2013年03月09日
『共同体経営とは?』12-3. 実績予測システム~分化と統合が生み出す新しい生産の場~
2-12. 実績予測システムシリーズの第3弾!
2-12-1【経営への主体的な参画】
2-12-2【専門分化と職能意識からの脱却】
に引き続き、今回は【分化と統合が生み出す新しい生産の場】と題して『実績予測システム』に貫かれた組織体制の根幹構造を紐解きます。
前回の記事では、
■末端まで貫く外圧を掌握し、組織全体で役割を共認する為の様々な生産活動
1.専門房と物件チーム
についての紹介をしましたが、今回は現業以外の様々な組織活動にスポットを当てて行きます。
2.新人がリーダーとなって執り行う庶務活動(掃除、備品管理、コピー機管理etc・・・)
例えば、類グループでは入社一年目の新人がまず最初にリーダーとして携わる仕事が用意されています。
いきなりリーダー?と聞くと驚かれるかもしれませんが、まだ技術が身に付いていない新人でもすぐに取り組める課題として、庶務活動が割り振られるのです。勿論、庶務活動と言っても本業と同じ地平で、とても重要な課題として位置付けられています。
前回の記事で紹介したように、共同体における経営指標は「生産点」であり、そこには「経費」という数字が見込まれ算出されます。これは共同体であろうがなかろうが企業であればどこも同じだと思います。
特に近年の市場縮小下における企業存続の為には、新人であろうと経営成績を日々意識しながら生産活動に取り組む事は、とても重要な課題です。例えば、「無駄な経費を減らす」ことを考え、実践する事も組織運営上の重要な課題であり、新人たちは庶務活動を通じて組織経営の観点を身に付けて行くのです。
■庶務は雑用ではない
この間の議論で、どうも庶務=雑用のような捉え方がなされているように感じましたが、これは、はっきり言って間違いだと思います。
一年生に与えられている庶務は、全て組織にとって必要な課題であり、それを各担当者が担うことで組織が廻っています。そのため、担当者が役割を全うしなければ、組織が負けることになります。これは、普段の仕事と同じ地平にあります。
各担当者はリーダーであり、仕事で言うキャップにあたる存在だと思います。
具体的には・・・
僕は、一年生の時にコピー担当でした。コピー費は、設計事務所における日常経費の中で最も高いものです。つまり、コピー費削減が、そのまま生産点のアップに繋がります。だから、コピー担当の日常の仕事はそのまま生産点に繋がるため、全く持って雑用ではありません。
リーダーの方針いかんで、生産点が左右されることになります。事実、その年のコピー担当の方針や圧力の掛け方で、経費率が左右されています(本来あってはならないことですが)。
また、掃除に関しても、東京では、「みんなが活力もって仕事できる場を用意する。そのためにどうする?」ということを掃除MTの目的に掲げていました。
要は、庶務は雑用ではない!!
担当者はリーダーとして、「どうすれば?もっと良くなるか?」ということを課題化して、実践すればいいんじゃないかな?
こういう戦略を立てるのってワクワクしてこないですか?
必要なら方針を立てて定例の庶務MT(短時間)だってやったらいいと思いますよ。一年生という妙な枠に拘るのではなく、ドンドン組織を引っ張っていったらいいんじゃないかな。
(【庶務は雑用ではない、担当者はリーダー】より抜粋)
本業としての技術領域を一人前として担えるようになるまでは一定の時間がかかりますが、庶務活動を通じて組織活動を担うことで、新人であっても「経営の主体」となれることがよくわかります。
そういった意味でも「誰でも出来る仕事だけど、誰かがやらなければ組織が廻らない仕事」である庶務という課題を自分達の手で担っていくことが、人材育成や組織統合上も有効な仕組みとして機能しています。
3.組織の充足を羅針盤に生み出される様々な自主活動
上記庶務活動やグループを組んで行われている社内での資格試験勉強会などに加えて、類グループではさまざまな自主活動が行われています☆
○食事会☆
類グループでは、社長や部門長を交えた女性社員手作りの食事会を始め、歓送迎会、新体制のキックオフ会、理論勉強会のご飯会、またいろんな部門を交えたご飯会が頻繁に開催されています☆
その場では、日々の感謝や期待を伝え合い、みんなの想いで溢れたあたたかい場になります。そして、話は、部門の話だけにとどまらず、これから会社や社会をどうする?という話題にまで上ることもあります♪
