2012年09月03日
活力と一体感を生み出す類グループの社内ネット紹介第13回~社内ネットははじめからうまくいったわけではない。社内ネット活性化への道~
類グループの社内ネット投稿をいろいろな角度からご紹介しています、このシリーズ投稿ですが、今回は社内ネットがこれまでどのようにしてなくてはならないものへと進化してきたのか・・・その歴史を書いてみます。
今となっては、類グループの組織統合の要となっている社内ネットですが、実ははじめからうまくいっていたわけではありません 🙁 2003年に社内ネットは整備されましたが、投稿があっても1日数投稿で、多くの社員にとって関心の低いものでした。
というのも、類グループは設立当初から『自分たちの手で、自分たちの生きる場をつくる』という旗印のもと、全員経営参加の共同体を実現するために、合議体制をしてきたため、対面での会議が重要視されていたからです。
<写真:類グループの全社会議>
しかし、組織が大きくなるにつれ、全員が参加する全社会議ならば全社の方向性は定まりますが、いたるところで開催される各部門での小さな単位での会議では全社の方針とはずれてしまうこともしばしばでした。
そこで、この状況を突破するために2005年11月に全社会議が開かれました。
その会議で社員全員で共に認め合った認識がこの投稿です。
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集団統合の新たな仕組み:対面会議を超えて、全てをネットへ
対面共認は、互いに顔の見える範囲の集団においては十全に機能していた。しかし、集団と集団がぶつかり、ひしめき合う複層社会では、集団が抱える課題の難易度(or未明度)が高くなると共に、成員間に課題意識の温度差が生じる。
それでも序列圧力が強ければ、上意下達という形で、対面共認はそれなりに機能する。しかし、顔の見えない各部門では、会議という場は他部門にとって密室空間そのものとなり、劣化共認や私的共認の温床となる。その上、課題の未明度が高くなればなるほど(or末端部門に下りれば下りるほど)誰も答えを出せなくなり、成員の会議へのもたれ合いやぶら下がりが常態化してゆく。
これらの欠陥を突破する場は、全社(劇場)会議orネット会議以外にはない。全成員が一堂(or一板)に集まれば、密室化を完全に防げるし、10人では答えを出せなくても50人なら答えを出せる(更に、50人では答えを出せなくても300人なら答えを出せる)度合いが高くなるからである。とりわけ、ネット会議は、成員の課題意識の温度差(という歴然たる事実)を包摂したまま、(問題意識の高い2~3割が率先して発信することによって)共認を形成してゆき、次第に全成員を巻き込んでゆくことが可能な力を持っている。従って、全社会議やネット会議によって、対面会議の欠陥の大半は、突破されるだろう。
しかし、社内で全員参加のネット会議が形成され、定着したとしても、それだけでは不十分である。なぜなら、現代(とりわけ、’04年以降)は、誰もが心底に収束不全を刻印され、「どうする?」という答えを求めて社会収束してゆく時代であり、社内のネット会議だけでは、社会的な広がりが感じられないからである。いつの時代でも、最強の活力(引力とも云える)を生み出すのは、可能性収束の力であるが、現代、それが社会的な役割への可能性収束力であるとすれば、広く社会に向かって発信し、社会的共認を形成してゆく場が不可欠になる。その場が、社会に開かれたインターネットであることは、云うまでもない。
従って、おそらく社内のネット会議は、「答えを出せる」もっと広い社会的な統合サイトとリンクして、はじめて十全に機能するのではないかと思う。
この「対面会議を超えて、全てをネットへ」という認識を社員みんなが共有できたことで、2003年の社内ネット整備時は1日数投稿であったのが、この認識を共有して以降1日数百投稿に記事数が一気に増えることとなりました。
ただ、この「対面会議を超えて」という認識だけではまだ不十分でした 🙁 というのも、社内ネットは活性化しつつも、仕事での重大なトラブルやミスは未だに存在したのです。
なぜトラブルがなくならないのか!?この問題を突破するための全社会議が2008年11月に開かれ、新たな認識を全社員で共有することとなります。
トラブルの根底に指揮系統あり。全てをネットへ
問題、課題が顕在化しても誰も解決しようとせず、課題捨象されていく。後になればなるほど修復困難な問題になり最終的には大きなトラブルとなる。課題を認識していないが故にトラブルになるのではなく、課題と解っていても捨象され(or間抜けの独断で劣化し)トラブルになるのが特徴的である。何故課題捨象されてしまうのか?
その答えは指揮系統にある。どの企業でも社長-部長-課長・・・など、肩書きや名前は違えど、ある課題を取り組んでいく集団には、その集団固有の指揮系統がある。この指揮系統は、本能原理である序列統合を下敷きにした私権時代の産物であるが、共認原理へと転換したことによって、指揮系統が課題隠蔽を引き起こすトラブルの根底問題として顕在化してきた。
私権時代であれば、この指揮系統は十全に機能していた。それは、問題隠蔽行為が即序列、生存を脅かすものとしての私権圧力が強力に働いていたから。その典型が反逆であり、反逆は重罪として存在していた。しかし、私権の圧力が衰弱した現代は、序列統合から共認統合に集団統合様式が変った。そこに指揮系統だけが残るとどうなるか?
問題や課題が発掘されても、私権圧力の働かない指揮系統の中では悉く隠蔽されていく構造ができあがる。上長と部下の指揮系統では、上司が問題を握りつぶし、部下は指揮系統を意識するほどに問題を発信できなくなり自ら隠蔽する。とりわけ決定的問題が発見されるほどにその問題は共認圧力にさらされず、その指揮系統の中で隠蔽されていく。現在起きている不祥事が、とりわけ旧い指揮系統を残存させている官僚機構に顕著なのもそのためである。今や指揮系統は問題隠蔽の巣窟となり、不正の温床ともなっている。
共認原理の時代の統合様式は共認統合による他はなく、社内ネットこそ共認統合の場に相応しい。それは指揮系統を超えた皆の評価共認が働くからだ。皆の評価共認によって問題が固定化され、課題や方針に繋がっていく。そんな体制を構築した集団こそ、社会の評価共認を勝ち取っていく集団になるのは間違いない。
旧い指揮系統の温床となっている対面会議を捨て、全てを社内ネットにゆだねるんだ!これが全社員で共有されたのです。この会議以降、類グループでは社内ネットこそが組織統合の要であると全社員が認識し、今となっては「社内ネットを見ないと仕事にならない」という状況にまでなっています。
類グループの設立当初から『自分たちの手で、自分たちの生きる場をつくる』という全員経営参加の共同体を実現するために試行錯誤し続けてきた可能性収束先が「社内ネット」なのです 😀
- posted by kura at : 0:10 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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