2013年03月21日
『共同体経営とは?』14 社会の当事者になる仕組み~なんで屋・ネットサロン・なんで屋劇場~
前回の記事では、類グループにおいて「事実の共認」を羅針盤とし、事実追求の場そのものを社会に開き出すことで認識力を高めてきた事例として、「るいネット」や「実現論」の効用を紹介しましたが、今回はそれらの理論を武器として展開してきた実践事例を紹介します。
1.見知らぬ人々との認識交流の場=原初の社会
るいネットを開設した‘01年当初は、まだまだインターネットが万人の集う場となる前段階でもあり、普通の人々にとっては未だ使い道の探索途上でもありました。むしろ、サイトによっては闇住人の巣窟(誹謗中傷の嵐でまともな議論が成立しない)のような様相を呈している側面も有り、「万人参加の場作り」としてはまだまだ遠い感覚があったと記憶しています。
類グループの社内では、既に様々な社会問題に対する議論や追究も仕事の一環として取り組むことが定常化していた一方で、ネットの世界では社会の当事者としてそれらの諸問題に取り組む流れは、なかなか見えてこない状況でもあったのです。しかし、次第に新しい潮流が顕在化し始め、 原初の社会としての「路上」という『場』の持つ可能性に注目が集まり始めました。
「次代を読む」(2001年初稿、2003年一部改訂)から抜粋
今、求められているのは、旧観念とは逆の、現実直視→実現思考に基づく全く新しい認識である。それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる『みんな』=普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基づく徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。
ただ、現実(=この時代)は複雑で、自分一人で考えても見極められないし、判断を誤る危険もある。何より、一人で考えても、活力が出てこない。だから、認識の必要に気付いた皆で、現実に使える認識を紡ぎ出してゆく『場』があればいい。それが、認識交流の場である。
~中略~
路上で出会う見知らぬ人たちは、完全に集団から離脱した社会空間にいる。しかも、今や誰もが答えを求めている。そこでみんなと語り合える共認形成の場を形成することが出来れば、その場は完全に集団を超えた、新しい社会の原初形態、つまり『原初の社会』そのものとなる。しかもそれは、人々が初めて身近なものとして感じられる社会である。
「なんでや露店⇒なんでや劇場⇒るいネット」
そこで、’03年、るいネットの支援者を中心にして、路上の共認形成の場が生み出された。それが、路上に「みんなのなんで?に答えます」という看板を掲げた『なんでや露店』である。既に100数店が活動中で、街のあちこちに、みんなの反応を活力源にし、みんなの共認を羅針盤にしながら、みんなで共認を形成していく場が、生まれている。
むろん、原初の社会は、見知らぬ人々との間に形成される、非定型で不確かな関係である。従って、そこで共認充足を体感した人たちは、定常的に集える場=『認識サロン』を求め始める。また、もっと多くの人と交信したいし、もっと役に立つ答えが欲しいという圧力も働き始めるだろう。そのような上昇期待に応えて、『みんな共認』を形成してゆく場が、万人に開かれたインターネット上での『認識形成サイト』である。
その認識交流の面白さ=引力の秘密は、『みんな期待』に応えて集団外に発信(応合)し、その反応(充足)を得ることへの期待にある。そうして、最初、街のあちこちで形成された『なんでや露店』でのつながりが、『認識サロン=なんでや劇場』を媒介に『認識形成サイト』に収束してゆけば、それは巨大な超集団ネットワークに成長してゆく。
2.なんで屋露店~原初の社会探索とマスコミに変わる事実の拡散
ネットでの議論を中心に当事者意識の高まった共同体の成員達の手により、「認識交流の場作り」が始まりました。当初は社内での交流会が立ち上がり、定期的に人々の集まる場が構築されました。しかし交流会そのものも一定の盛り上がりは見せたものの、一方で内輪の空気が形成され始め、社会的広がりとは言えない停滞感が徐々に見え始めたのです。そこで、新たな場作りを求めて飛び出していったのが、路上でした。
認識営業の『まつり場』こそ、『原初の社会』であるより抜粋
人類は今、数千年前に性闘争⇒私権闘争によって構築された私権社会から離脱して、新しい社会を構築しようとしている。としたら、人類も改めて出発点に戻り、原猿と同様の地平から、新しい社会を再構築してゆくしかない筈である。
だとすれば、我々が認識営業によって集団外に形成してゆこうとする場or関係こそ、新しい社会の原初形態、つまり『原初の社会』そのものなのである。
