共認充足が充分に得られていた時代、要するに私権時代以前の時代は、自然と一体であった。共認充足とこの自然志向は一体化する構造にある。さらに言えば、共認充足の最遠点には、実はかつての自給自足という自給志向とも密接に繋がっていると思われる。
従って、歴史的な体験記憶と繋がっているとすれば、共認充足は認識面においては当然、自分たちで考えていく、自分たちでつくっていく、という方向に繋がっていく。
( 『8/12なんでや劇場6 農と塾における業態革命~他の業界も業態革命が起きていないのか』より)
 

 
 こんなにも人々が共認充足を求めているこの時代
仲間達を羅針盤として集まり、答えを出してその方針を皆で認め、生き抜いていくことが求められていると思います
まさしく、共認充足の得られる形態が求められているのではないでしょうか
 
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類グループ劇場会議やネットサロンの形態、そして皆の共認を羅針盤として組織統合を実現する「社内ネット」のようなスタイルは、みんなの意識や表情を羅針盤として進むべき方向性を定めていく、共認原理の組織統合様式にフィットしたスタイルであると言えるでしょう
(上の写真は類グループの劇場会議・ネットサロン風景 )
 
◆対面空間を包摂する社内ネットの可能性☆
  
そして、それは対面だけの場にとどまりません 状況や方針、そして仲間の想いを共有する社内ネットがあれば、対面を越えて全社員との共認形成もしっかりと行うことができるんです!

社内ネットには、充足も、課題も、期待圧力も、およそ活力上昇に必要な圧力源の全てがそこにある
言い換えれば、社員の活力上昇の切り札となるのが、社内ネットである。なぜなら、人々の課題収束⇒圧力期待に応える同類圧力の場としては、社内ネットが最適・最強の場だからである。
『企業革命の切り札は、社内ネット』より)

最も効果が高いのは、『社内ネット』です。実際に社内ネットを導入した経営者の方々の評価も高いと云えるでしょう。
社内の情報共有スピードが上がり、オープンな空気になった。日常会話の壁が、驚くほど無くなった。開き出せる場がある事での安心感がある。
社員達の状況が、手に取るように解るようになった。対面での発信量が少ない人材も、沢山投稿するようになった。その結果、普段から何を考えているのか?が良く解るようになった。
社員の意欲を見ながら、次に進むべき方向性をじっくり考えていける。
経営者の重要の役割(仕事)は、共認形成です。
そのためには社員の気持ちを掴む必要がありますが、実は多くの経営者の方々は、社員の気持ちが掴みきれていないという不安を抱えています。
でも、『社内ネット』を導入すれば、それが見えてきます。この効果は大きい
社員の気持ちが見えてくれば、経営者の方々が取り組むべき次の役割は、「会社をどういう方向に持っていけばいいか」という理念やコンセプトを確立して、その方向に沿った闘争共認・課題共認の形成を図ることです。
正しい状況認識に基づく的確な問題指摘と課題共認が形成できれば、『社内ネット』はさらに活性化し、それに応じて組織がさらに活性化してゆくからです。
余力を活かす場が、『社内ネット』より )
(下の写真は、社内ネットを見て盛り上がる風景 )

 
%E2%91%A8%E7%A4%BE%E5%86%85%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88.jpgこのような充足の場を作ることができた集団こそ、勝てる時代になり、またそのような集団が拡がっていくことで社会の活力があがるのだと、確信しています

 

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