また、そこで話された素敵話や今後の課題は、社員たちが自主的に社内ネットに投稿します☆だから、その場にいなかった人も共有することができます☆*:・°
○様々な女子会☆
社内の女性社員たちの「もっとよくなりそう☆」という思いが集まって、各部門で、また部門を越えてもさまざまな女子会が開かれています♪
そこでの「こうしたらいいかも♪」から生まれた企画が、組織全体の活力アップにつながっています☆女子会発で素敵さんを招いての食事会が開かれることも多々あります☆
○感謝と謝罪のトレーニング(通称:感トレ)
日々、起こる様々なこと☆*:・°それを“当たり前 ”と思って過ごすのか、“ありがたい”と思って過ごすのか、そして、“もっとよくできそう!”と、可能性を追求できるかどうか、捉え方、活かし方次第で充足度は大きく異なります☆
日々の充足を固定し、さらに深める。そしてモヤモヤは可能性へと塗りかえる☆
それから周りにいるたくさんの人に想いを馳せて、現実の捉え方・活かし方を学んでいくのが感謝と謝罪のトレーニングです☆*:・°
・オススメ投稿☆
謝罪と感謝の方法
感謝は万能薬
感トレは1人でもできますが、みんなの想いに触れされてもらうことで、もっともっと充足できそう☆いい女になれそう☆だと、可能性を感じた女子社員たちが集まり6年前に始まりました☆
今や、グループのすべての部門の女子社員の有志(産休中のメンバーも♪)が集まり、20代~40代まで☆60人近くのメンバーが参加してくれています。(それぞれを8~10人のグループにわけ6チームで運営しています☆)
こうして女性たちが主体となって、肯定・充足の空気を生み出しています☆*:・°
○認識勉強会
類グループでは40年かけて、歴史構造にまで遡り、事実認識を追求し続けてきました☆そしてさらに、まだまだこれからも広く深く追求し続けます☆
社員は週2回認識勉強会に参加し、企業・経済・環境・教育・食etc…さまざまな分野に分かれて追求を重ねます。そしてここでの追求成果を、るいネットを通じて社会に発信し、その手応えを羅針盤に新たな課題探索へと、継続的に学び続けています。
部門を超えて全社で行われる認識勉強会を通じて、広い視野と物事を構造的に捉える能力や、企業(自分達)のおかれている外圧状況を学ぶことによって、現実の仕事場面でも答えが出せる能力が身についていきます。
4.中間整理
これらの活動は、全てどこで切っても「組織全体に共認されている」ことが成立条件。だからこそ、社内ネットにも日々様々な発信が成され、「みんなの充足」を羅針盤とした主体的な活動が多数行われている事が良く解ります。社員それぞれが、単に「自分のやりたいこと」を勝手にやるのでは無く、「みんなの期待に応える」事を目的とした活動が、随所で部門横断的に行われているのです。
つまり、成員を相互に繋ぐネットワーク、生物で言うところの神経系統が末端まで行き渡っている状態だからこそ、成立しているとも言えるでしょう。そう、正に自然の摂理に習った、「分化と統合」による組織体制が構築されているのです。
■分化と統合について(生物史まで遡って得られた重要な認識)
生物史を遡っていくと、その進化の軸に「分化と統合」という普遍構造があることがわかります。
生物にとって、種の保存こそが最重要課題である。これは、生物にとって生殖負担が最も重いということを意味している。また種の保存のためには、常に変異体を作ることが必要であり、そのためには減数分裂による“組み換え”が不可欠になる。そしてこの減数分裂の過程こそが、細胞にとっての負担そのものなのだ。
~中略~
多細胞生物の進化史とは、生殖(保存)と摂食(仕事)の分化史と見ることが出来る。生殖負担を生殖細胞に特化させ、その他の仕事細胞(体細胞)の負担を軽くすることにより、体の多様な機能分化と高度化、それによる運動機能(摂食機能)の発達が実現されていった。一方で多様な機能分化が進めば進むほど、高度な統合機能が必要になる。まさにその中枢が、脳細胞であり神経細胞である。
つまり多細胞生物は、単細胞生物のような全能性を捨てて、分化⇔統合(=組織化)によって生きる道に可能性収束し、それによって初めて高度な進化を実現することが出来たのだ。
(【分化⇔統合(=組織化)が多細胞生物の進化史】より抜粋)
勿論、我々人類も多細胞生物の先端に位置する動物ですから、同じように【分化と統合】の進化を塗り重ねてきた歴史の上に成り立っています。しかし、近代以降は大きく【統合】の概念が捨象された歴史を歩んできてしまっています。
「専門分化した方が高度化する」というのは本当だろうか?
