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2007年03月04日

高度経済成長期~女性の労働の実態⑥~

 1950年代の朝鮮戦争特需 により、神武景気が起こる1955年ごろには敗戦後の日本経済は戦前の水準に復興し、更なる成長へと歩を進めます。
「もはや戦後ではない」という言葉が経済企画庁の「経済白書」で用いられて流行語となった1956年、女性の就業者に占める農業従事者の割合は過半数を割りました。
この頃を機に産業構造は第一次産業の衰退と第三次産業の興隆という形で大きく変化し、人口も地方から都市部へ集中。戦後まで過半の人々が属していた村落共同体は崩壊し、地域社会の基盤を持たない人々の郊外型の生活が広がっていきます。
■サービス業従事者の増大
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厚生白書(平成10年版より)
■人口の社会増減(都道府県ごと)
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厚生白書(平成8年版より)
1960年、池田内閣が「所得倍増計画」を打ち出します。終身雇用、年功序列、企業内組合といった日本型の就労がこの時期に普及したとわれ、男性労働者は故郷の地域・親族共同体に替えて、心理的拠り所を企業共同体に求めました。
産業構造の変化、経済成長の波に後押しされた労働力確保の為、それまでの非雇用者は急速に雇用者に転じ、雇用者は1955年~1965年の間に19.4%、1098万人増加。多くの男性がサラリーマン化したのです。
< span style="background:#FFE3E3">では、徐々に農村をでて労働に携わるようになってきた女性達は、この間どう変化したのでしょうか?
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農村から働きに出た年頃の女性達は、適齢期になると徐々に豊かになる都市生活の魅力もあいまって、故郷には帰らず、労働者の伴侶として主婦化していきます。
■1970年代までサラリーマンの増加とともに増えた専業主婦
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厚生白書(平成10年版より)
仕事の面では、この間1950年に当時の電気通信省が専業主婦の電話換手経験者を対象に募集をかけ、初めて パートタイム制という働き方 が生まれました。
その後、1954年に大丸 パートタイムの女性店員を募集 「パートタイム」という言葉も定着。初期はまだ大半の主婦が内職 で家計 を補助していましたが、内職より割がいい事から徐々に人気を博しました。
1950年代後半に、三種の神器といわれたような家電製品が家庭に浸透した頃から、パートタイムは働き方としても定着しました。
一方、企業では男性社員の補助的な役割として結婚まで低賃金で働くスタイルが定着。企業からするとコストの低い女性の特殊な就労形態が前述の年功序列、終身雇用といった日本的な企業 のあり方を支えたという見方もあるようです。
高度経済成長期には、地域共同体から 切り離された家庭 が次々と生まれ、子育て 始め女性が家庭をケアし、生産活動においては補助的な役割に留まることが定着していきました。
しかし、目まぐるしい 🙄 成長 と共に豊かになる生活 の中で、男女平等といった視点の労働問題としてはそれ程大きく持ち上がることは無く、労働力確保の視点で、女性もどう生かせるか、のウェイト が大きかったようです。
既存の村落共同体の柵を脱して豊かさと自由を謳歌 するさまは、下のデータ にも現れています。
■見合い結婚・恋愛結婚の割合の年次推移
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厚生白書(平成8年版より)
一方でその結果、
■老後を子供にたよるか
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厚生白書(平成10年版より)
 しかし、こうして恋愛を楽しみ、近所付き合いや親戚付き合いの煩わしさからの解き放たれたことは、同時にこうした人々からの子育て支援の喪失も意味しました。
高度経済成長を超え、豊かさを実現 すると共にこうした層は増加。 郊外の団地群の一室で一日中一人での育児は孤独感 と負担や不安 を産み、やがて子育てを終えると、定年後に役割喪失と共に活力を失う 猛烈サラリーマンの夫達に先じて役割の喪失感 を抱えました。

 

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