2009年01月24日
会社を壊す、2つの法律
どーも、お久しぶりの、ひろです。
”ワーキングプア”や”派遣切り”などを始め、最近特に、日本の労働環境における様々な問題点が浮き彫りにされてきています。
しかし一方で、今世間で言われていることに対して、私は強い違和感を持っています。全くもって論点がズレているのでは?と感じてしまいます。例えば「派遣」という制度の仕組みそのものを批判したり、労働者の自己責任を追及する報道が数多く見られますが、本当に議論すべきことは他にあるんじゃないの?と思ってしまうのです。
これからの厳しい経済状況を乗り越えていくために、企業にはこれまで以上に、集団としての意思統一を図っていくにはどうしたらいいか?が求められているはずです。また、働く私たち自身の(潜在)意識レベルでは、活力を持って仕事をし続けていくには、もっと仕事におもしろさを見出すためにはどうしていったらよいか、を求めているのではないかと思います。
「企業とは?」「仕事とは?」の本質に迫る議論が、もっとなされて然るべきではないでしょうか。
にも関わらず、新聞やニュース報道で扱われていることといえば、「経営者VS労働者」の対立構造を煽るような内容のものばかりです。お互いが立場を譲らず一方的な主張を繰り返しているだけで、議論が全く収束に向かっていません。
何でそうなってしまうのか?
調べていくうちに、それは現代社会の企業・労働環境を規定している2つの法律に起因しているのではないか?と思うようになりました。
ひとつは、会社法。もうひとつは、労働法です。
この2法は、成立背景からして明らかに矛盾した関係にあります。
『論文集 中国の会社法と労働法』から、一部抜粋してご紹介します。
>資本主義社会では大多数の人間が会社という組織に所属し生きている。ところがその会社の所有者は株主=資本家であり、その無責任な専横者としての立場は会社法の中で有限責任を保障されている。さらに会社内で人間は、資本家と労働者という階級に分化し敵対しており、強者である資本家の横暴を防止し、弱者である労働者を守るという名目で労働法が制定されている。
>歴史的に見れば、会社法は資本主義の勃興とともに、株主という資本家の利益を守るために成立してきた。株式会社は16Cに生まれたイギリスの東インド会社に起源を持つ。それはロンドンの商人グループが、今日の宇宙探査に匹敵するほどのリスクの高い東方との交易を目指し、そのための船団を送り出す事業に共同で投資することを目的とした組織であった。彼らは失敗を覚悟しており、そのリスクから逃れるために有限責任を明確にした。つまり株式会社はもともと無責任な人間の集団を守る仕組みとして始まったのである。その基本的な性格は今日に至るまでも変わっておらず、その思想をもとにして資本主義社会が発展してきた。
>一方、労働法は産業革命以降、資本家の横暴に対して、労働者の利益を守るために成立してきた。労働法はイギリスにおける工場法の成立にその起源を持つ。工場法は19C初頭のイギリスにおいて、児童および婦人労働者の保護を対象にして成立した。その背景としては、18C末の紡績工場を襲った原因不明の熱病の流行が、極端な長時間労働と栄養不良および劣悪な労働環境によるものであるとし、この労働関係の克服をめざして現れたものであり、経営とは関係なく労働者の利益を守るためにのみ成立したのである。その後、この労働法思想の延長線上に、資本家を打倒し労働者の権力を樹立しようとする共産主義思想が開花し、その思想のもとに20Cに入って多くの社会主義国家が成立した。しかしながらそれらの国家はほとんど破綻し、共産主義も過去の思想となった。
>現代の株式会社において、もっとも大きな問題は、資本家も労働者も法律において無責任を擁護されており、その結果、会社および社会が無責任な集団と化してしまっていることである。資本主義社会では、会社の主人公は株主であり、彼らは会社の経営にはまったく無責任であるにもかかわらず、その立場は法律で守られている。一方、資本主義社会には、会社の主人公は労働者であるとする思想も存在しており、労働者はいったん会社に雇われたら、労働法で保護され、よほどのことがない限り解雇されることがない。だから会社の経営には無責任であっても身は安泰であるし、会社が倒産しそうになっても、労働者には全財産をつぎ込んで会社を支える義務はなく、さっさとその会社を見限って次の職場へ移る権利を持っている。労働者は会社の経営に関して、悪事を働かない限り法律上の責任を問われることはない。このように株式会社というものは、無責任な資本家=株主と、これまた無責任な労働者の集団で構成されているということができる。それが社会の基礎を構成しているのだから、現代社会や国家、そして世界はきわめて不安定なものである。
会社法=資本家を守る法律
労働法=労働者を守る法律
それぞれが異なる成立過程を経て、しかし企業という集団の中で同居しているのです。非常に奇妙な光景であると思いませんか?これで、意思統一を図れるわけがない。
本来、企業とはどのような存在なのか?
私たちに期待されている仕事とは何か?
活力を持って仕事が続けられる、集団のカタチとはどんなものか?
以上のようなテーマについて、私たち自身が当事者(≒経営者)意識を持って、考えていくこと。まずはそこからがスタートなのだろうと思います。そして、より磨かれた認識を軸に据え、集団としての統合度を高めていく過程で、企業は本来の力を取り戻していくのではないでしょうか。
こういう話ができる場をもっと作っていきたいし、求められていると思います。
byひろ
- posted by taka at : 18:08 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
Sさんとても格好良いです!
私も議長の秘訣を聞いたことがあって、
「今日はどこまで扱うか最終落着点=追求するポイントを定めておく」
そして、
「あれもこれもやろうと思わず、周りの意見を引き出すことに専念したら良い」
これって、まさにSさんがされていた①と②の部分かなと思って凄いって思っちゃいました(^^)
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