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2010年08月02日

“徹底した情報のオープン化”を支える原動力 ~株式会社はてな~

こんにちは 😀
今回は、『株式会社はてな』をご紹介します
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画像はコチラよりお借りしました☆
『株式会社はてな』は、人力検索はてなはてなダイアリーなどの運営・開発を行っています
現在はネットが普及し、各社が様々なネットサービスが展開している中で、注目を集め、既成概念に囚われず様々な仕組みを生み出しながら成長を続けている、株式会社はてな
そんな『はてな』の“徹底した情報のオープン化”を支える原動力とは
続きもぜひ読んでくださいね
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以下、るいネットよりご紹介します。

株式会社はてな ~“徹底した情報のオープン化”を支える原動力~
・会議のポッドキャスティング
・ペアプログラミング
・偉くない管理職
・開発合宿
・オフィスランチ
・50%の完成度でサービス化
・ユーザー協働型のサービス開発
上記以外にも、既成概念に囚われず様々な仕組みを生み出しながら成長を続けている、株式会社はてな。その根底には『徹底した情報公開』の価値規範化、があり、それは近藤社長が抱く以下の問題・課題意識から見出されているように思う。
 1.でたらめなルールの背後にある、「権力」と「情報の隠蔽」
 2.そもそも、ルール・常識は誰のため、何のためにあるのか
 3.インターネットは、可能性を模索する壮大な社会実験の場
 
 ⇒その可能性を先導、支援していくのが、はてなの役割
旧態依然とした”会社の常識”に惑わされることなく、自ら感じ取っている可能性と素直に向き合い、即行動に移していく彼の姿が、社員にも広く浸透しているのではないかと思う。
以下、近藤淳也の新ネットコミュニティ論より、抜粋引用
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◆社会のルールは、実はでたらめである
>当事者と違う場所でルールが作られ、それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、そのルールに疑問を呈することはタブー視され、現場では理由も示されず本質から外れた管理が行われていて、疑問を持った当事者が疑問を投げかけるための窓口は用意されておらず、推理に近い努力をしないとその理由すら分からない。
こうした状況がとてもつらかったので、僕は次第に「権力」と「情報の隠蔽」に敏感になるようになりました。でたらめさを感じる時はいつも、「権力」や「情報の隠蔽」が関係していそうだと気が付いたのです。
◆子供時代に学んだ、『ルールを作る楽しさ』
>こういうことを毎日繰り返していて学ぶことは、ルールなんていうのはたくさんある中の単なる1つの可能性に過ぎないということです。それはそもそも変更されるためにあり、毎回再定義をしなければまったく面白くないということです。ルールはハックするから面白くなるのです。
力量の揃った18人の選手が揃えば正式なルールのゲームも楽しいかもしれませんが、学年もばらばら、人数もばらばらという子供の遊びでは、ルールを作り変えなければ楽しく遊ぶことはできなかったのです。
ルールを作り変える時に一番重要視するのは、「たくさんの人がなるべく楽しめる」ことです。つまり、いつもみんながちゃんと楽しめるように、といういわば全体最適の問題を考えて頭を絞ることを毎日繰り返していたのです。(当時は勿論そんな意識は無くて夢中で遊んでいただけですが)。
遊びに大人がまったく介入しなかったのも良かったのだろうと思います。誰かの親父が入ってきて、毎日「よぉし、お父さんが君たちに野球を教えてあげよう」なんて言って高圧的にやり方やルールを押し付けてきていたら、多分違う結果になっていた気がします。
>「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」とアインシュタインが言ったそうですが、これは本当にその通りだと思います。昔は常識なんてまるでなかった頃が誰にもあったわけです。
小学生同士が野球で遊ぶ時に、「生産者と消費者」とか、「上司と部下」とか、「ルールを作る人と守る人」と言った非対称な関係はありません。生産者だけが情報を知っていて消費者には知らされない、といったこともありません。誰もがルールを作る人であり、それを守る人であり、メーカーであり消費者であり、命令する人でありされる人であるという中で、楽しさの最大化を図る創造的な行為が子供の遊びだと思います。
◆インターネットは、無数の意識を繋ぎ、新たな価値を創出する場
>この10年間、いつもインターネットの進化の一端を「コミュニケーションの進化」が担い続けていた気がします。それに比べるとOSや表計算ソフト、ブラウザなどの機能は驚くほど変化していないのではないでしょうか。
これは何故なんでしょう。きっとそれは人類がこれまで一度も試したことが無かった「人間の意識と意識が距離や時間を越えて繋がった時に何ができるのか」という可能性についての、壮大な社会実験が行われているからだと思います。
紙と鉛筆で計算していたものが少し速くなったりする進化は既にこれまでも十分に工夫されてきました。ところが、1000km離れた複数の相手と無料でどれだけでも意思疎通ができたらどんな事ができるか、という可能性についてはこれまでほとんど試されていなかったはずです。インターネットによってこうした可能性が一気に拓かれ、意識と意識、知恵と知恵を結んだ人間同士が新たな価値の創出を模索している、そういう風に感じています。
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