2010年02月04日
『男女役割共認が企業を変える』4~日本企業の統治能力がなぜこれ程低下したのか?~
(画像は東洋経済オンラインよりお借りしました。)
みなさん、こんにちわ☆
みっちーです♪(* ̄ー ̄)v
前回お送りした記事 【『男女役割共認が企業を変える』3~企業はもはや単なる経済主体ではいられなくなった~】での品質劣化など、最近では北米でのトヨタのリコール の件が記憶に新しいと思います。
今回はその根本にある 👿 『日本企業の統治能力能力が何故これ程低下したのか? 』をお送りしていきます。
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これは1970年代を境に、外圧が大きく変化したことに起因しています。
まずは今までの『外圧と生産様式の変遷』から振り返って考えてみたいと思います。
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生産様式の転換と社会構造の変遷
人類の社会は、採取生産、農業生産、工業生産、意識生産という大きく4つの生産時代に区分される。
採取生産の時代の生産の対象は自然そのものであり、他の人間も、さらには動物たちも、この大自然から生活の糧を得ている。どんなに力の強いものがいたとしても、大自然そのものを私有することはできず、誰もが大自然を相手に自由に生産を営んでいた。
こういう環境のもとでは、人間が人間を支配するために不可欠の権力基盤、つまり生産対象の私有は物理的に不可能である。従って、採取生産様式の下では、社会は必然的に共同関係の社会を形成していた。
農業生産の時代に入ると、耕すことのできる特定の土地が必要になる。この特定の土地は私有することが可能で、しかも、より多くの土地を所有したほうが、豊かに暮らせる。だから、生存の基盤となる土地の奪い合いが始まる。最終的には、土地の奪い合いに決着をつける力、すなわち武力が、土地と共に人々をも支配する制覇力となる。
つまり、農業生産の時代には、社会は、武力によって支配される社会となる。(世界中のどの文明においても、農業生産が始まるや否や武力支配国家が形成されてきた。)
産業革命以降、工業生産の時代に入ると、土地ではなく機械が生産力の源となる。土地を手に入れるための武力に替わって、機械を備えるための資本力が社会を支配する制覇力となる。つまり、工業生産様式のもとでは、資本に支配される社会=資本主義社会となる。
1970年代、工業生産の拡大によって、遂にモノの(消費の)飽和限界に行き着き、工業生産に代わって意識生産が社会の生産の主力に成りつつある。
意識生産の時代は、その生産の中身が土地でも機械でもなく、生身の人間の認識力・創造力そのものであり、生産力の基盤は人間そのものとなる。
つまり、意識生産という生産様式においては、どれだけ深くみんなの意識・欠乏を掴み、それに応えられたかという認識闘争へとみんなが巻き込まれ、同類圧力が活力の源泉となる時代へと突入した。
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人類はその時々の外圧によって、生産様式及び社会構造を変化させ適応し続けてきました。日本では1970年に貧困を克服し、外圧は物的欠乏(私権)から類的欠乏(共認)へと変化しました。
この物的欠乏(私権)の縮小に伴って、市場も縮小していくのも必然でした。しかし、予想を反して現実ではGDP(国内総生産)が毎年成長をし続けていきました。
これはいったい何が起こっていたのでしょうか?
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潮流4:輸血経済(自由市場の終焉)
生存圧力が衰弱すると、私益追求の欠乏も力強さを失って徐々に衰弱してゆく。そして’70年、三種の神器が行き渡り、ほぼ豊かさが実現されると、物的充足が飽和限界に達したことによって需要が頭打ちとなり、市場は拡大を停止するしか無くなった。
需要の頭打ち(→市場縮小)に危機感を感じた財界、政界および学者、官僚、マスコミの者たち(以下、特権階級と呼ぶ)は、不足する需要を補うために、今日までに900兆もの資金を市場に流し込んできた。そして残されたのが、もはや返済不可能な国の借金である。(注:但し、金貸し=中央銀行から紙幣発行権を剥奪し、国家紙幣を発行する形に切り換えれば、忽ち国の借金はゼロになる。)
’70年以降の大本営が発表するGDPから、毎年市場に注入された国の借金(国債・地方債etcの借入金)によって作られた人工需要を引くと明らかなように、毎年のGDPはマイナス成長となる。
つまり、自由市場は、豊かさが実現された’70年以降、縮小過程に入ったのである。現在の市場は、国家による資金注入という輸血装置によって生き延びている人工市場なのであって、決して自然な需要と供給に委ねられた自由市場なのではない。従って、当然、大きな歪みが発生してくる。
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自らの基盤(地位)を守るために、統合階級は縮小していく市場へと国の借金を注ぎ込みました。これが実体の市場は縮小しながらも、GDP(国民総生産)は増え続ける現代の輸血経済の仕組みです。
さらに企業も外圧が変わったにもかかわらず、旧い私権統合のままのため、社員を始めとして現実の意識(共認)と旧い制度(私権)とが断絶し、どんどんと企業の活力を衰弱させ生産力を低下させていっています。またこの断絶が企業を脅かすミスへと繋がっていっています。
これが日本企業の統治能力が低下し、生産力の低下(ミス等)を引き起こした原因です。
貧困の消滅 → 私権統合の崩壊 → 企業の統合不全 → 活力衰弱 → 生産力の低下
ではなぜ企業は未だに旧い私権統合のままなのでしょうか?
