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2007年12月30日

就職に二の足を踏むなんて、もったいない

この1~2年の新卒採用は”売り手市場”。
学生が色々と企業を選べる立場にあるなんて、”氷河期”と呼ばれた時代に就職活動をしていた僕からすれば羨ましい限りなのだけれど、卒業して即社会人の道を選ぶ学生は意外に少ないと聞く。
4年制の大学を卒業したあとは大学院へ。その後資格試験を目指す人や、専門学校に入り直す人も増えているとか。自分の将来はじっくり選びたい、と考える一方で、就職に漠然とした不安を感じ、二の足を踏む学生が増えているようだ。
得意先の人事担当A氏からも、同じような話を聞いた。
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こないだ行なった面接に参加した人たちの平均年齢は、28歳だったらしい。みんな就職の経験はなく、大学を卒業したあとも大学院に進んだり、専門学校に入り直した人が大半だったらしい。
面接を担当したA氏は、「勉強熱心なのは結構。でも、もったいないなぁ」と感じたそうだ。
日用雑貨系の店舗展開を進めているその会社では、28歳は社内でもう中堅。社内外で様々なプレッシャーや期待を受ける立場にある。だからこそ、知識の習得も早い。
「本当に勉強したいなら、早く社会人への道を選んで欲しい」というのが、A氏の想いだった。
就職に二の足を踏む彼らの気持ちも、分からないではない。「就職してしまったら、そこで可能性(≒やりたいこと?)が狭まってしまうのでは」と思ってしまっているのかもしれない。
でも、もしそう思っているのなら…この投稿をオススメしたい。
『本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ』

>人々は、人生の節目ごとに(まるで一大事業であるかの如くに)「学校に入り」「企業に入り」「家庭に入る」のだと認識させられてきた。だが、我々は集団の体を成していない様な「カタワの集団」に、本当に入ったのだろうか?
それは、形だけ、上辺だけのことではないだろうか。本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出ていったのではないだろうか。
>「集団」に入ったのではなく、本当は社会に出たのだと考えれば、全く別の世界が見えてくる。本当は社会に出た(=社会の当事者になりたい)のだとすれば、「集団」を超えた人(ヒト)収束⇒認識収束の潮流が、私権の衰弱と同時に生起したのは当然のことだったということになる。

就職したら可能性が狭まるなんて、トンデモナイ。より広い可能性が感じられる、絶好の舞台だ
byひろ

 

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