2007年01月24日
2007年問題の本質とは?
2007年問題とは、2007年における団塊世代の一斉退職に伴い、発生が予想される問題の総称で、主に企業における技術の継承を如何とするかが問題視されているように思います。
しかし、問題の本質はここにはない!?と思うようになりました。
そう思うようになった投稿をるいネットから紹介したいと思います。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=142303
142303 2007年問題の本質とは、何か?
小圷敏文 ( 壮年 大阪市 建築士 )
団塊の世代のリタイアを2007年に控えて、様々なことが取り沙汰される。年金問題の負荷増大や、技術の伝承障害問題等など・・・。しかし、それらは本質的な問題には肉薄できていないのではないか? と思える。
従来の日本的な会社経営においては、まがいなりにも、本源集団的な色彩をなしていた。終身雇用・社宅住まい・家族参加の運動会・社員旅行・・・など、生産も生活も丸抱えの状況を呈した企業においては、親和・解脱・課題・役割・評価共認の場が至る所に現出するので、共認充足場面も多かったといえる。
集団が悉く解体され、家族も核家族化し、果ては個人に至るまで分解された今、定年を迎えて熟年離婚にでも至れば、企業戦士としての共認の場も放逐された男にとっては、根こそぎに共認充足の可能性を断たれたに等しい。
それは、活力源の枯渇を意味し、ゾンビ状況になること必定である。生きる屍と化した熟年男性の末路は明らかで、一気に痴呆化し手に余る存在とならざるを得ないだろう。これこそが、2007年問題の根本的・本質的な問題なのではなかろうか?
共同体の再生とは、それらの問題に対する根本的な解答に位置するのだ、ということを改めて認識できる。
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そうなのです。共認充足の場をことごとく追い出され、活力衰弱した熟年男性をどうするか、共認充足の場をどう再生させるかが本質です。定年制の欠陥が露わになるということでもあります。このまま放置すると社会になんの関わりも当然役割もなく、医療費を増大させ税金を喰らう生きる屍となりかねません。自殺率も50代がダントツで高く、その中でも注目すべきは男性の場合、失業者数と自殺者数のグラフがリンクすることです。(社会実情データ図録より)
これは投稿の
>集団が悉く解体され、家族も核家族化し、果ては個人に至るまで分解された今、定年を迎えて熟年離婚にでも至れば、企業戦士としての共認の場も放逐された男にとっては、根こそぎに共認充足の可能性を断たれたに等しい。
を読むと符号があいます。
さらに
>働く意欲はあっても受け入れ先が無い実態が見えてきました。(2007年問題、その後は? ミヤ・ショウさん)
についても、雇用の継続の実質的な選択権は企業が握っており、市場が縮小している現実の前では雇用されるのは一握りしかいないことが分かります。文科省が、退職者のために「サポーター資格」を創設することが決まったとのことですが、この背景には団塊世代の再雇用が進まないために、肩書きだけでもつけて促進させようという意図があります。
実質、大部分の人が必要とされていないことが分かります。
2007年問題でクローズアップされている企業の技術継承問題は、社会全体の活力問題に比べるとあまりにも小さな問題なのです。
この事実を踏まえて、このようになってしまった歴史的な社会状況をおさえていきたいと思います。
- posted by saito at : 21:25 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
う~ん。。株やってるってそんなに評価されるんですかね~?うさんくさい感じしかしないんだけど。。。
個人投資家っていつごろから増えてるんでしょう?それにどれくらい増えたの?
どれくらい資金をつぎこんでるの?
このへんが疑問です。。
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