2008年02月02日
どうなる日本?⑤ ~外国人の日本論~
みっちーさんが、日本人を分析した代表例として、「ライシャワー」について調べています。
どうなる日本?②~日本人は権威に盲従する無表情なロボット~
ここで、「外国人による日本論」を調べる時に以下の点が重要だと思います。
①彼らが何故、日本を分析しようとしたのか?(=目的)
②当時の時代背景はどうだったのか?(=彼らが置かれた外圧状況)
③彼らはどのような方法で日本を分析したのか?(=手法)
当然、彼らの分析にも歴史があり、その内容も塗り重ね構造になっている筈です。
そこで今回は、これまでの外国人による日本論の歴史を振り返ってみましょう。
これらの著書は、外国人のみならず翻訳され日本人の読者も多いと思います。
つまり、これらの書籍自体が共認支配の道具として使われている可能性が高い
という視点が欠かせません。
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●話題を集めた外国人による日本論の例
【~1960 年代】
ハーバート・ノーマン「日本における近代国家の成立」(1940、邦訳1947)
ジョセフ・グルー「滞日十年」(1944、邦訳1948)
ルース・ベネディクト「菊と刀」(1946、邦訳1948)
ドナルド・キーン「日本人の西洋発見」(1952、邦訳1968)
ロナルド・ドーア「都市の日本人」(1958、邦訳1962)
マリウス・ジャンセン「坂本龍馬と明治維新」(1961、邦訳1973)
【1970 年代】
ジェラルド・カーティス「代議士の誕生」(1971)
ズビグネフ・ブレジンスキー「ひよわな花・日本 日本大国論批判」(1972)
ドナルド・キーン「日本文学史 近世編/近代現代編」(1976~1992)
エドウィン・ライシャワー「日本人」(1977、邦訳1979)
ポール・ボネ「新東方見聞録」(1977)
ジョン・キャンベル「予算ぶんどり 日本型予算政治の研究」(1977、邦訳1984)
ロナルド・ドーア「学歴社会 新しい文明病」(1978)
エズラ・ヴォ-ゲル「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」(1979)
ジョン・ダワー「吉田茂とその時代」(1979、邦訳1981)
レオカディオ・デ・アシス「南方特別留学生 トウキョウ日記」(1979、邦訳1982)
【1980 年代】
チャーマーズ・ジョンソン「通産省と日本の奇跡」(1982)
李御寧「『縮み』志向の日本人」(1982)
エドウィン・ライシャワー「ライシャワーの日本史」(1986)
ポール・ケネディ「大国の興亡」(1987、邦訳1988)
ケント・カルダー「自民党長期政権の研究」(1988)
クライド・プレストウィッツ「日米逆転」(1988)
ジェームズ・ファローズ「日本封じ込め」(1989)
カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎」(1989、邦訳1990)
ビル・エモット「日はまた沈む」(1989、邦訳1990)
【1990 年代】
厳安生「日本留学精神史」(1991)
エドワード・サイデンステッカー「東京 下町山の手1867-1923」(1992)
フランク・ギブニー「太平洋の世紀」(1993)
アンドルー・ゴードン編「歴史としての戦後日本」(1993、邦訳2001)
ローラ・タイソン「誰が誰を叩いているのか」(1993)
ポール・クルーグマン「経済政策を売り歩く人々」(1994、邦訳1995)
ケント・カルダー「アジア危機の構図」(1996)
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」(1999、邦訳2001)
【2000 年~】
ドナルド・キーン「明治天皇」(2001)
スーザン・ネイピア「日本のアニメ」(2001、邦訳2002)
アレックス・カー「犬と鬼」(2002)
ベン=アミー・シロニー「母なる天皇」(2003)
★引用元
『海外日本研究についての基礎データ』
国際交流基金HP より
●補足 : 国際交流基金のデータを用いた理由
・国際交流基金(こくさいこうりゅうききん)または ジャパンファウンデーション(英語名:Japan Foundation)は、日本の外務省が所管する独立行政法人の一つです。
・私が注目したのは 1991年4月に、この国際交流基金の機関に中に「国際交流基金(ジャパンファウンデーション) 日米センター」という組織ができました。
・この日米センターの顧問に、あのディヴィッド・ロックフェラーの名前があるからです。
⇒国際交流基金(ジャパンファウンデーション) 日米センター:顧問・参与
仮説ですが、外国人による日本論は、陰謀論も含めて他にも沢山あると思われます。
しかしその中でも、上記のデータはディヴィッド・ロックフェラーによる日本支配にとって都合の良い書籍なのではないか?ならば、彼(彼ら)の企図が理解できるのではないか?と思った訳です。
●戦前・戦中の日本人論
上記のリストは、第二次世界大戦中から記載されています。
つまり、この時代から、
日本を支配・統治する上で役に立つ研究の必要度が高まってきたと思われます。
この視点に立って、
初期の日本研究の代表である、ハーバード・ノーマンやルース・ベネディクトの日本論
から分析してみたいと思います。
・・・・・・次回以降に続く・・・・・
はっしー でした
- posted by hassy at : 17:26 | コメント (2件) | トラックバック (0)
コメント
こんにちは~
最近ブログ見させてもらってます。
私、徒弟制度ってしんどいけどらくやろな~と思うんです。
>一生懸命ひたすら師匠の真似をします。常に①と②の疑問を考えながら。<
「人の真似ができる」ってとても幸せな状態ではないですか?『真似』ってどうも世間的にはあんまりプラスのイメージないみたいなんですけどね。
お百姓さんさん、こんちは。
>「人の真似ができる」ってとても幸せな状態ではないですか?『真似』ってどうも世間的にはあんまりプラスのイメージないみたいなんですけどね。
個性教育の影響ですかね。確かに、「この人の真似したい!」っていう(同化)対象がいたとしたら、それは幸せかもしれません。
でも、真似って実は難しいところもあるのかも。
ちなみに、噺家の立川談志はこう言ったそうです。
「真似と芝居は違う。まずは徹底的にオレの真似をして型を肉体化しろ。型とはリズムとメロディーだ。これができないうちにオリジナリティを出そうなどと思うな。
そういう芝居は型なしで目もあてられん。だが、型を肉体化した上ならば型破りになれる」(立川談春著「赤めだか」より)
何も考えず真似しても、下手な芝居。徹底的に同化して、対象化しないとダメなのかもしれません。
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