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企業の共同体化が進まないのは何で?
株主や経営者は、自分が儲かればよいのだから、自分の権力を放棄し、労働者に平等に利益分配する共同体企業にしたくないのは明らかだ。そのような株主・経営者が全権力を握っているのだから、なかなか共同体化しないのはやむをえないかもしれない。
お金や物が第一の価値ではなくなった現代、こんな生き方では殆ど充足が得られず、その結果、生きている意味が感じられないと活力を喪失している人がどんどん増えている。にもかかわらず意識の表面=観念は相変わらず、プライベートな時間が第一の価値という意識=個人主義観念にとらわれ、潜在意識でもっと活力が感じられる生き方を求めているのに、それが顕在化せず押さえ込まれてしまう。
いまの時代は共同体経営が最も適しており、大衆もやりがいや、生きがいを感じられる共同体経営を潜在意識では求めているにもかかわらず、権力を握った株主や経営者と、個人主義思想という古い観念が、人々の潜在意識にふたをして社会が変わるのを邪魔している。
さらに言えば、経営層も時代潮流を受けて、潜在意識では金や物から、やりがいや生きがいの方向に意識は転換しており、究極の阻害要因は旧観念である。個人主義思想を廃棄して、本当に自分が求めているのは何か、潜在意識は何を求めているか、明らかに意識する必要がある。
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(画像はクラス編集部ブログよりお借りしました。)
つまり未だに旧観念(=個人主義思想etc)に囚われているため、企業は私権統合のままになっているのです。
だから今こそ外圧は変わった(=旧観念は不要)という時代認識が必要なのです!!
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闘争する共同体を表す共認統合体という言葉
>共同体・類は、この様な時代認識に基づいて創られた。従って、創立当初から、経理を含む全情報を全社員に公開する情報公開システムを作り上げ、誰もが状況を把握できるようにして、その上で、全員が取締役となって経営に参画する合議体制を構築し、皆で組織や事業の方向を決定してきた。それを聞いて、未だに信じられないという顔をする人が多い。
いまだに信じられないと思うのは、私権闘争ではない本物の闘争の意味を知らないからだ。私権闘争を不動のものとして意識し、そのいやな闘争からの逃避先としての共同体を認識しているからだ。確かに、そのような幻想の共同体からは、合議制でまとまって行くとか、勝って行くというイメージは抱けない。
しかし、共認統合体とは、徹底した現実直視の闘争集団であり、合議で統合されるとは、勝っていく為に、いかに実現可能性の高い方針を出せたかという、人材能力ヒエラルキーによる統合でもある。ここには、偽物の民主主義が作り出す、平等主義的な何でも意見を言えばよいという甘ったれた考えは無い。
結局、企業を共同体にするには、私権統合は終わったという時代認識と、私権闘争に代わる本物の闘争(集団や社会を統合していくための共認闘争)が共認統合体を可能にするという認識が、まず必要なのだ。
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そして旧観念に替わる新認識を創っていくことが、
これからの企業(集団)に求められていることなのです。
この時代認識を持って、今後の意識生産時代に
勝っていく企業を追求していきますので、乞うご期待下さい
最後まで読んで頂いてありがとうございます☆
- posted by mitty at : 12:47 | コメント (1件) | トラックバック (0)
コメント
>日本の会社は90年代半ばに至るまで実質的な長期雇用保障が行なわれてきた。
社員側の雇用期待と会社側の貢献期待の取引関係がうまくいっていた
★最近めっきり聞かれなくなりましたが、アメリカからの「年次改革要望書」⇒小泉改革の結果でしょうか。ほんとに短期間に日本の雇用関係=会社が破壊されてしまったように感じます。
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