2003年の秋頃から手探りで始まった路上での場作りが徐々に形になり始め、翌年の春には「なんでや露店」としての社会活動が正式にスタートしました。ほぼ全ての社員が、交代しながら時間調整を行い、「みんなのなんで?に答えます」と看板を掲げて路上に立つ日々が始まったのです。気がつけば首都圏(東京・大阪)を中心に100店を超える露店が次々に登場し、このような社会活動を通じて組織が一段と活性化して行きました。
路上で答えを供給する活動に予想以上の反響を得て、2004年からは専任体制を取り、様々な駅前などで定期的に出店する体制が整いました。当時の世の中は、収束不全、つまり先行きの見えない世の中に不安を抱く人々が増え始めていた時でもあります。ほんの数時間、路上に立つだけで多くの人々が訪れ、様々な疑問や悩みをぶつけてくれました。
実は当時、マスコミからの取材依頼も多く頂いたのですが、あくまでも「草の根の活動」に力点を置き、一時のブームとして騒がれるようなものにはしたくなかったので、新聞・雑誌に限定し、かつ1ヶ月の密着取材等を通じて活動の主旨をしっかりとご理解頂く事を前提として、いくつかの媒体にも掲載されました。転換期ならではの新しさが注目を集める事は必然でもあり、一方で単なる注目ではなく、認識そのものに引力を持たせるにはどうすれば良いか?については、試行錯誤の日々が続きます。
(その他取材記事サンプル)
あなたの悩み、露店で解決/「なんで屋」が人気(東奥日報:2005年5月6日(金))
また、このような活動を通じて現実場面で直に意識潮流を掴み取る事により、問題構造の把握と答えの塗り重ねが新たな課題となり、それらを検討する為の場として、社内の会議もまた洗練されて行ったのです。路上という『場』は、常に意識潮流の変化が表れる場でもあり、次第に道行く人々の「答え欠乏」が高まるに連れて、路上だけで無く答えを出す為の追究過程を共に学びたい、という期待も集まるようになりました。
そこで、人々の認識欠乏に応える場として「ネットサロン」や「なんでや劇場」といった新たな『場』が生み出されることになりました。
★なんでや露店 過去の実績
初出店 2003年10月~開始、2004年3月~ 専任体制開始
出店回数:21,596回 集客数:234,520人 答えたお題の数:52,413
3.ネットサロン~答えを出す為の追求の場⇒現業にも使える認識力の体得
なんでや露店、あるいはるいネットを開設する前から社内には勉強の場が有りましたが、露店を通じて答え欠乏の顕在化した人々が次第に勉強の場そのものに一緒に参加するようになりました。そこで、るいネットを活用した認識追究の場としての「ネットサロン」が展開され、認識と人を繋ぐ場として多くの方々が毎週のように会社を訪れるようになったのです。
学生や社会人、時には学校の先生や政治家、マスコミ関係者なども含め、実に様々な人との認識交流の場が生まれました。こうして、普通の企業に追究の場を求めて多くの人が毎週のように集うようになり、同時に類グループの社員達も、多くの人々の期待に応えていく過程を通じて、共認形成力を高めていく契機となったのです。
しかし、考えてみれば私達は設計や塾のプロ集団ではあっても、社会問題に対する専門家ではなく、謂わば単なる素人に過ぎません。にも関わらず、多くの方々が類グループの生み出す答えにお金を払ってまで聞きに来てくれたのは何故でしょうか?
露店では満足度に応じたカンパ、そしてネットサロンはあくまでも自主参加の場です。それでも尚、多くの人々を引き付けることが出来たのは、その場で提示して来た「答え」が事実に立脚し、論理の整合した認識として全社員に共認されていたからなのでしょう。
100店舗以上も出店をしていたら、店主によって答えがバラバラであれば、誰も信用などしてくれません。誰に聞いても、一定納得の行く、あるいはスッキリ出来る答えが提示できる事が、一つの成立条件となっていました。それらの成立条件の一つが、「なんでや劇場」の存在です。
★ネットサロン実績(H25年3月現在)
総開催数:2,172回、延参加者数:10,542人(大阪・東京合計)
4.なんでや劇場~劇場会議の社会板。人数が多いほど、答えの確度も高まる
なんでや露店やネットサロンといった『場』を通じて、企業の枠を超えて認識仲間が増えていくに連れて、より的確な答えを常に構築して行く必要性も高まって行きました。
その期待に応える為の場として生まれたのが、「なんでや劇場」です。
これは先日の記事でも紹介した、共同体を支えてきた「劇場会議」の社会版とも言えるものです。その時々の社会問題や時事問題をテーマとして、公開型の追究会議が毎月のように開催されるようになりました。
なんでや劇場の初回は、04年1月31日(土) ※大阪・東京それぞれで開催
テーマ1: やりたいことが見つからないって、普通?