この問題を考える上では、まず集団の分化には2種類あることを押えておかなければならない。一つは、集団の統合のためのタテの『統合分化』、もう一つは、高度化・効率化のためのヨコの『専門分化』であり、この2つは分けて考えなければならない。
この視点で人類史を見てみると、集団分化はまずタテの統合分化、次にヨコの専門分化の順で起こってきたことがわかる。集団を統合する上で、統合者は不可欠であり、従って、タテの統合分化は極限時代から存在する。それが始原人類集団を統合していたシャーマンであり、シャーマンの役割を継承したのが古代の僧侶・宗教家である。次の時代の古代国家の王や官僚も、タテの統合分化上の存在である。なお、王や官僚は私権闘争により獲得された身分でもあるため、この統合分化には集団統合の必要性だけではなく「誰にも渡さない」という権力維持の動因が働いている。
高度化のためのヨコの専門分化は、ルネサンス期の職人や芸術家から本格的に始まった。これは、より質の高いものを求める宮廷需要発である。確かに、農民のつくった茶碗よりプロがつくった茶碗の方がモノが良いのは明らかで、専門分化によって部分的な高度化・効率化が実現されるのは事実である。この宮廷発の高度化・効率化需要を足がかりにして市場が形成され、それを引き継いだ近代市場社会になると、一気に専門分化が進んでゆく。
では、こうして近代以降、専門分化が進んだ結果、どうなったか?
近代科学は、本来、無限の構成要素が連関している自然という対象をわずか数個の断片要素に分解し、研究の前提条件を限定することで専門分化した。断片化された科学知識を応用した技術は目先の生産効率を上昇させたが、近代科学はその帰結として、後戻りできないほどの地球破壊を引き起こしてしまった。
また、際限ない専門分化の結果、現在の学問の停滞に見られるように、今や学問はほとんど無価値なものに成り下がり、科学はまるで進化を停止して終ったかのような惨状を呈している。
おそらく、専門分化には、分化による高度化はほぼ100年程度で飽和してしまう、という追求の限界と、これ以上分化してもむしろ効率が低下する、という細分化の限界がある。従って、専門分化により部分的な高度化・効率化が実現されるのは事実であるが、だからと云って、「トコトン専門分化を進めれば良い」と考えるのは大きな間違いであり、専門分化には大きな限界があることを知らねばならない。
とりわけ、本来「分化」と一体のものとして追求されるべき「統合」を捨象した近代の専門分化は、単なる限界を孕んでいただけではなく、致命的な欠陥を孕んでいたと見るべきだろう。
(【専門分化の高度化、効率化には大きな限界がある】より抜粋)
■まとめ~分化と統合で生まれる新しい生産の場づくり~
最後に、これらの事実認識の元で、「実績予測システム」がどのように効力を発揮しているのか?について、まとめたいと思います。
これまで見てきたように、類グループではさまざまな活動が、部門を超えてパラレルに行われています。それらの活動が成功している所以は、組織がもっとよくなるにはどうする?という実現思考をもち、運営から経営までを考えながら、自主的に行動を起こしていくという土壌があるからです。そのために各成員にもとめられる能力は、先の答えを提示していく能力、すなわち、認識力を基礎とした共認形成力です。社会の複雑化・加速化が進むにつれ、課題が目白押しとなり、誰か一人が引っ張っていくのでは無理であることを理解し、各成員がさまざまな課題を統合していく能力が求められる時代になったのだと認識している経営者ならば、この能力が必須である事は実感されていると思います。
自主管理への招待(6) 実現思考とは何か より
物的な価値は、専門分化され夫々に固有の領域が拡大される事によって高度化されてゆく。そこでの分化された一つ一つの労働力の内容は、相互に断絶した個々の技術・技能として歴史的に普遍化され定式化されてゆき、従ってその労働力の大部分は、機械に置き換えられてゆく。それに対して類的な価値は、はじめから諸個人を超えた相互の関係そのものの内に生じる価値であって、どこまでも総体的な社会的連関の中につながってゆく。従ってそこでは、労働力そのものの総体化あるいは根底化の程度が、そのまま高度化の程度を規定する。(例えば、教育の高度さは、教育者自身の全人間的価値の程度によって決まるのである。)つまり類的価値の生産においては、たとえどれだけ専門分化されても夫々に要求される能力の根は一つであり、誰もに普遍的に類(人間または社会)総体を対象化する能力が要求される。
