2009年08月04日
無能の自覚~仕事で成果をあげるには?その6
こんにちは 、よしたつです 😀 !
仕事で成果をあげるには? も第6弾工業生産から、意識生産への転換
第2弾 求められる認識力って?
第3弾 認識力を身につけるにはどうする?
第4弾 グランドセオリーvol.5まとめ
第5弾 社会的な能力衰退が起こっている!?
これまでは、企業の置かれている状況を刻々と分析し必要となる認識について扱ってきましたが、今回はそれをより深く掘り下げて、成長を遮断する要因について、見ていくことにします。今回のテーマは、題して『無能の自覚』です。とてもためになるテーマなので、是非最後まで読んでみてください!
では、早速本題に入っていきます。その前にポチッと応援お願いします 😀 !
1.なんで、無能の自覚が必要なのか?
生物進化において無能とは、まさに外圧に適応できない状態を指す。つまり、絶滅を意味する。ここから『無能の自覚』とは外圧に適応する上で、絶対に必要となるものということが見えてくる。
しかし、貧困が消滅して以降、圧力構造が私権の強制圧力→共認圧力へと転換し、『無能の自覚』ができない集団、即ち、外圧(期待や欠乏)をキャッチできない集団が増えてきた。これは、言わば闘えない組織が増えてきたことを意味し、会社が倒産することに直結する流れである、まさに危機的状況。
こうなった背景には、共認時代の外圧が目まぐるしく変わりやすく、外圧の変化に対応できず、その結果、どこの組織も収束不全状態から抜けきれないことから起因している。そこでは、『無能の自覚』ができる、あるいは、できないが、企業の存続の命運の鍵を握り、その出来不出来がそのまま共認闘争の社会の中では致命傷となる。
事実、現在、大企業でさえつぶれる時代となったことは周知の事実であり、吸収合併(M&A)、事業撤退、子会社化、OEMなど、まさにその結果の表れと見ていいだろう。
つまり、今や誰もが『無能の自覚』無しには、闘えない、成長・発展できない時代となったのである
では、一方で私権時代はどうだったのだろうか?
私権時代、外圧の中身は、貧困の圧力→私権の強制圧力が働く影響で、外圧は私権一辺倒であった。言い換えれば、外圧自体は一定で、変化が少ないものだったのだ。おまけに、私権と貧困による肉体的な欲求(生存圧力)も相まって、私権獲得ができる、あるいは、できないが無能の判断軸になっており、わざわざ無能であることを自覚せずとも明確に判断を下せ、誰もが無意識の内にそれを認識できていたのである。
以上より、私権時代と共認時代では、無能の認識レベルおいて大きく異なっていたことがわかってくる。
2.無能の自覚から闘える集団になるために
ここで共認の時代において闘える集団になるために、無能である事を認識することが重要ということがわかった。では、無能の自覚を認識するにはどうしたら良いのか?
☆旧観念を全的に否定すること
これに他ならない!というのも、旧観念が無能の自覚を遮断する。そもそも旧観念は自己正当化に立脚した観念であるから、自閉しやすい。だから、思考停止、自分観念(拘り意識)、自己保身(言い訳)、個人主義、他者否定、エリート意識など、アンテナの受信を阻害する要因を産む結果となる。つまり、旧観念に強く捉われている人ほど、自分に都合の良い情報しか受け取れなくなってしまうのである。
だからこそ、旧観念を全的に否定することが重要なのだ!
☆外向意識が、無能の自覚の扉を開ける
共認時代に転換し、今や誰もが無能な時代へとなった。かつてであれば、無能とは「役立たず」、「ダメな奴」というマイナスのイメージが先行したが、それは私権獲得という狭い枠でのことでしかなかった。しかし、共認時代の無能とは、誰にでも当てはまり、無能を克服する為には、新しい外圧をキャッチし常に認識を塗り重ねることなしには無い。つまり、この時代の最低の無能とは無関心な奴のことに他ならないと言える。言い換えれば、共認時代において自閉する事は犯罪行為に等しいのである。
そして、ここで言う無能の自覚を導くものは、自閉回路から脱却し、外側へと意識を向けることにある。この外側へと意識を向けるには、1人では何もできないという当たり前の自覚が必要不可欠である。周りの状況をどれだけ感じ取れているか、みんなのことをどれだけ考えられているかにあるのだ。これにより、周りを見て、自分に足りないもの、これから必要となるものを自覚でき、無能の自覚が成立するのである。
- posted by YOSI at : 10:00 | コメント (3件) | トラックバック (0)
コメント
もう、物はいっぱい持ってる!
けどなんか欲しくなるのは、「類的価値」がつけられていたからなんですね☆
それもその中身が”みんなとつながれる”ということになるほど~~☆★と思いました♪♪
なんとなく感じていることも、こうやって3段階に分かれているとすごいわかりやすい!
次どうしたらいいのかも見えやすいですね☆
前回のシリーズでnandeyanenさんもコメントされていますが、いまの若い人は、市場といっても、人並みに生活できる程度の稼ぎがあればいいという次元のようです。
かつての騙してでも儲けようという価値観ではないので、市場に乗るということも、現実の生活に密着するという意味で捉えるべきなのかもしれませんね。
>①単純にモノの供給
>②類的価値を付加したモノ
>③類的価値そのもの≒認識
供給のほうがそうである通り、市場拡大の原動力たる需要(≒欠乏)のほうもこの3段階ではないでしょうか?
①~②で物的飽和=供給過剰状況になっているにもかかわらず、相変わらず無駄とも思える政策や資本投入によって、【無理矢理拡大】を図ろうとしているのが旧統合階級。
それに対して『新たな需要』発掘の試みも始まっています。
そこでは、>今や社会は”モノ”ではなく、これからを導いていく”認識”の供給を待ち望んでいる<のだということを、みんなの潜在思念は捉えている証拠だと思います。
無理矢理モノに結び付けなくても、その認識そのものが求められている。
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