2009年08月07日
茶道に学ぶ ~日本企業における充足規範の再生~
以前当ブログ投稿でも紹介した書籍「おもてなしの源流」(リクルートワークス編集部・英治出版)を読んでみました。小さな本ですが、日本人の「おもてなし」について様々な伝統芸能などの現場事例を紹介しつつ、考察を加えている良本です。
なかでも、茶道に関する紹介で多くの気づきがあったので、以下に引用・紹介させて頂きます(各タイトルは引用者)。
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■集団規範の再生■
まずは、林原美術館館長で日本茶道史の研究者である熊倉功夫さんのインタビューからの一節。
>茶道を長く真剣に修行した人は、点前ひとつにも美しさをたたえるようになる。型を磨くことで、心まで磨いたという好例だ。茶の心の基本は禅にある。茶道の宗匠はみな禅寺に参禅・得度し、その後も長く禅師たちとのつきあいを深めていく。それもまた、心を磨く訓練といえる。
「型は人間の生き方、道を示すものでした。私は、茶の湯において重要なことは<しつらえ><ふるまい><よそおい>だと考えていますが、それは生きていくあり方を追求する要素であり、茶の湯のおもしろさにも通じます」
その日の茶事にふさわしいしつらい、立ち居ふるまい、そして装い。三つの要素を整えることによって無条件に美しい姿ができあがる。さらに、もうひとつ重要な点は、これら三つの要素が整えば、その日一堂に会する人々がお互いに打ち解ける共通ルールが自然に確立されることだという。
「知らない人どうしがどうすれば打ち解けられるのか。そこで茶事に登場するのが酒や料理でのもてなしと会話です。いったん皆がくつろいだあとに、中立ち(懐石料理が出る初座ののち、客が茶室の外に出て、その間に亭主は茶室の掛け物を花に改め、後座の準備をする)を経て、濃茶によって覚醒する。それは共同体としての手続きであり、全員がどうふるまえばよいか理解しているわけです。そこでは最低限の型を身につけていれば恥をかかずにすむという約束事があります」
>型とはなにがなんでも守らなくてはいけないものではない。一応身につけておけば、その殻を破ってはばたくことが可能になる。はばたくための修業が、茶道の稽古といえるのかもしれない。
「日本の修業のあり方を<守破離>という言葉で表します。まず型を学ぶのが<守>。そのあとの飛躍のためにきちんと型を身につけることが目的ですが、現実にはそこで終わりがちでもあります。次に<破>。型を破って独創性を追求することです。そして<離>。型を意識することからも離れた自由な境地です。
(中略)
独創性にこだわっているうちはまだまだということですね」<
企業活動が典型ですが、集団生活には基本ルールがあります(ありました)。
今回の茶道の話にも出てくるように、「それは共同体としての手続きであり、全員がどうふるまえばよいか理解しているわけです」。確かに貧困の消滅によって、生存圧力がほとんどかからなくなった現在においては、「規範の崩壊」が言われて久しい。
しかし、ようやく最近では職場の人間関係どうする?、あるいは「いい女って?」「いい男って?」といった疑問が真剣に議論され、みんなが充足し、収束できる新しい規範を作ろうという動きが社会の随所で始まっています。
ですから、「それは共同体としての手続きであり、全員がどうふるまえばよいか理解している」という心もち、感覚は今のわれわれにとって、とても重要に思うのです。
■創意工夫が場の充足を生む■
そして、編集工学研究所の松岡正剛さんのインタビューでも茶道が話題にあがっています。
>茶道では「型」を重視するものの、本当に大切にされるべきは創意工夫だった。それに加えて、趣(趣向)も重視された。
「一般的に<趣>とは<主に向いていくこと>を指します。自分の心が相手に対して動いていくことです。さらに茶道でいう<趣>とは、モノに心が宿っているという意味。高価なウェッジウッドの器であっても<趣がある>とは言いませんね。そこには心や伝説が存在しないからです」
日本の器には「伝来」や「好み」という物語がついている。同じような美しい茶入れがあったとしよう。だが、伝来のあるものとそうでないものとでは百倍も値が違う。豊臣秀吉が有名な茶会で使ったとか、千利休が愛したなどという伝来がついたとたん、小さな茶入れが億単位の価値を持つ。あるいは、古田織部が「好んで」作らせた茶碗であれば、人々は価値を認める。物語性を評価するのである。
「趣は取り合わせによっても変わります。同じ茶碗でも、全体の道具組みの中で持つ意味は違う。どの掛け軸のときにどんな茶碗を出すか。『冬の夜咄に志野でっか』というように楽しんでもらえる」<
この器の話は、半分は好き嫌いや幻想価値という欺瞞的な要素も含まれているものの、茶事を催す亭主の想いに同化することで得られる充足、あるいは器の背後にある歴史や人に想いをはせることで得られる充足についても語られており、非常に興味深い内容になっています。
■おもてなしとは、主客の融合にある■
そして、本の最後で日本の「おもてなし」の2つの大きな特徴が提示されます。
>第一は、相互性。
「私(もてなす側、主人)が何か(気持ち、芸)を差し出すから、あなた(もてなされる側、客)も何かを差し出して」という関係が、日本の「おもてなしの場」では成り立っている。<
>第二の特徴が「主客の容易な入れ替わり」である。お茶会の亭主は、次の機会には客の一人が亭主を務める茶会に招かれるかもしれない。かつての花街では、自ら小唄や三味線など芸事を習う客も珍しくなかったという。こうした人たちが客として座敷に招かれた際には、座が興じれば自らの芸をその場で披露することもあった。
(中略)
こうした主客が入れ替わりうる関係は、欧米の「サービス」の概念とは縁遠いものに思われる。もてなし、もてなされるという関係性そのものが、日本の「おもてなし」の特徴なのである。<
なるほど、ここで描かれる生産と消費が融合した場は、とても豊かに感じられます。
現代の生活が非常に貧しいものになっている原因が、この生産と消費の場の分断にあるとすれば、これからの仕事・職場とは、この分断してしまった両者を結びつける方向で追求されていくことになるのだと思います。
このように、「おもてなし」を単に旅館や料亭など特別な場での所作として捉えるのではなく、日常の職場における充足規範として捉える(例えば、職場で茶会を主催しているとイメージしてみる)と、もっと豊から職場環境が築けるような気がしてきました。
ではまた。
- posted by seiichi at : 2:49 | コメント (2件) | トラックバック (0)
コメント
以前読んだ、るいネットの
『活力向上をどれだけ考えていますか?』
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=77611
を、思い出しました。なかなかいい事業ですね。自分でもやりたくなってきました。
羊猫さん
コメントありがとうございます!
先の見えない時代だからか、社員の活力を考える企業が増えているようですね。
コンサルティングといえば、IT化などの効率化路線を考えがちですが、こういう「人」を中心にした事業に需要があると思うと、新しい大きな可能性を感じます。
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