(中略)
多様な自主判断の過程として日々の労働が営まれ、誰もに総体的な関係能力が要求される意識生産においては、その労働過程から関係性を剥奪して労働者を技術過程だけに閉じ込めようとする私有権力やその体制は、生産を促進するのではなくむしろ生産を妨げる余計な桎梏となる。
(中略)
何故なら、意識生産において最も重要な生産能力=労働能力である認識能力や組織能力を高度化してゆく最高の教師は、自らの手で生産を管理しさらに会社を管理してゆく事だからである。逆にそこでは、いつも誰かに管理され、与えられた仕事しかやろうとしない古いお抱えの労働者は、もはや生産力たり得なくなる。
(※建築設計という生産活動も、その例外ではない。打ち合せから監理に至るまで、その労働は技術活動である前に、何よりも関係活動である。テクノロジーも又、非定型な社会的諸条件の中に多数の技術を総合的に適用する事である限り、そこでの技術の習得の槓桿を成すのは、社会の習得による諸関係の構成能力と統合力なのである。まして計画の生命は人間と社会の認識であり、それは「建築思想」なる思想?でお茶を濁して済ませるような安易な事柄ではない。)
【分化と統合が生み出す新しい生産の場】
進化の原理=自然の摂理である「分化と統合」を認識し、生きとし生けるものを見ていくと、類の組織運営もまた極めて自然な組織体制を望んだ結果であり、特別変わった事をしている訳では無い、という事に気付きます。
しかし現状、多くの企業が株主の利益確保を最優先にし、実態の社会(=みんなの存在)を捨象して来てしまったのです。それが、社会問題として日々目にする大企業の大規模リストラや下請け叩き等に表れ、実際の業務が社会的混乱を直接的に引き起こしている実情へと繋がっているのです。その根本的な原因は、私権社会の台頭によって、統合過程が捨象されてきた側面が大きいでしょう。
大転換期の現在は、まさに淘汰と進化の時代。新たな生産の場へ進化し、社会を対象化できる企業となって初めて次代を切り開ける組織体となりえるのです。
自主管理への招待(5) 否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ より
工業生産の時代を支配してきた近代個人主義は、その対象性の欠如の故に、肥大化するエゴを制御し得なくなり、衰弱してゆく社会を蘇生させる力を失った。換言すれば、近代の主体は、奴隷的存在から脱却できなかったが故に、未だ存在の実現を射程内に納め得ない歴史段階にあったのだと言えよう。
しかし、人間が武力によって支配され、あるいは資本力によって支配されてきた人類二千年の歴史は、いま大きな転機を迎えようとしている。工業生産から意識生産への生産力の転換がそれである。意識生産は、人間の労働力そのものが、生産の主役と成り、社会の主人公と成る事を求める。
(中略)
要するに重要なのは、自己の現実の存在とは別の所(非存在の世界)に己を暖め続ける事ではなく、自己の獲得してきた意識と能力のすべてをこの現実の中に投入して、現実を突き抜けてゆく事であり、その導きの糸となるのは〈自己から対象へ〉の認識のベクトルの転換である。
(中略)
本当に現実に解決を迫られた人間は、現実の中に解答を求めるしかない。変革=実現を求める現実の主体は、敵対的な状況の壁に何度もはね返されながら、その否定的な対象のさらに根底に、実現を可能ならしめる地平を探り続けてゆく。こうして、自己の現実とその対象世界を見つめ続ける認識の錐が、否定の目に覆われた「社会体系」を突き破り、遂に自己を実現し得る肯定的な社会構造の地平に至る時、従来の否定に貫かれた〈閉塞の哲学〉は、はじめて否定そのものを否定し、実現対象を獲得した〈解放の哲学〉へと超克されてゆくのである。
以上、今回で「実績予測システム」に関する紹介シリーズは一旦完結編となります。
が、『共同体企業とは?』シリーズはまだまだ続きます!
次回は、類グループ全体がどのように歴史構造や社会構造、あるいは意識潮流を読み解いているのか?全社員で取り組んでいる『事実の共認』にスポットを当てて行きたいと思います。
お楽しみに~
- posted by kawa_it at : 13:30 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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