2007年03月28日
労働派遣法成立過程にみるアメリカの影響
かなめんたさんの記事(リンク)を読み、労働者派遣法について興味が沸きました。
その成立過程を探ってみることにします。
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1) 職業紹介法 の成立(1921年)
第一次世界大戦終了後ILO(国際労働機関)が、ベルサイユ条約によって国連と共に発足。
1919年の第1回会議で失業に関する条約(第2号)と同勧告(第1号)が採択される。
第2号条約は加盟国に公の無料の職業紹介所の制度を設けるべきことを求め、第1号勧告は有料・営利の職業紹介所の設立禁止を勧告している。これを受け、日本では1921年に職業紹介法が成立。
職業紹介事業は国の事務と位置づけられ、市町村が職業紹介所を設置。しかし、当時の社会状況の中、営利目的の職業紹介所の全面禁止を行うことは困難だったため、1925年、内務省令により営利職業紹介事業取締規則が制定され、営利職業紹介事業の地方長官許可制がとなる。この職業紹介法により、従来の紹介業者は激減する。
2) 職業紹介法の改正 (1938年)
職業紹介所が国営化され、労務供給事業についても地方長官の許可制となる。
労務供給事業とは、労務者を工場、事業場に供給する事業。古くから人入れ稼業、人夫請負業と言われ、ピンハネ等多くの弊害があった。主たる職種は人夫、仲仕、職夫、土工、大工左官、雑役、派出婦、看護婦、付添婦、運転手、店員、料理人等。
3) 職業安定法の制定(1947年)→労働者供給事業の全面禁止
有料職業紹介事業を原則禁止とする考え方を徹底し、職種をごく限られたものに限定。
労働者供給事業についても極めて厳格な禁止規定が導入される。(労働者供給事業のほぼ全面的な禁止)。
この背景にあったのは、GHQの労働ボス排除政策。日本の民主化を掲げたGHQの占領政策では、労働の民主化が重点課題の一つであり、中間搾取や強制労働の恐れのある制度、とりわけ封建的な身分関係を前提とする労働者供給事業が、労働の民主化を阻むものとして目の敵にされた。
4) 有料職業紹介事業の緩和(1947年~1952年)
ILO条約の精神に基づき規制・禁止していた有料職業紹介事業について、占領下から少しずつ対象職種の拡大という形での緩和が進んでいく。1947年~1952年にかけ、美術家、音楽家、演芸家、科学者、医師、歯科医師、獣医師、薬剤師、弁護士、弁理士、計理士、助産婦、看護婦、理容師、美術モデル、ウェイターなどが対象として追加される。これは本来的な有料職業紹介事業を認めるためというよりも、労働者供給事業の全面禁止によってそれまでの事業運営が不可能になった職業団体に対する救済策という面が強い。
5) 業務処理請負業の登場 (1966年)
その後、規制緩和が更に進められる。
要因になったのは、『人材派遣業』といわれる業態の成長。日本では1966年、マンパワー・ジャパン社が業務処理の請負を行う企業として設立される。これに対し労働省は有料職業紹介事業及び労働者供給事業にあたるとし、同社を告発することについて法務省、警察庁等と協議を行うが、職業紹介事業とは解しがたいこと、実態把握が十分でない等の指摘により告発せず。この間、同様の事業を行う企業が続々と参入し、事業分野として急速に成長していく。
6) 労働者派遣事業制度の構想(1978年~1984年)
1978年 労働省が労働力需給システム研究会の設置。
1980年 具体的に労働者派遣事業制度の創設を提言。(「今後の労働力需給システムのあり方についての提言」)。
1980年 労働者派遣事業問題調査会の設置。
1984年 労働派遣事業問題調査会によりポジティブリスト方式(労働者派遣事業の対象分野は専門的な知識、技術、経験を必要とする分野、他の従業員とは異なる労務管理、雇用管理を必要とする分野に限定) が打ち出される。
1984年 労働省中央職業安定審議会による「労働者派遣事業問題についての立法化の構想」により、労働派遣事業制度の枠組みがほぼ構築される。
7) 労働者派遣法の成立(1985年)
上記構想を経て労働者派遣法が成立。
最大の特徴はポティブリスト方式 の採用。日本でこの方式が採られた理由は、日本の雇用慣行との調和という観点からである。これは、日本企業特有のいわゆる終身雇用慣行を積極的に評価する立場から、労働者派遣事業を無制限に認めると企業が自ら雇用する労働者の能力開発・向上を行うことなく派遣労働者を受け入れることのみによって事業活動を遂行し、日本の雇用慣行に悪影響を与える恐れがある とされたためである。具体的に労働派遣事業として認められた業務は、
①その業務を迅速かつ的確に遂行するために専門的な知識、技術又は経験を必要とする業務
②その業務に従事する労働者について、就業形態、雇用形態等の特殊性により、特別の雇用管理を行う必要があると認められる業務
以上が、現在の労働派遣法の成立過程です。
その成立過程を追ってみて気になるのは、やはりアメリカの欺瞞性です。
戦後間もなくは民主化という近代思想で強固に規制していたのが、1966年の人材派遣会社「マンパワージャパン」社の進出の際には、手のひらを返したように労働者派遣業が正当化されています。
どうやらアメリカの言いなりになっているのは、今も昔も変わらないようです。
意外なのは、1985年の労働派遣法成立当初はポジティブリスト方式により終身雇用という日本企業独特の雇用慣例が配慮されている点です。
その後、2000年、2004年には労働者派遣法が改正され、対象業務や期間の制限は大幅に撤廃されており、そして現在、更なる規制緩和の改正論議が行われています。
かなめんたさんの記事(リンク)にあるように、どうやらこの改正も全てアメリカの要望によるものです。
次なるアメリカの狙いは、この日本独特の雇用慣例の完全解体にあるのかもしれません。
政策の裏にアメリカの陰謀あり
労働派遣法の成立に際しても、この定説が成り立つようです。
by ともぴろ
- posted by isgitmhr at : 1:40 | コメント (0件) | トラックバック (0)
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