テーマ2: 豊かさの次の目標(活力源)は、何?
当初は、大阪と東京の夫々の会場で行われていた劇場も、05年9月からはテレビ会議を導入し、2拠点での同時開催へと進化します。これにより、一つのテーマについて総勢300人以上が集まって答えを追究する、という形が定着しました。
★なんで屋劇場実績(H25年3月現在)
総開催数:172回、延参加者数:3,381人(大阪・東京合計)
※過去のなんでや劇場で扱われたテーマ一覧は、こちらのサイトで確認できます。
なんでや劇場 ネットサロン 予定表
04年から始まり、172回もの開催を重ねてきた中で、時代の変化と共に認識そのものも大きく進化・塗り重ねが行われてきました。振り返ってみれば、この10年の間にも、社会は激しく揺れ動き、様々な現象が表れました。しかし、「なんでや劇場」や「ネットサロン」を通じて、常に“次代を読む”事を意識し、社会にアンテナを貼り続けてきた事もあって、類グループはむしろ活性化と組織拡大を続けてくる事が出来ました。
実際、これらの活動を通じて07年からは社員達の手によりグランドセオリーの作成・出版を開始。 ◆ GRAND THEORY
その中では、08年の経済破局も先読みしており、現在問題の途上にあるTPP等に先駆けて、農の持つ活力再生や、今後訪れるであろう更なる経済的混乱についての構造化にも取り組んできました。
5.まとめ
☆認識を学び、社会に発信してきたことでの成果と、新たな逆境
一般的な企業で行われているCSR活動などは、特定の部門が作られ、専属メンバーだけが特定の社会活動を行なっているパターンが殆ど。それ故、一般社員は自社の行なっている活動の概要すら、あまり知らない事が多いのが実情です。しかし、類グループでは全ての社会活動を事業として捉え、それ自体を全社の共認に委ねながら取り組んできました。
むしろ、全社員で社会を対象化し、自ら答えを出せるように頭を使う機会が与えられてきたからこそ、どの事業部でも高い成果を生み出す事が出来たとも言えます。
しかし、なんでや露店の活動からは、沢山の反省点も生まれました。道行く人の個々の興味関心に答えているだけでは、社会を変えていく力の基盤とは成り得なかったのです。つまり、消費者に答えを供給していくだけでは、店主側(答える側)の力は付いても、消費者の目先の答え欠乏が満たされるだけで、認識仲間を育てていくには時間が掛かり過ぎるという問題がありました。現在の社会統合課題が、一部の特権階級に握られているという実情も、このままでは一向に変わらないという事が次第に見えてきたのです。
☆これらの体験、成果を軸として共同体企業NWの構築に向けて進化
地道な活動を継続してきた中で、より大きなインパクトを与えたのはやはり「3.11東日本大震災」によって発生した、福島原発事故という史上最大・最悪の人災でした。事故直後、統合階級の口から発せられた言葉は、「想定外」という誤魔化しの発言ばかり。事実の共認とは正反対の、嘘・誤魔化し・隠蔽ばかりが目に付き、人々の意識の中に「学者・官僚・マスコミ」といった統合階級ほど、無能であることの烙印が押される事となりました。
これらの状況に応える為に、露店では即座に情報収集+分析を行い、放射能対策等の自主防衛対策をまとめて無料配布を開始。 GRAND THEORY WEEKLY
同時に、意識潮流の加速度的な変化に対応すべく、社会事業の新たな体制構築へと動き始めます。そして2011年9月に、企業=生産者を対象とした企業ネットワークの構築に向けて、社会事業部の起ち上げへと舵を切りました。社会事業部の活動については、既にブログ上でもいくつかの紹介をさせて頂いていますが、追ってその目的や目指すべき社会像などについても、ご紹介したいと思います。
☆場作りの経験から生まれた、男女役割の重要性
今回は、共同体企業における具体的な「事実共認」の為の活動として、社会事業の具体的な場作りにスポットを当てましたが、実はこれらの活動を通じて、より深い地平での組織的変化も同時に導き出されました。そう、社会を構成する再基底部の関係性と言えば、男女関係です。次回は、共同体の基礎を成す「事実認識に基づいた男女役割共認」についての組織論をフィーチャリング!
お楽しみに!
- posted by kawa_it at : 17:11 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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